「故郷平石に遊ぶ。」河田誠一
一、町汀曲浦海青く、山緑なる仁尾の郷、
稲田は深く耕され、塩田は遠く拡がりて、
勢充てり誰が家も。
二、沖つ波間の平石を、堅き心の友として
老も若きもなりはひに、いそしみ交わし睦じく、
暮すも楽しこの里に。
三、並ぶ鶴島亀島の、松より松に吹く風も、
千代万代声あげて、我が浦里の海幸を
今日も祝ふか燧灘。
三方山に囲まれ一方海に面した仁尾の町には平和な町歌が、夢の様に先輩の師、堀澤氏によつて歌ひ初められた。
幼時から今日まで、私は幾度あの平石に遊んだことであつたらう。寒い冬の月も雪も消えて長閑な春が来ると、物静かな油の海をすべつて海岸から約十三町許り離れた平石付近を遊ぶ客はおびただしい。そんな頃私がよく塩田の堤防を根気よく伝つて西の方に向くと、赤いパラソルの船や酔ひしれた人々の船が毎日五六隻以下を見たことがない。その頃の海は油のやうにとろとろとして、あたたかい春風が塩田の中に働く女人夫の姉さんかむりをなでて、沿岸の柳の木に消えるやうだ。長閑な船頭の舟唄が夢のやうに遠く耳に伝わると、私らは只さへうつとりして海の青聲を見てゐるのに、思はず堤防の草の上に寝ころんで眠りたい気がする。
舟を堤防につけて、私らは船に乗るやうな気持で前方の鶴島と亀島を見入る。鶴島は大蔦島、亀島は小蔦島と人は云ふ。大蔦と小蔦の間から、青く霞んだ伊吹島が、はるかに見ゑると、南の方には静かな……静かな春の夢のやうな海の果に伊予の突出た陸が見ゑ、そのこちらに九十九山が三角の握り弁当のやうにきちんと座つてゐる。それと東からわずかに続いた秩父峠の山の間に、懐かしい友の居る室本の人家があることがわかる。同時にふと思ひ出すのは峠を越ゑて学校から帰る雨あがりの日、クツキリと上る四阪島の黒煙である。
瞳を北に向けると、又山である。突出でた山の端は淡く霞んで見えない。ただそこに又三角形の九十九山位の島が見ゑる。その突出でた三崎と大蔦との間はただ水平線の彼方がない−水平線がない。
遅い汽船が時折規則的な響をのこして過ぎて行く。
*
塩田の堤防の真直な白煙を見、人夫の男女の徒然をなぐさめる声もいつか止んで、ただのんびりした空気を心行くばかり吸うて海に出るとき、右手に舷近くある洲続きの岩石の島は天神様と人が云ふ。青い松が生ひ繁つて、石段続きに上へ上がつて行く。秋とか初冬とか少し平石へ行き難い季節は、人は多くこの小な島へ遊びに来る。
平石は幾度行つてもあきない。よく遊客がこの付近で釣をして魚籠に沢山のぎざみやきすごなどを入れてゐるのを見る。私は幼い時、幼友達親類の人や、兄や、父や母やと平石に遊んだことが幾度あつたかしれないけれど、小さい時の記憶は、「あの白いまつしろい石が平石だ……平石のあの石の中にはきつと美しい女神が住つて居られるのだ。そして夜が来るとお灯をお点けになつて出られるのだ。」そんなことを考へては毎夜のやうに海辺に出て、その頃まだ出来てゐなかつた今塩田になつてゐるところの干潟に光る夜光虫を見ては、平石の付近の、大蔦島の付近の漁火を見たのであつた。
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五月十六日の朝早く私等仁尾三中学友会は十数名、平石へ来る百数十名の同窓を迎へる可く、朝まだ早く、干潟を歩んで、天神様の岩石の青苔を踏んで、ツルツルすべる足を支へ乍ら船に乗つた。二十許りの茶瓶や沢山の湯呑みや菓子やラムネや其他いろいろな準備物を危うそうに船に積込むと、船頭はやがて船を動かした。五月の朝の潮は静かだ。ザブリ、ザブリ、ギイー、ギイー、艪の音が悠長に響くと、船はやがて広い海に出た。小さく平石の影が大蔦の右に−北に見える。春の朝風が何時か生温くなつたと思ふと、日が柔らかい光線を海面一帯に投げて来た。九十九山は南方にかすむでゐる。空はあくまで晴れてゐる。塩田の堤防が後方に長く横はつてゐる。天神様を振返へる。庄内村のある北方の突出でた山がハツキリして清らかな朝の潮が白い。只一様に白い。そして舷から手を出して潮に入れる。
