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【自己紹介|♯2】 地方大学時代の思い出

【自己紹介①】を読んでいただきありがとうございます!
まだの方は下記から是非お読みください🙇‍♂️

第2弾である今回は、大学時代を綴ります。

長くなりますが、是非最後までお付き合いください。

僕は、北陸大学の事は大好きなので、僕が活躍する事で少しでも力になれたらと思っています。
Twitterなどで引用しツイートしていただけると横山は大喜び致します。
よろしくお願いします🙇‍♂️

北陸大学に行って一番よかった事は、妻に出会えた事です。
妻は北陸大学のサッカーグランドのクラブハウスでバイトとして働いていました。
同級生だったのもあって話すようになりましたが、
最初は友達にしか見られていなかったんですよね。。笑
僕がずーっと追っかけていました。笑
まぁ、馴れ初めについては需要があれば、気が向いた時にきっと書きます🧐

大学時代

北陸大学フットボールパークにて 2018年に撮影

石川県金沢市にある北陸大学へ進学した。
北陸大学のサッカー部は、関東や関西の大学に行ったらBチーム以下になってしまうような選手が集まって、
「全国大会で一泡吹かせてやろうぜ!!」という大学だった。

北信越大学サッカーリーグの1部に所属していた。
北信越は1部リーグの中でも力の差は激しく、チーム数も少なかった。
北信越リーグでは強いが、全国大会では当時まだ1勝もできていない、そんな大学だった。

大学へ入った時は、「ヴェルディユースから来たやつがいる!!」そんな雰囲気だったと思う。
一発目の紅白戦でBチーム(FC北陸として北信越1部リーグ所属)の新4年生が明らかに削りにきた。
ヴェルディユースってだけで生意気に見られるらしい😂

大学時代は、僕にとって人生のものすごく重要な時期だった。
プロサッカー選手になるために、
何をしなきゃ行けないのか。ずっと考えていたと思う。
高校時代は精神的に、まだ子どもだった。
大学時代で、自己を形成していったと思う。
横山暁之という人間の7割くらいは、北陸大学でサッカーに明け暮れる毎日の中で作られている気がする。
いままでで一番ギラギラしていたし、自己中心的で、まず自分の利益を考えていたし、色んな人に迷惑もかけたと思う。

北陸大学は、サッカーにおいて世間から見たらよく知られていない大学で、もっと強い大学はいくらでもある。
全国大会に出て、関東の大学と勝負するんだ!
自分はチャレンジャーなのだ。
そういう意識は高校時代にはなかったと思う。

日曜に試合をしてその日の夜行バスに乗って9時間。
月曜の朝に東京について、パーソナルトレーニングを受けて、また夜行バスに乗る。
火曜の朝に金沢駅に着いて、そのままグランドへ行って朝練に参加する。
これを月に一回のペースでやっていた頃もある。

サッカーの映像を夜遅くまでミスドでみんなと見て、サッカーについて語ったりもした。
焼肉を食べながら、小皿でフォーメーションを組んで戦術も考えている人もいた。

育成年代の指導

大学2年から、北陸大学の社会人チームに当たるFC北陸の下部組織でサッカーの指導を始めた。
当時の小学5年生を担当した。
1人で全てを任せてもらえた。
大学のスポーツコースで学んだ内容を活かして、週に2回のトレーニングメニューを考える。それが楽しかった。
たまに、週末の試合の映像を編集して、小学生に見せたりするのも楽しかった。

小学生も大学生の試合を良く応援してくれていたし、
保護者の方々も応援してくれた。
地元の子どもたちと触れ合うのは、その地域の文化を感じる事もできた。
いろんなコミュニケーションを増やしてくれて、僕の世界を広げてくれたと思う。

