鎌倉街道と切通し 「化粧坂」は雨が降る日はやめておく 吾妻鏡の今風景40
鎌倉は、三方を山に囲まれた地。出入り困難な要塞のような地であり、その鎌倉へと入る切通、鎌倉七口。その中でもっとも古い(と思われる)切通が化粧坂(けわいさか)切通、いつ、誰が作ったのかは不明。吾妻鏡には「気和飛坂」(けわひさか)と記されている場合もあります。化粧坂の読み(けはひさか)にさらに漢字をあてたもので、ややこしい。
「化粧坂(けわいざか)」を通れば武蔵国へ、つまり頼朝が武蔵国から鎌倉へと入る際にも、ここを通ったに違いなく。
化粧坂ってどんなところなのか、とスマホ地図を片手に行ってみました。しかし、「化粧坂」入り口で「え?!」
たまたま私が行ったのが6月6日、そろそろ梅雨だからなのか、急斜面の岩肌を水が滴り、足元はぬかるんでいる。史跡巡りは、それなりに歩くことを想定しているので、歩きやすい靴を履いてはいるが、これは…。伸縮性のストックぐらいは持っていた方がよさそうな道。さらには雨が降ってきそう。というわけで、「化粧坂」入り口で回れ右。
とりあえずスタバだ、スタバをめざせ。鎌倉市役所前の。この道を行っても、葛原、梶原には行きますけど、当時はこっちの道はなかったんでしょうね。
スタバで「化粧坂」を検索しまくっているうちに、雨が降ってきて、さらには土砂降りに。6月6日の木曜日、雨ざあざあ降ってきて・・・どっちにしろ、今日の「化粧坂」越えはないので、紀伊国屋にでも寄って帰ろう。
さて、鎌倉七口とは、鎌倉の入り口となる7つの切通のこと。
化粧坂 鎌倉の扇が谷のあたりから鎌倉山へと向かう切通。が、あの道を馬で? 馬で通っていたのか? しかも荷物を牛の背に乗せて化粧坂を通っていたらしい。化粧坂を上がった山上が鎌倉と外との境界で、交易が盛んな場所であったという。山上とはたぶん、源氏山公園のあたり。行商人が品物を並べて売っていたのだろうか。野菜、魚、反物、草鞋、紅やおしろいなどの小間物とか。饅頭とか鳩サブレとか。
亀ヶ谷坂 北鎌から鎌倉の亀ヶ谷へと抜ける道。別名、亀返坂、急坂なので亀が引き返した坂という意味であるとされるが、さほど急ではありません。仁治元年(1240年)に北条泰時が開削したとされるが、すでに歩きやすい道になっているので、昔の面影はないのかも。時々バイクが通りますので注意。
極楽寺坂切通 極楽寺の開祖、忍性によって切り開かれた坂ですが、現在は、お散歩によい道。江ノ電の長谷で降りて(力餅屋で力餅買って)、極楽寺坂を抜けて極楽寺駅で再び江ノ電に乗るというルートが超おすすめ。
大仏切通 長谷から深沢へと抜ける道。トンネルの東側の細い階段を登っていく。開削時期は不明、たぶん化粧坂と同じぐらい昔からあったようで、切通らしさを味わえます。つまり、めちゃ歩きにくい。
巨福呂坂 車でも抜けられる巨福呂坂洞門ではなく、その東側というか北側というか、の旧道。ただし、一部私有地があり、通り抜けることはできなさそうです。(注・私は行ったことありません。)
朝夷奈切通 六浦道(むつらみち)の途中。それなりの格好で行ったほうがよさそうなハイキング道路ですが、私は未踏破。金沢海道から十二所へ、車の道はよく通りますが、もっと山の中、鎌倉霊園の向かい側の山中を歩いていくことになる。
名越切通 鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つ。こちらも険しそうですが、地図を眺める限りでは見どころ満載。私はまだ未踏破。マムシに注意したほうがよいそうです。
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