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詩集「優雅な挨拶」 ii<阿呆> 野口儀道

<阿呆>





「絶望」


くだらなさ。
軽蔑や破壊を前にして
置き忘れられたやうな悲しみが
流れ落ちてゆく
うしろもみずに。

海のやうに拡がつてゆく俺。
絶望の眩しいやうな光の中で
針の先のやうにとがつた悔恨を残して。





「落下」


愚にもつかない悲しみと悲しみ

金貨と汚泥のむごたらしい海に浮んで

俺達の目

俺は静かに
何処へ下りてゆかう。





「いたみ」


放埒な心
新芽と新芽の間に目を覚まし
白い光や
こぼれ易い悲しみの中で
昨日拾つたうす青い木の実のまはりに
あはく衰へた身体をよこたへ
病のやうにあへぐ心や
ふるえる両手をさしのばす。





「咳」


そんな時
咳などしてはいけないのであつた。
何故なら僕はその時大勢の人の中にゐて
咳などしては
鼻の下から口の両脇へ見事にのびた僕の白髭が
口から飛出る唾と一緒にわびしげにゆれ
忽ち僕が人間だといふ事が解つてしまふのであつた。

あゝ
哀しいけど
確かにさうなのであつた。
そんな時僕は
俗つぽい人間共がするやうな咳などすべきではなかつたのであつた。





「水浴」


石の階段を下りていつて
冷めたいお茶碗で僕は水を飲む。

遠い牧場の草の中で
土にぬれて
僕の皮膚は
何か優しい洗浄を欲した。

冷たい水に浸って
白と黒の麝紋の模様に染め分けられた石の上を
年若い獣のやうに
あをむけになつたり
身をよぢらせたりしてゐると

昨日摘んだ野の花の思ひ出が遠く
薔薇の鐘のやうになり
抱きかかへた金色のももが
生毛にぬれて僕を悲しませた。

僕が上ると
五色に光つて水が散つた。

午前の光の中で僕は
鋭く切つた笛をもつて立ち
高い空と大きな岩との間に身を投げ
海のやうに詩(ウタ)を詩つた。





「衰弱」


青い河の上で僕がふつてゐるのは
電車の乗り換え切符だつた。

細長い救助信号のやうに
僕は片手にそれをかざして歩いて行つた。

そして
暗い河の中程まで来て
僕がかぢかんだ指先を離すと
それは冷い生物(イキモノ)のやうにヒラヒラ落ちていつた。





「悲しみ」


倒れるやうに悲しみにつかみかかると
海であぢさいの花が咲く。

鈍いざわめきの中で日が暮れてゆくと
急行列車を見送る小児のやうに
驚いたやうに去つて行つた一日を眺める。





「阿呆」


僕が歩いてゆく街々で
僕は阿呆だつた。
白い舗道で赤や黒の絵の具を頬にぬり
僕は道化師のやうに跳(オド)つた

人々は僕をみて
驚いたり
笑つたり
怪しんだりした。

僕はなんにも知らないで
陸を歩いたり
空へとんだり
海へもぐつたりした。

陸では黄金色して林檎の実があふれ
海で海藻がうなだれると
青い空で雲がとんだ

僕は何んともいへない美しい宝石を抱いて眠つてゐた

神様達は僕をねたんでいぢめに来た。

しかし冷い涙の海で
平な白い石の上に
あをむけにねそべつて
青空のやうな笛を吹いてゐる僕の姿をみては
神様達もどうする事も出来はしない。
僕はいつでも僕の涙を投げつけてやるのだ。

そして
涙も湧かないやうな日には
地球よりも大きい三枚の岩戸を押しとぢて
僕は暗闇の中で

美しい僕の瞳について
すべてのものよりも
ほんの少し大きい僕の瞳について
緑色のオウムのやうに繰り返すのだ。

これもつまらない
あれもつまらない。
これもつまらない
あれもつまらない。

すると朝になり夜になり
夜になり朝になり

どう仕様もない僕の身体の歩行だけが
さながら金色の円光に酔った
夢遊病者のやうに続けられてゆくのだつた。


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