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長女あーさんを妊娠した時の話①

わたしは高校3年生と高校1年生の娘たちの母なのですが
あまりお外ではなさなかった子育ての話とか子供を持つことの話を。

わたしは20歳の時に長女を出産しました。(厳密にいうと21の年)

当時はなんとなく世の流れが
晩婚・30前後もしくは過ぎてからの出産がメディアで報道されている時で、
いわゆる若いお母さんの虐待のニュースが横行している時でした。

わたし自身も特別子供が好きなわけでもなく笑
年齢が下の人たちと話すのも苦手でした。
(本当にひとりっこったぁ~よ~と思います笑)

当時もとっても自由に好きなことをして生きていたし、
2度目の海外留学をしたばかり。
父親である当時の彼とは、別れようと思っての物理的距離を置いたところでした。

当然のように、結婚?子供?そんなものは縁があるとも思っていなかったし、
『まぁ30過ぎてからっしょ』と本当に思っていました笑
なんなら、制限がかかるから持ちたくないとすら思っていました笑

でも!!!!
留学先で道やバス路線がわかってきて遊びも友達も充実してきたころに妊娠発覚。
語学学校にいたナオミという日本人サポートの先生に相談。
日常会話ができても、医療用語はわからないので病院まで付き添ってもらいました。

congratulation!!!!!!

あ、いや、ドクター?笑
まったくもってcongratulationじゃない笑
わたしは志し半ばで日本に帰るつもりなど、この先のビザ変更と帰省でしか帰るつもりがなかった。
だがしかし笑
ok.thanks.と言って帰ってくるしかなく。
その後まずナオミが先生の話した話をしてくれた。

どうしたい?妊娠はひとまず確定したけど…と。

あんなに子供はいらないな~と思っていたわたしは、
エコー写真に写った
子宮の中にみえた黒丸をみて、これを守らなくてはと思っていた。
まだ人の形にもなっていない絶賛細胞分裂中の黒丸の写真に、
赤ちゃんという生命を感じてしまったのです。
これが母性?ホルモンの変化?
病院に行き検査している最中までは、『頼む!!嘘であってくれ!!!』と思っていたのに。

ナオミの前には正直にすべて話した。
2人でなぜか泣きながら、
温かいお茶を持って、綺麗なcityが眺められるの階段で。

わたしは日本に帰るつもりなどなかったこと
守らなくちゃと思いながらも邪魔だと感じてしまうこと
じゃあわたしのやりたい事はどうすればいいの?とか
けどあの豆粒の写真を見て、産みたい気持ちも生まれているということ。

まぁ19、20歳の考えられることなど、たいしたことではないなと書いていて思う笑

ナオミは根気よく聞いてくれて、
時々身体をさすってくれたり、整理しながら。

そこで
ちょっとわたしの話をしていい?と彼女自身のことを話してくれた。

彼女は当時たぶん30代半ばか?くらいの方で、パワフルでクールなお姉さんでした。
そんな彼女は、
若い時に子宮の病気をして、もう子供は持てないんだと自身のはなしをしてくれた。

そして当時長く付き合った彼とナオミからお別れした話も。
若い二人はたくさん話し合いをしたそう。
子供を持てないことへのショックであったり、申し訳ないと思うこと。
闘病中支えてくれたにも関わらず、子供を持てなくなる身体になってしまったという後悔、無念。
それでも彼を愛していること、彼もそんなことよりも彼女を愛していること。
愛しているからこそ、あなたとの子供を望んでしまう苦しみ。
若かったナオミは、彼を愛していたからこそ
子供が大好きな彼には子供を持ってほしくて、お別れしたそう。

それから彼女自身は子供をもちたいと思うことから解放されて、
今はまたそういったこと全てを受け入れてくれるパートナーがいて、
とっても幸せなんだと。

そして
子供ができるということは、とっても奇跡的なことなのよ
わたしは持ちたくても絶対にできないし、勝手をいうけど
わたし個人としては産んでほしいと思うわ。

この言葉にどれだけ救われたか。
はたから見れば、ただナオミの話に感化されたようにみえるかもしれない。
けど、
あの時のナオミの話は、
当時のわたしのやりたかったことや迷いなんて
吹き飛ばすくらいの説得力があった。


その日のうちに産むことを決め、無事長女は地球に降り立つことに。

あの日、
ナオミがいなかったら、もしかしたら長女あーさんは誕生していなかったかもしれない。

産むことを決意したわたしはこの先も
心に刺さるいろんな出来事が起こるのでした笑

最後まで読んでくださった方、ありがとう♡
本当に嬉しいです!
長女を妊娠した時のドラマ。人生を変えた妊娠。
この後の母の話も記録したいので、②もお楽しみに♡

ナオミに感謝を伝えたいなぁ

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