[日記]2022年3月20日(日)晴れ:「日記というものは何でこんなに面白いんだろう」
昨日、ぼくのnote記事をわざわざ購入してまで読んでくださった方がいた。それで、ちょっとだけモチベーションが上がっている。我ながら、単純である。
それで、日記を始めることにした。思い立ったが吉日というじゃないですか。まあ、誰にも読まれないかもしれないけど、思いついた時に思いついたことを書いていけたらと思っている。
これまでも、様々なSNSやブログやホームページに日記を書き綴っては、いつも中途半端なところでやめてしまっていた。そういうことを、もう何度かくり返している。3日坊主とはいかないまでも、続くのは数ヶ月から半年くらいだろうか。
ある程度の文章量で毎日続いた日記ブログは、たったのひとつだけ。今もネット上に残っているので、興味のある方は検索してどうぞ読んでみてください。「何を書くか、何を書かないか。田中昭全、日々の記しをつけること。」まさにその通りなタイトルです。
そのブログを久しぶりに読み返していたら、ぼくが途中でやめてしまう理由がよく解った。日記という名前で長文の日誌を書いているのだ。今日はこれとこれとこれをした。記録であっても、考察ではない。それだから、続かない。
2009年から現在に至るまでいまだに毎日続いているのは、Twitterだけである。写真付きで、その日やったことや行ったところ、考えたことなどを1日に何度かつぶやく。日誌として使うには、これほど最適なものもない。ぼくの日常生活はそちらにダダ漏れなので、やはり興味のある方は検索してみてください。
Netflixに「アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ」というドキュメンタリープログラムがある。かのアンディ・ウォーホルは、電話で口述したものをタイプさせて日記として残していたらしい。ウォーホルが亡くなってから、それを書籍としてまとめたものが出版されている。この日記を、記録として残されている映像や写真や手紙などと照らし合わせながら、ウォーホルの隠された素顔を紐解いていこうという映像作品だ。これはかなり面白かった。久しぶりに「日記」の面白さを再確認できた。
後世のために残すというと大袈裟か。わざわざ読んでくれる見ず知らずの人が居るか居ないかはとりあえず置いておいて、いつか自分の親近者がこれを読んでくれたらそれでいいなと思う。そういうつもりで、記していけたらと思う。