[日記]2022年3月22日(火)雨:「夜みる夢こそ現(まこと)と書いた作家がいたっけ」
最近、夢をみることが多い。新居に来てベッドを変えてから、比較的ひんぱんにみるようになった。しかし、疲れはとれているので目覚める直前にみているのだろう。レム睡眠。浅い眠り。
今日みた夢は、ホームセンターで迷子になる夢だった。ここのところウッドデッキをDIYで作ったりしていたせいだと思う。材料を買うために、何度もホームセンターに足を運んだから。
しかし夢の中のそこは、実在するホームセンターではなかった。薄暗いスレートの倉庫に、様々な商品が置いてある。目当ての商品を探しているのだけど、その商品棚にたどり着くまでが立体迷路のようになっている。なかなか思うように抜けられない。そういう夢だった。
夢は昔から好きで、夢日記をつけていたことがある。最近では、Twitterに書き残す。それを習慣にしている。
夢と言えば、1984年に公開されたアニメ映画「うる星やつら2〜ビューティフル・ドリーマー」がものすごく好きなのだけど、あのお話の中でも夢がとても印象的に使われていた。胡蝶の夢という寓話を、まさに翻案したものと言えるかもしれない。
夢をみている自分は、夢の中の自分を自分と信じて疑わない。そしたら知覚できているこの現実も、実は他の世界で暮らすまた別の自分がみている夢ではないのだろうか。先述の映画でも、夢の中で夢をみる、またその夢の中で夢をみるという、何重もの『入れ子構造』になっていた。これは、よくよく考えてみたら怖い。
だからぼくは、あまり深く考えないで夢を楽しむ。あり得るかもしれないもうひとつの並行世界に生きている自分。それをちょっとだけ疑似体験できると考えたら、遊園地のアトラクションと何の違いがあるのだろう。だから、ぼくにとって夢とは娯楽である。
また、創作のヒントにもなる。普段の自分には思いつかないような、思考の反転やまったく別の視点に気づかせてもらえる。ぼくが夢日記をつけるのは、そういうヒントをひとつでもたくさん残しておきたいからだ。
黒澤明の映画に「夢」という作品がある。あれなんかもまさに、そういう『あり得たかもしれないもうひとつの並行世界』をまざまざと見せてくれた。黒澤監督がみた夢を映画にしたという程で語られるけれど、それはどこまで真実なのだろう。
考えてみれば、映画や映像そのものが、人工的に生みだされた「夢」なのかもしれない。一介の映像作家として、そんなことをつらつらと考えている。