「門外不出」が壁を越えるとき、あるいは観覧車に乗って
最近、「門外不出」について考えさせられる出来事があった。
わたしは、門の外に出ていった勇者の側にいる人間だったから、門の中にいる人たちの話は
それってさ、単にあなたが気に食わないだけの話じゃないの? とか
門の外に出すことをなんでそんなに恐れるの?
なんて思っていた。
とはいえ、門の中にいる人間にしてみれば、
(全体像がわからないものを)切り取って外に出すとは何事だ
おかしな理解をする人間がいるに違いない
一般化されたりしては心が伝わらず技だけの伝承になってしまう
と思うのも、まあ、分からなくはないかな?と思った。というか、自分もそう思ったことがあったよなと自省するし、それが間違っていたとも思わない。
門外不出が外に出ると、何がまずいのか?
まずいことがあるから、門外不出なのだろう。
ということで、CHATGPTに聞いてみた(またテクノロジーに頼って…)
そんなに間違っていないかなーと思う。ただ、もうちょい深いところまで考える必要はある。ちょっと1こずつ見ていこう。
そもそも前提として挙げられている、「主に伝統的な組織や閉じられたコミュニティで使用されることがあります」というところ。
ここからしてすでに悩むところで、「伝統的な組織」や「閉じられたコミュニティ」じゃなくても、明示的ではないにせよ「門外不出」は起こりうる。例えば「これまでの積み重ねも全部わからないと、全体像を理解できない」こと、「なんらかの暗黙知があって、そこが土台になって構成されている」ことがあれば、「門外不出」は起こりうるように思う。
秘密の保持
これは、一番わかりやすい、門外不出である理由。
文句のつけようはない。
「情報が流出」しては困ること
「悪用」されては困ること
が世の中には存在する。
これは「誰かのための『門外不出』」なのだろう。
特別な価値
これが理由で「門外不出」となっていることはけっこう多いのではないだろうか?「特別さ」「所属感」「独自性」
少ない人数しか知らないからこそ価値が生まれるものというのが、たしかにある。とはいえ、これは「自分(たち)のための『門外不出』」と言えるのではないだろうか?
組織内の階層性
これ、上の「秘密の保持」とリンクしているところがあるかなと。あとは「簿外債務」とか(急にきな臭くなった…)
伝統や信仰
じつは、これについてピンとこないことって多いような気がする。
そこが不文律であればあるほど、なんで?どうして?と思うし混乱することもあると思う。
まとめならざるもの
書きながら思ったのは、門外不出であることのメリットとデメリットだ。
やっかいなことに、メリットが「見ようを変えると」デメリットになっているように思う。
例えば、機密性を大事にするということは、別の面から見ると「不透明さ、あいまいさを許す」ということだ
結局はそこも含めて、その都度、相談、対話…というか、誰かと、あなたが思うステークホルダーと話したり聞いたりすること。
この世の中、そんなに悪い人はいない。みんな相談にのってくれるし、あなたがよいことをしたいとしていることを応援してくれる。
だから、シンプルだけど、話したり聞いたりが大事なのだ。あなたはなぜ、その門外不出のものを大事にしているんですか?どうして、門外不出なのですか?と。ある意味では対話であり、ある意味では交渉である。
壁の外を見ることが許されていない、高い壁に囲まれたディストピアで、「外みたいので塔をたててもいい?」と聞いたら、だめだよと言われるだろうが、「出られない子たちのために観覧車を作ろう」と言ったらどうなるだろう?これは認められるのではないか?(だめ?)
「門外不出」はあくまで「手段」である。何かを守るため、心の支えを大事にするため…。
翻って言うと、「門外不出」が目的にはなり得ないのだ。それを忘れず、次の一歩を踏み出そう。
追伸「門外不出」で検索かけたときに見た、こちらのnoteが、サイコーによかったのでここで紹介。
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