ライヴラリはなぜ崩壊したのか #演者軽視の末路

2023年10月、ライヴラリは崩壊した。
Vのオタクたちは「演者を軽視したからこうなったんだよね」と語る。
同業者たちは「草野と創業したのが運の尽きだったね」と論評した。

違う。

ライヴラリは自意識と承認欲求の際限ない膨らみのなかでうねり輝き、その末に弾けて消えたのだ。

ディレクターの草野は脚本家としての才能、それによってスタッフと困った娘を引っ張っている自分という像だけを大事にしていた。そして彼自身がVtuberの演者としての自意識を持っていた。
演者から取引先まで誰彼かまわずマウントをとって蛇蝎のごとく嫌われていた。それは彼の小、中、高、大と一貫して続く在り方だった。学生サークルの先輩は草野を「みんなの嫌われ者/コップの中の嵐を世界の全てだと思っている人」と評した。私自身、「草野の面倒を見ている罪」で縁が切れた古い友人は二桁にも及ぶ。

演者たちもこだわりが強く他者を認識しない世界に生きていた。その自意識と承認欲求たるや草野といい勝負だった。かつての同僚曰く「世界をゲーム画面の向こう側、他者をNPCと思って接している」などなど。あるいは知人曰く「世界を恋愛ゲームと勘違いしている」などなど。
そんな草野と演者たちはいつも揉めては人格攻撃を繰りかえしながらも互いを利用しあっていた。歪んではいたが、間違いなく補完関係にあった。

この事務所は面子と情緒と妄想と承認欲求をミキサーでかき混ぜて、いつも不安定だった。2018年10月、千駄ヶ谷駅前のエクセルシオールのテラス席で草野と演者がつまらない理由で怒鳴りあったあの日からずっとだ。
だがそれでよかった。強い者同士が否定しあってフラストレーションをぶつけて傷つき傷つけられること過程こそが彼らのエネルギーだ。これが彼らなりの加速手段だった。
そこにあったのは"演者を軽視するスタッフ"、"クリエイターをリスペクトできない演者"なんていう陳腐な言葉ではない。むき出しの自我と自意識を押し付け合うジャングルだった。

競い続ければ必ず勝者と敗者が生まれる。
嫌われ者としても強かったのは草野だった。早々に心が折れた演者のひとりは「自分の守ってきたタレントを未来に引き継いで守って欲しい」と言い残して辞めていった。
残った演者も草野に対して言いがかりをつけては言いまけるうちに恨みを募らせて去っていった。言いがかりのかなりの部分は、草野があらゆる物事を正常に処理できないことへのストレスも多分にあったように思う。
蠱毒を生き残った草野であったが、その後は精神的に病んで仕事を辞めた。演者たちもまた彼の精神に深刻なダメージを与えていたのだ。業界内での転職をはかるも、かねてよりの他社に対する横柄な振る舞いは広く知られていた。彼を採用したがる人事は誰ひとりとしていなかった。草野の面接を偶然にも担当した知人は「アレは組織のガンだね」と一笑に付した。

こうして彼らは去っていった。
そして2023年11月からの経緯はご存じの通りだ。

ライヴラリはどうしようもなく愚かで、汚く、そんな困ったあいつらが時折強い魂の輝きをみせる場所だった。
私はその輝きが好きだった。 圧力のなかで共振し、強く輝く魂に触れるたびに私の魂も震えた。
経営者としては、もっと上手くやる方法もあったのかもしれない。 衝突を避け、早々に落としどころを見つけて、それなりのものを世に出すことも出来たのかもしれない。
しかし私はあの輝きをずっと見ていたいと思ってしまった。
あの輝きに触れるために、私もまた彼らが放つ強すぎる力場の中心ですりつぶされていた。
だが、そこに後悔はない。
草野は愚直に自分を貫いた。
演者たちも人生を変えるために熱狂のステージを通して何者かになろうとしていた。
あの日々はむき出しの情熱だった。

草野、2018年の年末のお前の言葉を今でも覚えている。12月29日26時、場所はセバスチャンが管理していた元浅草にある岡田斗司夫のスタジオ跡地だった。
君と演者との関係が致命的に悪く、それを問題視した私が声優交代を迫ったとき、君は「契約を続けさせてほしい。彼女の可能性に自分は全てかけたい」と語った。意志があった。輝きを感じたよ。

草野と演者たちの放つ輝きに何度も助けられた。
みんながいたからライヴラリを続けられた。
そしてそれはファンであるオタクさえも例外ではない。
一生懸命絵を書いたオタクの想いが、病気で参加できない献血イベントに顔を出したオタクの愛が、北の地で出会ったオタクの涙が、港町で語ったオタクの思い出が、オフ会にコスプレしてきたオタクの情熱が、休みがちな推しを心配してうなぎを送ってきたオタクの優しさが、その全てが自分の中には刻まれている。

彼女が事務所を去る最後のとき、恥ずかしながらほんの少しだけ泣いた。後藤が横にいたからほんのちょっぴりにしたけど。あのときの涙がなんだったのか、今でも自分には分からない。
演者たちと結託して草野を追放した事務所で凡庸で安易な活動をだらだらやってもよかった。
草野と結託して演者のいなくなった世界でもっと汚いサブカルをやってもよかった。

だが、どっちも選ばなかった。なぜならライヴラリはオタクたちのために存在していて、行き場のなくなった彼らの想いを受け止める必要がある。それが茨の道であったとしても。
そこがわからない奴らにライヴラリを語ってもらいたくはない。

俺はまだ続けることにするよ。これから生まれる輝きに触れるために。

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