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大事にすることとか、10月のこととか。

よくよく考えれば、昨日は9月の終わりなのに随分とまあ仄暗い湖のほとりで書いたような文章を書いてしまった…。

一瞬、消そうかなと思ったけど、そんなことを思った自分も大事な自分なので、ちゃんととっておく。(どこにもシェアしていないのが救い)
ということで、受け取り方のお話。

「自分にとって大事じゃなくても人にとって大事なこと」をどう扱うか

きょう、月例のしいたけさん。の占いにこんなことが書いてあった。

「自分のとっては、そこまで大事じゃなくても、相手にとっては大事なこと」に付き合うことが大事になってくる。

たぶん昨日の自分には欠けていた視点はこれなんだと思う。
その人にとっての重要度と、自分にとっての重要度って、「重要度」を「重要℃」に誤変換されるくらには温度差があって、それは知っておかなきゃいけないことなんだろうなと思う。

いまこうやって反省できるのは、しいたけさん。(と、一晩寝て回復した、私のからだとこころ)のおかげだと思う。そうやって身につけたこと、あたまに入ったことだから、大事にしたい所存。

わたしにできることを考える。

とはいえ、「自分にとってそんなに大事じゃないこと」に対して、わたしはどう付き合えるのだろうかと考える。

昨日読んだ本に、こんなことが書いてあった。

※※余談になるが、本屋さんにいったとき、「ふと、目が合う本」があるなぁと思う。今の気分にあった本というか、自分の今にあった本というか…。(勝手に運命感じてるだけかもしれないけど…。)

閑話休題
こんなことが書いてあった再び

(前略)
そのとき、なにかが腑に落ちた。見ているだけでいい。目撃者、もしくは立会人になるだけでいい、と。
(後略)

「傷を愛せるか」宮地尚子

そこに「ある」こと「いる」こと。
そういう付き合い方(ここまでくると、付き合い方という言葉のわくに収めていいのかという疑問はあるけれども…)ができるようにしていきたいな。自分がいることが、プラスにも、マイナスにもならない、そういうニュートラルな、卵を受け止める壁のような(壁と卵)あり方を考えていきたいな…。

ひとつのおしまいとして

昨日のnoteに、うまく「再提出」スタンプを押せたなぁ…と(ちょっと)満足している。
たくさんの「大事」とうまく(というのは、敬意を持って受け取り、そして手渡していくということ)付き合っていくために、できることを考えて、そして、前に歩めるように、そして、糧にしたり、上手に供養したりできるように、10月はそんなことを大事にしていきましょう。おわりん♪


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