小池都知事は、ドライで、「ノリ」で生きている?
文藝春秋オンラインで、小池都知事についての鼎談がある。お馴染みの田崎政治評論家、奥谷ザアール創業者(女性起業家のパイオニア)、澤元都庁職員の3人。それぞれの個性が出ていますが、小池都知事と数十年付き合いのある奥谷さんの評に注目してしまう。
奥谷さんの小池都知事評をいくつか抜き出してみる。
メッタ切り。厳しい発言もあるけれど、男社会の政治の世界で、アナウンサーから成りあがった手腕は、相当評価している発言もある。でも、その裏側もあって、「誰と組むか」を嗅覚で選び出し、過去の関係性などは気にせず、新しい波に乗るという政治的手腕。両面をはっきり指摘している奥谷さんの発言は重いと感じた。
政治のコアは、合理性や正当性でなく、人間関係。一方で、都市部の選挙は、フワッとしたイメージ選挙。彼女は、前者を見切って、後者で勝負してきた。後者の勘所こそ、彼女の強み。
既得権に凝り固まった男政治家に立ち向かうイメージ作りは、どんな政策よりも、共感を集める。このイメージ作りについて、直観的にどうすれば良いか、凄い嗅覚を発揮するのが、小池都知事ということか。
政治家なんて、苦界に身を沈めるだけだから、やめた方がいい
奥谷さんは一方で、「政治家なんて、苦界に身を沈めるだけだから、やめた方がいい」と若き小池さんにアドバイスしたという。
これはこれで、悩ましい発言。政治家は、人情と不条理の人間関係で仕事をし、一方で、その人間関係に縛られて、濁り劣化していく。そのバランスを絶妙に保ちながら、良い仕事をしていくことが政治家の難しさ。
後者を取り上げて、苦界と表現していることはわかるが、その苦界に飛び込んで良い仕事をする人間を輩出していかなければ、社会秩序は既得権優先とコネによる秩序になっていく。それでは、国民の政治行政不信は深まる一方であるし、変化対応が難しいので停滞感漂う社会になってしまう。奥谷さんは、それで良いと思っているのか。「誰かがやってくれる」と期待しても、期待通りにはいかないときは、「それはそれで仕方ない」という諦念の覚悟をお持ちなのか。
合理中心の民間の世界で成功した経営者から見れば、合理から程遠い政治の世界は、「アホちゃうか」という世界。でも、権限はもっているから、うまく付き合っておこうという打算の気持ちもあったりする。
この政治と民間の溝を、何とか埋めたいと思う。