底が青い。気分がハツキリする。
気が抜けたやうに、形容のしやうがない程、壮快な気分だ。海、潮、山、島、岩、舟、すべてが美しい色彩に彩られるのである。
皆は、さざめき会った。それは純真な、平和な、若い者の心からの笑ひだつた。朝の潮がだんだんと青味を増してくる。
舟の進むにつれて、一同は黙つた。皆の間は、ただこの海の美、純然たる海の色彩、さわやかな気分によつて心がとろとろと解け合つた。舟の途途釣をする舟を幾つも見た。
平石に遊んだ人は第一にこの春の海の気に恍惚とさせられるものである。平石の美は往き帰りのこの海の美と、蔦島の奇石と緑陰と、白砂と、それらのすべてを語る島回りと、大きい広い白い平石に上つた時の心持と、付近の渺渺とした海とにあるのだと私は思つた。
船をすてて私らは白い可成り広い砂を踏んで松や其他名知らぬ沢山の木の生ひしげつた中に入り二尺巾の急な坂を上つて行つた。頂上へ着くと今度は下り坂だ。下り着くと、そこに一軒家があり、きたない二人の子供が畠の草を取つてゐた。その家に着くと広い海が見えすぎる程見えて、もう長閑な春の気分が襲つて体がだるい。
沢山の薪を背負つてボロボロの着物を着た四十近く見える女が帰つて来たところであつた。私等は乞うてそこで湯を沸した。三人が火を焚いて、他は皆木々や芽をかきわけて薪を拾ひに行つた。気が遠くなつた。
「来たぞツ!」皆は飛ぶやうに集つて来た。私はとまの上に立つた。皆も立つた。帽子を振つた。万歳と云つた。次第に船が近づいて来た。船が一しよになつた時、私等の船が見へ出て沢山の同窓の船を曳いた奇石−怒角をなした岩が出入りしてその美しさは形容のしようがない。やがて舟は平石に着いた。私等は、四国の気分、風景に圧せられて口が開かなかつた。
わざわざ来た友の顔を一々見た。「皆はどう思つたらうか?」誇らしい気分が、誰かを責めさせたいと思つた。が私等は皆黙つてゐた。
大蔦の北麓半町の距離にある平石は永久に動きそうにはない。東西九間南北七間面積は六十余坪だ。平坦な岩上は、数百人を座せしめることが出来る。南の方が低くなつて、舟をすてて上るのに便利である。大蔦の岩近く犬石が見ゑる。本当に犬の通りである。少し前に−四五年前に一尺五寸程あつた尾が五寸許り折れたが、そんな事は関係ない。私等はこの天然の大岩石が水中に平く出てゐる上であちらへ走り此方へ飛びしてゐる。やがて私らは別に準備のために先に大蔦の宮ヶ浦に引返した。そして出来る限り早く準備した。
沢山の湯が準備せられた。
間もなく船が帰って友が上がって来た。
お昼近いので食事になつた。
各自は島のすべてを征服した。島の頂上から私等の来た海面を見た。塩田の煙があどけなく上つて行く。小さな人夫が見える。青い海の畳の上に、釣の舟が見える。
小蔦の前方にずつと細長い洲が曲りくねつて、潮をすかして見ゑる。白いかもめが十羽程水をくぐりくぐりしてゐるのが一際目立つた。四国皆長閑だ。
いづこともなく長閑な舟唄がきこへて来た。
時間がたつた。一日を楽しくすごした私等は、午後四時頃だつたと思ふ。又舟にのつて帰つていつた。
可成りの努力を惜まなかつた仁尾校友会は、生徒や先生方が満足して帰られたであらうことを想像し、少からず任を果しゑた幸福を感じた。ただ惜しかつたのは奇岩怒立し起伏し白砂を洗ふ波に美しい島回りをする時間がなかつた事であつた。−完−
備考)河田誠一が香川県立三豊中学校に在籍していた15歳の折、校友会誌「巨鼇」第22号(大正15年昭和元年12月発行)に掲載されたエッセイ。