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真鶴から安房へ、頼朝七騎落ち 吾妻鏡の今風景08
石橋山の戦いの後、しとどの窟(いわや)に潜んでいた頼朝一行は、真鶴の浜(現在の岩漁港)へと向かう。この時、従っていたのは九騎。騎馬ではなく徒歩だけど、馬に乗らずとも騎馬武者は、騎と数えるらしい。
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まず安達盛長(昔からの従者)、岡崎義実、土屋宗遠、土肥実平、その息子の遠平。そして新開忠氏。新開一族は、渡来人の秦氏の子孫。忠氏の息子(養子)の実重。実重の実父は土肥実平。それから田代信綱。伊豆国司を父に、伊豆豪族の狩野茂光の娘を母に持つ人物。
実重は頼朝の船出を知らせに鎌倉へと向かったので、八騎となる。全員が船に乗り込むが、頼朝は父の義朝がかつて八騎で落ち延びて討たれたことから八騎を不吉な数と恐れ、岡崎義実を下船させようとする。しかし岡崎義実は息子の佐奈田義忠を亡くした今、船から降りることはできぬと主張し、土肥遠平を降ろして出港。
船から降りた遠平は敵に囲まれるも、敵方にいた和田義盛に助けられるというストーリーが、能の「七騎落(しちきおち)」である。
いや、ちょっと待って。敵方?和田義盛がなぜそこで平家方に?(どこの和田義盛? 困りますよ~、こういう歴史的事実を誤認させるような創作物は。和田義盛は、衣笠城に籠って、久里浜から暴風雨の中を安房をめざしたと思いますが。)
縁起を担いで遠平を下船させ、敵の真っただ中に置き去りにするという、なんたる非道!と憤ってみたけれど、これは史実ではない、ということで。
つまり、実際は八騎全員が船に乗り込んだのではないだろうか。(たぶん)。そして、安房をめざして船出した。
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湯河原、真鶴の住民(浦人)は、頼朝をしとどの窟にかくまい、さらには
船出にも協力したと伝わる。
頼朝は、しとどの窟を木で覆い隠した者には青木、食事を提供した者には五味、見張り役をした者には御守(おんもり)を名乗るようにと告げ、この名字はその後も伝えられて真鶴三名字と呼ばれている。
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八月二十六日は嵐で海が荒れており、久里浜から安房へと向かった三浦軍は嵐に巻き込まれた。(そこで和田義盛が遭難しかかったという話が伝わっている、断じて義盛は平家方にいたわけではない。)、が、二十八日にはすでに嵐はおさまっていたので、頼朝一行の船出は順調であったと思われる。
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吉川英治の『新・平家物語』では、頼朝一行は真鶴の浜から早朝に船出したことになっているが、船出の時間の記録は残っていない。船を出す好機(いわゆる潮時)は、満ち潮のやや後。そうすれば、引きはじめた潮が、船を一気に沖合に連れて行ってくれるので。
満潮の時刻は、月が東もしくは西の水平線にある時。干潮は月の南中時とその反対に月が北中した時となる。
月齢28の日の小田原付近の満ち潮について「国土交通省 気象庁」のサイトで調べたところ、満潮は朝4時半前後と夕方16時頃。明け方近くの東の空に28齢の細い月が昇ってくるあたりで潮が満ち、その12時間後、月が西に沈む頃にも(月を肉眼では眺めることができないが)、潮が満ちる頃合いとなる。
吉川英治『新・平家物語』説に従うなら、日の出に伴っての船出であったろう。
が、もしも夕方の満潮時の半時ほどあと、引き潮のはじまりを狙っての船出とするなら、暮れていく夜の闇に紛れて、安房をめざすことができるだろう。岡崎義実(三浦悪四郎)も土井実平も、海辺に暮らす者として風や星を読む術は当然、知っていたであろうから、夜の海を安房へと向かうという選択をした可能性が高いのではないだろうか。
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旧暦八月二十八日といっても、この時、二十四節気では秋分直前の白露の頃、深夜過ぎには東の空からオリオン座が昇ってくる。オリオンの三つ星は東から昇るので、船乗りや旅人たちが、方向を確認するのに使った。真鶴から三浦は東にあたり、三浦の岬の灯りを頼りに、まっすぐ東へと進み、深夜過ぎに昇ってくる三つ星で、東を確かめてさらに進めば、安房へとたどり着くことができる。
なお、オリオン座のリゲルはその白い色から源氏星、ベテルギウスは赤い色から平家星との名称がある。 (秋月さやか)