「最強のxx」の最強感のなさ
「最強のxx」というキャッチフレーズに少々食傷気味なのは自分だけでしょうか。ちょっと前に、地元の駅前にできたフルーツサンド屋さんの記事を書きました。
開店早々でまだWEBサイトでも情報がなかったので、いっちょコメントしてみようと思ったのです。
そのお店にも「最強の」は使われていて、「最強のフルーツサンド」と書かれたのれんが掲げられているのが、わざわざ気にし始めたきっかけです。
フルーツサンドって、ふわふわして甘くて癒されるもの。別に最強のおいしさでなくても、期待通りのおいしさで良い。
仕事で遅くなっても開いているので、何度か足を運んでいます。が、そのたびに「どういう思いで最強のってしたんだろう」と、毎回モヤモヤしながら購入しています。
年を取ったからか、マーケティングの会社にいるからか、黙って買えばいいのに色々なところが気になる今日この頃です。
思えば、おいしさ、すごさを伝える方法として特定のジャンルの食べ物に「最強のxx」「究極のxx」を枕詞をつけて、そのジャンルにおいての頂点を宣言する(??)というのは、今やよく見る表現になったなと思います。
ばかりか最近では、「特徴がないから言葉のインパクトで勝負しているのかな」とすら感じます。
なので、中身で勝負できるのに今やパワーワードではなくなった、「最強の」という修飾語をつけてしまって逆に凡庸になっている感が否めないのは、残念な気がします。
話は少しそれますが、一昔前、恵比寿に「俺のハンバーグ 山本」というお店があって、よく通っていました。東京駅のお弁当にもなっているミート矢○より個人的には好きです。
そのお店が今は「山本のハンバーグ」になっています。
最初、同じお店だと思わなくて、しばらく行かないうちに閉店してしまったかと思いがっくりしたのですが、名前が変わっただけとわかってほっとしました。
かつてあった「俺の」乱立問題
俺のといえば、俺のフレンチ、俺のイタリアン、俺の割烹などなど、「俺の株式会社」の展開するチェーンが東京では有名だと思います。(俺のハンバーグ山本さんは「株式会社 俺カンパニー」)
そればかりでなく今や「俺の」で検索するとどれが山本のハンバーグなのかわからないほどお店が表示されます。
「俺のハンバーグ」は「俺の」の先駆けだったはずなのに、なぜ自らそれを外すことにしたんだろうと気になって検索すると、スバリ山本社長さんのインタビュー記事があがっていました。
その中でこんな言葉がありました。
俺のを名乗るお店が増えてきて、山本と同系列だと誤解するお客さんが増えた。これ以上混乱させたくないというのが理由とは。。。
商標の問題もあったようだけれど、自分がはじめに名乗ったものがみんなに真似された時に、それを手放すという決断ができるからこそ先駆者になれたんだろうなという風に私は理解しました。
浅草ならではのあの商品にも
浅草といえば和菓子で、和菓子といえば抹茶系のものも多いです。
TVでも取り上げられすでに有名な「世界一濃い抹茶」をうたうお店があるのですが、それを知ってか知らずか、「宇宙一濃い抹茶」を掲げているお店を発見。
検証はしていないはず(当たり前)なので、「それくらい自信があるよ!」ということだと思いますが、見た時は苦笑いでした。
「最強」とか「究極」も、今は単なるお店の意気込みって思うと、ちょっとすっきりするのでした。