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恩師のふとした言葉
僕の恩師というのは中学生のときの現代文の先生だ。その人にはいろいろと便宜を図って貰った。ありがたいことである。当時、僕は実に尖りに尖っていた。ビッグマウスだったし、天狗だった。その癖、体育が大嫌いで、いや、不快であって、実に堪らない時間だったのだ。
だいぶ前に読書について書いた記事がある。その時のお世話になった先生が現代文の先生だった。女性の先生で、歳は当時49だった。性格的にはおっとりしていた記憶がある。特に苛烈に叱られたという経験はない。生徒主任を三年間勤め、マネジメント能力が著しく、生徒からの人気も高かった。だが、甘いわけではない。悪さをした子には厳しく叱り、よい子には褒める。といった普通のできた先生だった。
先生は本が好きだった。僕は当時、ダン・ブラウンの「インフェルノ」の単行本を手に学校に向かった。正直、学校の勉強より本の方が面白かった。先生は、僕の持ってきた本をチラッとみて、読み終わったら貸してと言ってきた。そして、返して一言。「ほんとに面白かった」と満足げだった。
先生は記者やライターになりたかったようである。ホントは小説家になる気満々だったそうだが、安定しない職というのもあり、先生になることを選んだらしい。今は読書を一趣味とする大人のようだ。
先生はその過去を僕に話した後こう言った。
「現実って残酷だけど、娯楽に縋ればどうにかなる場合もあるよ」
これは僕の心の中で決定打だった。先生には悪いが授業より、そんな一言のほうがよく心に残っている。人生や座右の銘を軽々しく口にはしたくない。書きたいとは思わない。だが、それを宣誓したいほどには感銘を受けている。
人生の轍の窪みに躓いたとき、僕は本と音楽に縋った。その轍は意外と深く、他人から見れば、一声で超えていきそうな、そんなしょうもないものだったかもしれないが、僕らからするとまるで富士山のようなものだった。
そのお陰で僕は、今、命を繋げている。
実にありがたいものである。空回りばかりだけど、どうにかやっている。成人式も同窓会も参加できなかった。でも、どこかで会えたら、感謝を伝えたい。
ありがとうございます。
と笑顔で伝えたい。