「ぼくと彼の夏休み(6)」
隣の部屋で物音がする。祐人が浴室から戻ったのだろう。ぼくはベッドに寝転んで、ぼんやり考えごとをしていた。台風の音とは対称的に、ぼくの心はひどく沈黙している。
本の世界に閉じこもり、他には何も必要ないと思っていた自分の中にも、生への渇望はちゃんとあったのだ。祐人の部屋を見た時、ぼくはそれに気がついた。望むものなど何もないなんて、嘘っぱちだ。ぼくは何もかもを欲しがっている。
その事実は、少なからずショックだった。自分のすべてがひっくり返るような、大どんでん返し。これは、認めるしかないのだろうか?
階下から、トウコさんが呼んでいる。台風の音に負けじと、朗らかなハンドベルがお屋敷中に鳴り響く。これは、昼食が準備できたという合図。
ぼくは祐人を待たず、食堂に向かった。焼きたてのスコーンとクロデッドクリーム、苺ジャムなどが用意されていた。
おじいちゃんが席に着き、先に食べはじめる。ぼくは、祐人が来るのを何となく待っている。トウコさんが紅茶を注いでいる間に、祐人もやって来た。白いシャツを素肌に羽織って、清々した顔をしている。
「雨漏りはだいたい直ったけど、また別のところから漏れるといけないから、じいちゃんは向こうの家で食事しますって。」
祐人がそう言うと、トウコさんはあらあらという顔をして、ジロさんのために出したティーカップを戸棚にしまった。
トウコさんのスコーンは、さくさくしてとても美味しかった。「小腹が空いた時のために、キッチンの大瓶にたくさんストックしてあるのでいつでも食べてね。」と告げると、彼女も食べはじめる。
おじいちゃんは相変わらず、本を読んでいる。大判の美術書が、テーブルクロスの端にかろうじて載っかっている。
祐人はスコーンにたっぷりクリームを塗ると、大口を開けてほうり込む。トウコさんは彼の食いっぷりを、たのもしそうに眺めている。
ぼくはと言えば、食指が働かない。ちょっとだけクリームを塗って、ちょっとだけかじると、また動きが止まってしまう。
「ごめん、もういいや……」
ぼくがそう言って席を立つと、トウコさんも祐人も不思議そうな顔で見送った。おじいちゃんは、ぼくの方をちらっと見ただけで、またすぐ本に視線を落とした。
部屋に戻っても、やることはない。本を手に取るのは、もうあきらめた。台風の音に耳を傾けながら、台風が去るのをただひたすら待とう。
気がつくと、しばらく眠っていたらしい。台風は目の中に入ったようで、風の音が心なしか穏やかになった。ふと隣を見たら、祐人が寝ていた。いつの間に入って来たんだろう?
静かな寝息を立てて、祐人は寝ている。その様に安心して、ぼくはまた目を閉じた。