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僕が母子ハウスを始めた理由 〜母子ハウスの今までとこれから〜 vol.03

 2012年3月。収益物件としては、全国で初めてとなるシングルマザーシェアハウス「ぺアレンティングホーム高津」がオープンした。なぜ、建築家である僕が、母子シェアハウスを立ち上げるに至ったのか。その背景を何回かに分けて書いていこうと思う。
 母子ハウスの今までと、これからを少しでも多くの人に知ってもらいたい。まだまだ、成長していかなくてはいけない事業だし、多くの人の助けと応援が必要である。
 2015年、母子ハウスのポータルサイト「マザーポート」を立ち上げ。
 2019年、母子ハウスの運営者が集う全国組織「NPO法人全国ひとり親居住支援機構」立ち上げ。
 そして、これから僕らは何を目指していくのか。

 3回目の記事になります。
 2回目と1回目の記事はこちらより。


シングルマザー専用シェアハウスの誕生前夜

  2012年3月神奈川県川崎市高津区にシングルマザー専用シェアハウス「ペアレンティングホーム高津」がオープンした。

 当時、収益物件としてシングルマザー専用のシェアハウスを運営している事例はなく、おそらく全国で初めての試みとなった。

 どうやって、シングルマザー専用シェアハウスが立ち上がったのか。そこにどのような経緯があったのか、思い出しながら書いていきたいと思う。


 事の発端は2008年まで遡る。

 当時、僕は務めていた建築設計事務所を辞めて独立したばかりだった。

 27歳。
 建築の分野では比較的早い独立だった。
 大学に在学していた当時から、漠然となるべく早く独立したいと考えていて、一級建築士の資格を最短で取得して、その年に独立しようと決めていた。一級建築士の受験資格を得ることができるのが26歳。一級建築士として登録できるのがその翌年になるので、27歳で独立というのは計画通りではあった。

 独立に備えて、勤務している時も「自分が独立した時にはどうすべきか」という視点を持ちながら過ごしてはいたものの、やはり自分で設計事務所を経営維持していくというのは、考えていたよりも厳しいし、苦労も多い。

 独立してまもなく、経営も営業も素人同然という現実を突きつけられた。 
 順序が逆なのではと自分でも思うのだけれど、独立してからようやく、建築設計事務所としてどうやって生き残っていくか。ということを真剣に考えるようになった。

 建築設計事務所の数は、徐々に減ってきているとはいえ、まだまだコンビニよりも、歯医者さんよりも圧倒的に多い。そして、人口減にともなって、国内の建築需要はどう考えても減っていく。ただでさえ小さくなっていくパイに夥しい数の事務所が群がるというのが、日本の建築設計事務所の実情だ。

 さらに、建築によほど興味のある方でない限り、ほとんどの人が著名な建築家の名前すら知らないし、建築家の存在を認識することもない。どうすれば建築家と出会えるのか、どうすれば建築家に仕事を頼むことができるのか、大多数の人たちが知らないだろうし、知りたいとも思っていない。

 数は多くあれど、圧倒的に一般的な認知度が低い。
 独立したての設計事務所なら尚更、世間から認知されているはずもない。

 僕も建築家なので、建築家の職能の素晴らしさ、能力の高さは心の底から感じているし、建築家が社会に対して示す事のできる可能性は大きく、豊かなものであると信じている。ちゃんと知ってもらえさえすれば、良い結果をつくりだすことができるという思いは強い。

 必然、どうやって多くの人に「知ってもらう」のか、ということが課題になった。
 そして、数多ある建築設計事務所からどうやって秋山立花を「選んでもらう」のか。

 当時、僕が出した答えは、とにかく人に会ってみることと、他の建築設計事務所がやっていない自分の事務所だけの特色を考えることだった。

 人に会うという部分は、ありとあらゆる異業種交流会という名がつく会合に顔を出してみることから始めた。奇妙なものや、何のためにわざわざ集まっているのか皆目わからないものも多かったし、完全にお金の無駄遣いだったなというものも多かった。しかし、それも勉強のうちだと考えて5年間ほど手当たり次第、参加をしていた。
 広報や広告に大きなお金を使えるような余裕はまったくなかったので、自らの時間を使って、とにかく人と会い、話をしないことには、知ってもらう機会がない。

 自分の事務所の特色を考えることについては、自分の興味関心がどこにあるのか、ということを突き詰めていくところから始めてみた。自分の心のアンテナがどのような領域、どのような事柄に反応するのか。暗中模索ではあったけれど、どうも「社会に存在する様々な課題」に反応することが多いなと感じた。その中でも「子育てと仕事の両立」に関して強く惹かれるものがあった。

 そこで、会う人会う人に「子育てと仕事が両立できる社会にするための活動をしたい」と、考えつくアイディアをとにかく話してみる。ということを始めてみた。人によって様々なリアクションが返ってきて、いろんな意見がそこにはあった。話し続けることで、どんな可能性がそこにあるのかということが、少しずつ少しずつ、頭の中で像を結んでいった。



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秋山怜史
読んでくださりありがとうございました。 いただいたサポートは全て『特定非営利活動法人全国ひとり親居住支援機構』の運営資金にまわり、母子家庭の居住支援を広めていくための活動に活用させていただきます。