今でも連絡をくれる選手もいるし、SNSで繋がっているからみんなが今どんな高校生活を送っているのか少しわかるのは嬉しい。

サッカーをまだしている子もそうでない子に対しても、
僕がこれから1人の人間として、生きるモデルとなることが一つの使命だと思う。

サッカーを続けてくれる子がいる限り、プロの世界で一緒にサッカーをすることも僕の大きな一つの目標である。

大学の仲間

大学時代の仲間とは、
寮での私生活、大学の授業、部活の練習と、1日中ずっと一緒だった。
サッカーをしている時間より、それ以外の時間の方が長かった。
それもあって、ありのままの自分を普段から出せるようになったと思う。
プライベートの些細な事まで共有した。
みんな頭のネジは確実に1個以上外れていて、例えば素っ裸で人のベットに入ったりするやばいやつもいたけど、
サッカーに本気で仲間思いで、最高の仲間に出会えたと思う。
(真面目な人もいました。)
みんなに出会えただけで北陸大学を選んでよかったと思える。

大学時代の主要な大会とその結果

大学の時の主な大会は、3つあった。
まずは、北信越大学サッカーリーグ。
1年間通じて行われ、優勝すると12月に行われるインカレへ出場する事ができる。
2つ目は、夏の総理大臣杯。トーナメント形式で行われる北信越予選で優勝すると全国大会に出場できる。
3つ目は天皇杯。石川県代表チームを決定するトーナメントで優勝する事ができれば、本戦でプロチームと対戦する可能性もある。

この3つの大会で全国大会に出て、自分の名前を売っていく事がいつも目標だった。

初スタメン初ゴール 第3節vs富山大学
(ちなみにアシストをしてくれた武井くんは現在メンタルコーチとしてサポートしてくれている)
人生初のハットトリック。

北陸大学に進学して、1年目は思い描いていた通りだった。
夏の大臣杯も冬のインカレも出場し、北陸大学では初の1回戦を勝ち進んだ。
天皇杯では、本戦でジュビロ磐田と対戦した。0−1で敗戦したものの、内容は悪くなく、手応えもあり、自分の進む道に少し自信を与えてくれた。
しかし、2年目以降全国大会の出場は、天皇杯のみだった。
ただそれでも常にサッカーと向き合い、少しずつ着実に成長していたと思う。

2018年北信越大学サッカーリーグ 得点ランキング
現在チームメイトの矢村くん。
驚異的な数字です。。

就活始まる

大学4年になり、本格的に今後の進路を考え始めた。
僕はサッカーを続ける事しか考えていなかった。
なぜか自信だけはあった。
でも、全国大会にも出場していない、デンソーカップの選抜チームにも選ばれていない。
そんな無名な僕は、大学の監督のつながりを頼りにJクラブに練習参加をさせてもらってプレーを見てくれないかと売り込むしかなかった。
運よく、いくつかのチームに練習に参加されてもらったが、
いい回答は全くもらえなかった。
そんな中、2018年8月23日に、リーグ戦で膝を怪我してしまった。
半月板の損傷。
傷の入り方が悪く、切除ではなく縫合しないといけないと言われた。
縫合するとなると全治6ヵ月。
復帰の目安は2月だった。
でもサッカーを諦めて、就職する選択肢はなかった。
2月に復帰して、入れるチームを探そう。
そう思い、まず怪我を治すことに専念した。
手術が近くなった時、大学の先輩からLINEが来た。
Mr.Childrenの「GIFT 」の2番の歌詞を君に捧げると言ってコピペで送ってくれた😂笑
その先輩とは今でも仲が良く、
現在は、サッカーの切り抜いた動画を送ってくれたり、アドバイスをくれる。
僕が一方的に個人の分析コーチに任命している。

結局復帰は3月になり、怪我から復帰したが、そこからチームを探しても見つけることはできず、卒業式を迎えた。
そして、無所属期間へ入っていく事になる。

冬はこんな感じで練習していた。
北陸大学の同級生

今回はここまでになります。
最後まで読んでいただきありがとうございます😊

次回は、無所属期間と藤枝MYFC加入後を綴ります!

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