一緒に学ぶことの価値
先日2本目のポッドキャストをいま研究室に所属している院生と収録した。彼のポートフォリオに書かれていた一つのデザインマインドに僕自身が気に入って、研究室紹介でも使わせてもらっているフレーズを話題にして話してみた。noteでもそれ以降に考えたことを書き記しておこうと思う。
ともに学ぶこと
この学生を中心に研究室内のコンピュータースキル向上を目的としたハンズオンの勉強会を企画して昨年度から実施してきて、今年のプログラムの議論を進めている。RhinocerosとGrasshopperという3DCADとそれのプラグインのビジュアルプログラミング言語を中心にやっているが、学生の多くはこれまで手作業でやってきたことを一部コンピューターに任せて効率化して楽することをイメージしているようだった。もちろんそういう側面もあり、効率化して楽することは間違いではないと思うが、それで持続的に「学ぶ」ことにつながるのだろうかと問題提起をしてくれた。
大学研究室という組織は企業と異なり、組織を主宰する指導教員は変わらないが、所属する学生たちは最大でも3年くらいで完全に入れ替わり非常に流動性が高い。うちの学科は学部3年後期から研究室に配属されて、学部卒ならば1年半、大学院まで進学すれば3年半という時間を過ごすことになる。研究室で過ごす時間のなかでは、プロジェクトに参加したり自分の卒業研究や修士研究を取り組んだり、同時に授業の課題があったり、日常生活を含めたプライベートでの活動があったりする。とても忙しい。
ただこの研究室という組織は、大学生活の中で一番濃厚な時間と経験をできる場であることも確か。学年や教員という立場を横断した「同志」としての関わりが生まれ、卒業・修了後も関係が続き、先生だけに留まらず、直接時間をともにしたメンバーはもちろん、同門意識なのか会ったことのない先輩や後輩にも親近感が湧いたりする。この感覚は「ともに学んだ」ことによる感覚であり、研究室にかつていたメンバーたちが残していった知識やノーハウの蓄積あるからではないだろうか。
より楽にだけではなく、より遠くへ
人の流動性の高い研究室内のなかでどんな知識やノーハウが蓄積していくのだろうか。卒業研究や修士研究は置いて行かれるので、その内容は脈々と後輩たちに引き継がれているのは確かにある。ただ放っておくとその時々で途絶えていまうものも少なくない。特に「技術」の部分はかなりの部分は個人に依る部分が多く、個人で新しい技術習得に一生懸命な学生は新しいことにチャレンジするが、その学生が卒業・修了してしまうと技術は途絶えてしまう。
研究室を主宰する指導教員はずっといるのだが、そこを基点にして技術を継承していくこともできなくはないが限界がある。ではどうやって継承していくのか議論をしているときに提案があったのがラーニングプログラムだった。技術習得なんぞ、昨今は様々なチュートリアルがYouTubeなどに無数に上がっているので個人で必要に応じて勉強すればいいという考え方もありそれは否定しない。では、研究室でやる動機は何かと考えている過程で生まれたビジョンが「より楽にだけでなく、より遠くへ」であった。
研究室という組織の流動性の高い特性を利用して、近い学年の学生たちが「ともに学ぶ」環境や仕組みになった。何かやるための技術の習得に限らず、この技術を習得することで今まで見えなかった新しいアイディアに到達することを願ったプログラムである。そしてその先にある新たな世界との出会いが待っていると信じて。研究室内でやることで、次々入ってくる学生たちに技術を伝承していき、ともに学んだ時間と経験が研究室という掛け替えのないコミュニティーに対する帰属意識も生まれると思っている。そして、それが研究室をより遠くへと導いてくれるのではないかと期待感あふれる良いプログラムになっていくことを願っている。
教員はその志を絶やさないように、学生に寄り添い応援し、ときにサポートしていくようなスタンスがうちの研究室の特徴なのかなと感じる。それを学科組織にも訴求していけるような仕掛けをいま考えている。一つの小さな研究室からの取り組みが何か全体の大きなうねりになるように育てて行きたいと思う。
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