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僕が母子ハウスを始めた理由 〜母子ハウスの今までとこれから〜 vol.04

 2012年3月。収益物件としては、全国で初めてとなるシングルマザーシェアハウス「ぺアレンティングホーム高津」がオープンした。なぜ、建築家である僕が、母子シェアハウスを立ち上げるに至ったのか。その背景を何回かに分けて書いていこうと思う。
 母子ハウスの今までと、これからを少しでも多くの人に知ってもらいたい。まだまだ、成長していかなくてはいけない事業だし、多くの人の助けと応援が必要である。
 2015年、母子ハウスのポータルサイト「マザーポート」を立ち上げ。
 2019年、母子ハウスの運営者が集う全国組織「NPO法人全国ひとり親居住支援機構」立ち上げ。
 そして、これから僕らは何を目指していくのか。

 4回目の記事になります。
 これまでの記事はこちらより。



石尾さんとの出会い

 ペアレンティングホームは、横浜でこどもの森ほいく舎という保育園、学童園を運営している石尾さん、そして川崎の不動産会社の社長(当時)としてシェアハウスの企画運営をしていた細山さんとの出会いから生まれた。

 石尾さんとの出会いは2011年5月26日。

 当時、参加をしていたビジネス交流会で名刺交換をして、その後、横浜市の建築局でばったりと再開した。

 Facebookで繋がらせていただくと、ちょうど石尾さんがご自身のシングルマザーである経験を次のシングルマザーに還元していきたいという内容の投稿をしているのを見かけた。

 この人だったら、良い話し合いができるかもしれない。

 と思い、すぐに連絡をとらせてもらった。

 この頃はちょうど、コンセプト型シェアハウスと呼ばれるシェアハウスが徐々に認知度をあげていっていた時期だった。ならば、仕事も子育ても両立しやすい住環境をつくるために、子育て向けのシェアハウスが実現できるといいのではないか。という話で盛り上がった。

 とはいえ、世の中にはまだ家族が住めるシェアハウスという存在はほぼ皆無であり、どのように道筋をつけて実現をさせていくかは引き続き課題として残っていた。


細山さんとの出会い

 ただ、手をこまねいているだけでは何も進まないので、僕の方で架空の建築のパースを描き、家族が住んで、みんなで子育てができる環境がある住まいのイメージを目に見える形にしてみることにした。

 何事も目に見えるイメージがないと、人はなかなか動かない。とくに今までになかったものだと尚更である。

 とにかく、できるだけ多くの人にイメージを共有して、少しでも共感してくれる人、賛同してくれる人をみつけることから始めようと話し合っていた。

 そこで、開催したのが、「子育てを共有するシェアハウスを語る」という座談会だ。

 僕が用意したイメージ図をもとに、子育てが共有できる住まいってどんなものだろう。子育てを共有することができる暮らしがあれば、もっと子育ても仕事も両立しやすくなるんじゃないか。そんな空想を参加者と膨らましていくための座談会である。

 そして、その場に参加者として来てくれたのが、細山さんだった。

 ちょうど細山さんも自身の経営する会社のスタッフにシングルマザーがいて、子育てをコンセプトにしたシェアハウスができないかと考えていた。そんなタイミングで座談会を知って、参加してくれることになったのである。

 さらには、シェアハウスにするために改修工事を始めようとしていた物件のコンセプトを何にするか決めかねていたという、なんとも都合の良いタイミングでの出会いだった。

 こうして、日本で初めてとなるシングルマザー専用シェアハウス「ペアレンティングホーム高津」のメインキャストが顔を揃えることになる。2011年11月のことだった。

 ちなみに、石尾さんと出会った日は僕の誕生日。細山さんと出会ったのは細山さんの誕生日だった。

 偶然とは本当に面白いものだなと思う。

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秋山怜史
読んでくださりありがとうございました。 いただいたサポートは全て『特定非営利活動法人全国ひとり親居住支援機構』の運営資金にまわり、母子家庭の居住支援を広めていくための活動に活用させていただきます。