自信がないこと
とある日常の会話。
「俺いつも思うんだけどさ、朱音は俺より頭も良いし、賢い大学出てるし、英語できるし、顔もスタイルも良い。モテるし、料理は上手だし、コーディングは理系大学院卒の俺より詳しい。ずっと勝ち組なはずなのに、何で負け戦から入るの?何で自信ないの?」と彼氏。
私は、負け戦から入ることがインストールされている。何するにしても、できない理由をずっと家族に言われてきたから、諦めることが習慣化している。未来の私の会話(結婚がどうとか…)をしている親は私に全然期待してなさそうだったし、「普通で良いからね」って言われてきたから、何するにしても現実は厳しいからやめとけって声がどこかで聞こえる。
ただ、向上心や好奇心はあるから、自分がやるべきこと・やりたいことを毎日一生懸命やっている。今までも今もずっと、勉強や運動、その他の活動を頑張ってきた。
夢だって目標だってあるけど、野望を支える根拠のない自信とか、夢見る自分を支える心構えが、私にはない。それがあったら、もっと野望や可能性は広がるのに、自分の心が邪魔をする。
「ちょうどよく」自分の好きな自分になれたらいいな、それ以上の人には、どれだけ努力しても時間が経っても、私には無理かなっていう気持ちがどこかにある。
現実は厳しい。そんなこと言われなくても知ってるけど、どんな夢でも野望でも、無謀でも、「できるかも」っていうマインドって宝石みたいに大事だし、尊いと思う。自分の子供には、どんな夢でも、私が想像できないこと言い出しても、応援したいなあ。不道徳なことはやめさせるけど、それ以外だったら、私の知らないことだとしても、何でも良いと思う。
私の家族のあんまり好きじゃない癖は、例えば「〇〇会社に入る」「〇〇をする」ってなった時に、前例を親戚とか友人とかから引っ張ってきて、「最終的にはあんまりうまくいかなかったみたいよ。」とか「イマイチみたいよ。」とかよくわからん助言言ってくる。自分の知らない分野に私が突っ込んでいくと、自分の経験では語れないから警戒する。
謎の友人例に関しては、何千分の一の話をしてるんだって思うし、もっと私を一大人として、私の見聞きした中での判断を、信頼してくれても良いのになと思う。
性格って、先天的なものもあるけど、多くは環境だと思う。
でも、私はもっと野望を持ちたいし、もっと自分を大事にしたいし、もっと自分の可能性を信じたい。だから、このインストールを取り外すのってすごく大変なことだけど、外してもっと良く生きたいなと思う。
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