上がる⤴️人と落ちる⤵️人の違いって?
趣味の仲間が体調が悪いとの事で退会してしまった。
Aさんとしよう。Aさんは私よりずっと前からその趣味をしていて元気だったし、いつも家でも練習してきて楽しんでいた。
年齢的には確か今60才くらいだろうか...。
Aさんはご主人と娘さんひとり。
娘さんは結婚し子供は小学生。数年前から娘さんも
同じ趣味グループに入会し、今は私は娘さんとの接点の方が多い。仕事をしながら子育てもし、好きなこともしている、いわゆるバリキャリ??
娘さん、とても仕事が出来るのだろうと思う。趣味のグループでひとつの物を作り上げる時、彼女の発言はまるで仕事の会議や企画書のような物で、正直私はちょっと引くほど、真面目に物事に取り組む人だ。一方で、"1番大事なのは楽しむ事だねー" と言ってくれるリーダーには助けられた。
私がAさんと最後の方に話した事は、そんな娘さんの事を
" あの子、仕事も育児も忙しいのに、何でもやるやるって手をあげるでしょ。。。あの子じゃなくても他に出来る人、沢山いるのに。。。"
同じ親目線として、良くわかる言葉だったから
私は
" そーなんだよね。○○ちゃん、出来ちゃうから何でもやるって言うんだろうけど、1番忙しいのに。。自分で自分を忙がしくしてて....
やっぱりAさんも、そー思うんだあ。。"
そんな会話をした。
それを聞くまでは、Aさんも真面目だし、趣味でもちゃんと練習してくるし、だからあんなに優秀な子が育つんだなあ。凄いなあ。何でも出来て。。
なんて、体育会系ヤンチャ系な行き当たりばったり的な息子2人だったから到底コントロールなど出来ずに、でもまあ自立した大人になって良かったな。。位に思っている私とは違う親子だと思っていた。
そもそも親の出来が違うのだろうなあ。
なんて思っていたけど、母親としてのAさんは、私と同じような事を思っていた事がわかり、ちょっと安心したっけ。。
で、、、ある時からAさんが休むようになった。
1か月、2か月、、、半年、、1年。
月に2回しかレッスンは無いからあっと言う間に時は過ぎていた。
その間にフェーズアウトするみたいにAさんは退会していた。
そんなAさんが、私達のグループ発表会の時に、ご主人と一緒に観に来たのが久しぶりの再会だった。
その時に娘ちゃんから聞いたのは
"ひとりで電車に乗ってココまで来るのが不安みたいで、父も一緒に来る事になりました。普通に挨拶してもらって大丈夫ですが、ほんと体調崩してるんで、、、"
と言うものだった。
"電車に乗るのが不安"
これは私も経験した。ひとりで外出するのが不安。
私の場合は吐くほどの眩暈だった。
でも、あの時は、治さないと仕事に行けないし
私が仕事に行けないと収入が無くて生活出来ない。
(亡くなった夫は既に病気で、仕事はしていたけどあの時はもう私の年収より低い程度の仕事しか出来なかった)
私は、引き篭もるわけにいかなかった。
だから
病院にもふらふらになりながら一人で行ったし、あの時は夫にはもう頼れなかったし
私が夫を看ていたし。。
夫の事も家計の事も、家の中の細かい事も自立途中の次男の事も、そして自分の仕事の事も全て自分がなんとかするしかなかった。
だから、私は再生した。
色々な方法をしてみたし、少しずつ回復して行ったから、あれより悪くはならなかった。
次男を突然亡くしても、夫を介護して看取っても、
自分は共倒れになる事は出来ないと、それだけはならないよう、本当の鬱病にだけはなりたくない!
そう思っていたからか、今の悠々自適な生活がある。。
まるで嘘のような、嵐が去った後のように静かで
柔らかい太陽光が差した菜の花畑にいるような毎日を今、過ごしている。
Aさんに会った。
彼女から私にハグして来た。
Aさんは、動作がとてもゆっくりで、歩調も不安定だったし、手にハンカチを持っていて、しょっちゅう涙を拭いていた。鼻水も出るみたいだった。
言葉はちょっと舌が回らないような感じの話し方。
でも、言っている内容はその趣味グループの今後の事やレッスンの事だったから内容はしっかりしていた。
でも顔の表情が鬱病的なそれだった。
もしかして薬のせいなのかもしれない。
3か月入院したのだそうだ。。
正直、私の想定より悪い状態だったから、私はショックだった。
何がキッカケだったのか?
キッカケなど無くてもそうなってしまうのか?
もしや、薬によってより悪くなってしまったパターンか?
色々思ったけど、ひとつだけ、私とは決定的に違うことがあった。
それは経済的にも精神的にも頼れる旦那さんがいること。
それによって、彼女が崩れても支えてくれる人がいるから大丈夫なんだ。。
娘さんもしっかりしているし。
家族のバランスってあるんだと思う。
逆を言えば、うちの場合は私がいるから夫は崩れて行ったのか。。とも思うが、夫の場合はちょっと違ったので、私は夫自身には優しい妻では無かった。
全然過保護にはしなかった。
むしろ突き放していたくらいだ。
でも夫が倒れたら放置するわけに行かないのが家族の義務だ。
だからそー言う意味では夫には私がいたから、崩れても大丈夫だと思っていたのだろうか。
いや、自病を持ち初めて最初の頃は、夫だって頑張っていた。プライドがある人だったから。
一応、夫の名誉のためそれは書いておきます。
Aさんの様子を見て、私は何故落ちていかずにすんだのか。。と改めて自分を振り返ってみたりした。
私の方が絶対にそうなってもおかしくない状況だったのに。
何故再生出来たのか。
落ちる前からのモノの見方に違いがあるのかも知れない。
私は割と子供の頃から自分と会話していたし、物事を冷静に客観的に見ていた。
何か思っても、必ずもう一人の自分が、私を許してくれたし、慰めてくれていた。
次男の悲しみの時も、いつももう一人の自分が、
"しっかりしようね。最後までしてあげようね。
だから倒れる訳にはいかないよね"
そう言って自分の足で立つ事が出来ていた。。
でも、最近思う。
あの時、もう何も出来ずにいた夫だけど
(喪主の挨拶さえ、出来ないと言ったから、私がした)
ただ黙って私のそばにいつもいてくれた。
私が感情的になりそうな時には、それを察して
鎮めるような言葉をかけてくれた。
だから、立ち続ける事が出来たのだと思う。
決してひとりで立っていた訳では無かった事にも気がついた。
それでも私が落ちる訳には行かない状況だった。
逆に言えば、頼れ無い夫、支えなければならない夫がいたから、私は落ちて行かずに済んだのではないか。
そんなふうに思った。
Aさん....家族に守られて、助けてくれる人がいる。
Aさんのご主人が、あの時の私だ。
夫婦って先に病気になった方は助けてもらう人になる。Aさんのご主人もとても大変だろう。自分が落ちたら共倒れになるからしっかりしていなきゃ。って。。。
どうかAさんが良い方向へ向かいますように。。