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映画から監督の人柄が見える

先日、金曜ロードショウの「ハウルの動く城」を観た。映画が公開されたのは、確か十年以上前で、私は、小3だったと思う。それ以来だったので、面白かったけど、怖いシーンも多かったし理解できないところもあったので、「今回、どう見方が変わるかなあ」と楽しみにしていた。
結論から言うと、面白かったけど、めちゃくちゃ丁寧な伏線や仕掛けがある割に、深みが薄くて、もっといい作品だと思ってた。(宮崎駿クオリティにしたら、って話。もちろんもちろんもちろん、いい作品なのを前提として)
ジブリって、映画界のドンというか、日本を代表する、世界で評価もされてる、もうめちゃくちゃ評価されてる映画だから、もっと良いのかと思った。

話と絵とで、分けて感想を書くことにする。
まず、絵。ハウルの絵は、どのシーンも引き込まれる、面白くて楽しくて、配色もまとまっていて、すごく良い絵だなあと思った。一つの絵画として見てもクオリティが高くて、ずっと観てられる。ソフィが住む街の建物から、服飾系、景色などなど、うっとりする綺麗な色使いだった。
ソフィの妹(名前忘れた)や母、ハウルの髪色など、色が物語のキーにもなっている。動く城も模型として見たいくらい、良いゴチャゴチャ感がある。

話は、「宮崎駿は思春期を描くのが下手」っていう噂通り、下手だなあと思った(笑)ソフィはたくましいし、ハウルはカッコよくてカッコ悪くて(髪色変わっただけでデロンデロンになるし)、それぞれは最高だったけど、心理的な描写が全体的に足りなくて、描き方も荒くて、二人の絆がかみ合ってなかった。あと突っ込みたいのは、最後の方、魔法解けた後からの展開が雑。最後、無理やり丸く収めただろー!今までせっかく丁寧に話し進んできたのに!最後!ってなった。

ここまできて、すっごく当たり前なんだけど、「映画も人間が作ってるんだなあ」と感じさせられた。映画や物語って、もう「作品感」が強くて、評論やノウハウ本とは違って、作者の思いが直球にぶつかってこない。作者本人は出てこず、カモフラージュして登場人物に自分の言いたいことを言わせる。作者の思いはたくさん詰まっているんだけど、そんなの物語味わう時に、いちいち気にせず「作品」として楽しんじゃう。何が言いたいかって、作者だって完璧な人間じゃなくて、それぞれの自分独自の考え・思いがあるし、作者の思い≠人類の思い。映画や本などの作品は、なぜか作者の思い=人類の思い、に錯覚する時があると思う。監督によって得意不得意はあるし、天才だけど、彼らも等しく人間。その、監督の完全ではない人間的な表現がわかるようになってきた。


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