短編『アイム・ユアーズ I'm yours. 』

 その夏、ベッドで浅い呼吸をくり返すお前を、私は風の中で見つめていた。南に開け放った窓からは、初夏の匂いが、それこそ永遠につづくようだった。お前の短い前髪はしずかになびき、私は目を細めて、入道雲にさえぎられた遠い地平線をながめていた。

「ラジオを買ってきたんだ」このご時世に。

「ありがとう」

 テレビのワイド・ショウは、うるさくお前の病状を、そして私たちのかなしみを、まるでなにもかもわかったふうに、報じつづけていた。嫌気がさした私は、部屋からテレビを出してしまって、その代わり私が、彼女のそばにできるだけ永くいて、いろいろな話を、語って聞かせるつもりでいた。

「明日から、ニューヨークだ」

「――ええ。いってらっしゃい」

 ところが思いがけない仕事が入った。天秤にかけるつもりはないが、人気アニメーション映画の作画監督という立場は、病床のお前のそばに付きっきりでいることを、私に許してはくれなかった。

「二週間。仕事が終わったら、すぐに帰るさ」

「でも二週間は決まっているんでしょう? 焦らないで。待ってるから」

 燃えるような苦しみが、いったいお前の躰のどこに宿っているのか、見当もつかないほど、お前は涼しげに微笑み、いかにも生きている。

「茅野さんが、お前に会いたがってたよ」

「わたしも、会いたいな」

「あの人忙しそうだよ。けど、またすぐに会えるさ」

 三年前、どこの馬の骨とも知れぬ貧乏アニメーターであった私の、はじめての大きな映画の仕事で、お前は声優をした。いい声だと思った。売れっ子女優である理由がわかった気がした。あまりに遠い存在であったが、私は身の程も知らず、お前に惚れていた。

 それから私たちがきょうまでうまくいったのは、運命のいたずらというほかない。そんなことを思うと、ふと、そのときから、私たちが過酷な病の苦しみをも共にすることまで決まっていたのかもしれない、そんなふうにまで考えてしまう。そして、私たちの未来は――

「茅野さん、また映画撮るってね」

「まだ先だよ」

 きっとその頃にはよくなっているよ、と私は含みをもたせたつもりだった。けれどお前は黙ってしまって、遠い目をした。真白い天井の向こうの青空を夢見ているようだった。私は言葉をつなげなかった。

 そのとき、真新しいラジオから、歌が流れはじめた。異国の歌だった。青い目をした白人が、涼しげに歌っているさまが想像できた。

「この歌、好き」

 ようやくお前は口を開いた。私は、それだけで救われた気がした。

「なんて歌?」

 お前はまた黙りこんで、心地よい白人の声に耳を澄ませた。私も同じようにした。

 There's no need to complicate
 Our time is short
 This is our fate, I'm yours.

 ――「『アイム・ユアーズ』」。

 開け放った窓から吹き抜けた風は、お前の応えを私に運んで消えた。歌はやまず、入道雲は力づよく重なり合っていた。

 *

 一週間後、ニューヨークのホテルで、私はお前の訃報をきいた。〈終わり〉

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