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DNARとは

昨今…高齢者の患者さんが増え
このDNARという方針について
考えることが多くなりました。

そもそもDNARとは、何の略なのでしょう。

癌の末期などで心停止ないし呼吸停止した際に心肺蘇生を行わないという特別な指示がある場合、
心肺蘇生を省略することができる。この指示を DNAR (Do Not Attempt Resuscitation)と呼んでいるのではないでしょうか。

今は、癌の末期のみならず、高齢者の方で基礎疾患を多く持ち、治療自体に身体が耐えられない場合にも、急変する前に、家族に説明して同意を得る…そんな場面も多く目にします。

このDNARの意味合いも、人によっての受け取り方は様々です。

つい先日、全身に癌の転移した患者さんが
腹水による圧迫感と息苦しさを看護師に訴えていました。
看護師はもちろん、医師に報告しますが、
このDNARの方針を理由に、看護師と本人に
「出来ることはない」
そう話されるだけでした。

医師の見解では、余命は数週間から1ヶ月。

看護師は、苦しさを訴える患者と、出来ることはないという医師の間で、葛藤することになります。



このことに対し、看護師と医師、医師と患者
それぞれの間にはギャップが生じていました。

医師は「何も出来ることはない」とだけ話されるだけでしたが、これにも理由がありました。

看護師は、苦痛を目の前にして
何も出来ることがない、どうにかしてあげたい。
そんな無力感を感じるとともに、医師に対し
非人道的な対応である、話を聞いてもらえないなどの不満を募らせていました。

患者は、自分の予後について全て説明されてきており、長らく病気と闘ってきたことから、
「何もできないと言われることも、仕方ないと思っている。ただ、その理由をきちんと知りたい」
そう話されていました。
看護師にも、圧迫感を取り除いてほしいということではなく、思いの共感や自分の気持ちを知ってほしい。そう考えていたのではないかと思います。

このギャップを埋めるためには
他職種カンファレンスを行うしかない。
そうおもいました。

医師、看護師、薬剤師、臨床心理士、入退院支援の担当看護師、ガン緩和ケアチームの認定看護師
倫理相談担当者など、様々な職種でカンファレンスを行いました。

そこで語られた、
医師の気持ち
データから、予後はあと1週間ほどではないかということ、その全身状態では腹水の抜水や利尿薬投与は予後を縮めることになること。
無理して治療をしようとした時、本人の希望である地方に帰宅することも叶わなくなることが前提での
「なにもできない」であるということ。

看護師の気持ち
苦しむ患者を目の前に、何か手立てはないのかと考えてしまう。医師にも、なぜできないのかを説明してほしい。
他に看護ケアで有効になるような安楽につながるケアとして、出来ることはないのか。

臨床心理士の気持ち
ずっと関わってきて、本人も自分の余命については諦めている。
でも、なぜなにもできないのか。
その理由を知りたい。
医師と2人で腰を落ち着けて一度話が聞きたい。
本人は、そう言っている。

このような意見交換がされた。

この人にとってのDNARの意味とは
心肺停止時の蘇生術はしないということであり、
苦痛を目の前に何もしない…という
意味合いではない。
しかし、短い余命にたいし、危険を冒しても
腹水に対する治療を望むのか…まずは
それを本人を含めて話し合いましょうと。
そんな結論に至りました。

本人の苦痛は、私達には理解できないことですし、
尺測るのもおこがましいとおもいます。

リスクとベネフィットを天秤にかけ、
選択するのは
人生の主役である本人なのです。

他職種カンファレンスで、一度凝り固まったそれぞれの視点や、思考を客観的に見直し、アウトカムを共有することは、とても重要です。

こと、特にDNARのその人にとっての定義は、
本人家族を巻き込んで、ともに情報を共有し
細かに話し合って方針を決める。
このことが、患者さんの人生の質を高めることにつながるのです。

「この人DNARとってるのに、点滴してるよ。」
こんな言葉も病院にいると耳にしますが、
DNARは取得するものではありません。
DNARだからと言って、治療しないわけでもないのです。

そのあり方は、通り一遍等の結末ではなく、
人の数だけDNARの形も存在するということなのです。

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