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個人的な過去のことからのしくじりと反省・後悔(第4章)

この第3章で書ききれなかったことを中心にここからは書いていきます。
(はてなブログでは触れてません。その分・・・)


これがきっかけでこういうことを思うように。そうなってしまうように

自分自身の心を破壊してきました。

自分自身の心を壊して・殺して生きてきました。

不登校やいじめ、障害を持って苦しんでいる人も

いる事実をないがしろにするか
それところじゃないよ。余裕ないからという都合。
こっちも大変な状況だから、耐えろよという空気

それらが当たり前というか、この時期に考えていたらどうなったか・・・

もう、手遅れかなと思っています。

今の世の中を見ていると



中学・小学の義務教育期間のおかげで、これがきっかけで

第1~3章までのことで
 私が過去に受けてきたことを色々と並べて書いたものです。いいことやよかったことは一切書いていません。辛いことや責任を押しつけたり・・・学生時代以上の辛いことが相次いだとは書いておきます。
(これが大人になっても、これがあったおかげで耐えられたという悔しさも感じることも)

先生方から(主に担任)
・馬鹿者、大馬鹿者が常に言われる。

今でいう誹謗中傷は耐えろという練習でしょうか

・ほうれん草は教えず、考えろ教えてもらうことはない。考えろと怒鳴る。さらに勝手に(考えてやっても)𠮟られる。理不尽に怒られることも。
ミスは許されない。失敗してもいいけど怒鳴り散らす。
失格と常に言われ続けてきた。(小学失格、中学失格、人間失格に社会人失格も)
理不尽なことによく怒鳴り、𠮟られた。目の前や全校生徒前にも。(連帯責任にすることがよくありました)
単純な話
大きい声でやれ・しろ・なんで!・だから・できない奴・社会に行っても通用しない・都合よくできないのか!等々刺のあり命令口調・高圧的指導なんていくらでもある。それくらい情けない人だということでしょうか。連帯責任も含まれます。

クラスの同級生から
・陰口や身に覚えのないことが噂するのが当たり前な風潮。
・今でいうコロナ差別行為みたいなことの差別行為。
・責任あるのは苦手だから押しつけて、助けない。やったあなたが悪い、失敗する方が一番悪い。
・注意したら、聞かない(勉強できなかったからかなと今では思います)
・中学ではありますが、勉強できる、できない、さらに部活内で仲がいいで一つのグループができる。またグループ内で人としてやってはいけないことをしても暗黙の了解で知らないふりをする(むしろ一緒になって勝手に・・・)グループは私にもわからない。仲良くないのに勝手にグループで仲がいいと思い込んでいたことも(今でも連絡はとってません。中学だけの関係です)
勉強を教えてもらえることができるのは頭がいい人のみ。勉強できない人は自分でどうにかしろ。それ以下だ。勉強が嫌いになっていくことも。
  その後、高校ではクラスメイトに勉強を教えてもらうことは絶対にしないように一人で勉強(当然のことのようですが)してました。高校時代はどうにかやれたのですが、当然トラウマ植え付ける覚悟で。
・積極的に何かやることが絶対にない。(学校行事は相当以上に嫌いになるくらいです)誰かがやるだろうと黙ることは小中学校で必ずありました。
・連帯責任で、失敗したりできなかったらその人が一番悪い風潮(そうしたくないという思いもあり・・・)
右になられ右の精神。何も考えず、その人についていく。失敗したらその人を文句言う。(言わば、いまのSNSやマスコミみたいな事です)

共通しているのは

積極的に問題が起きる。そして𠮟る。そして無視したり避けるようにする。よくないことはすぐ噂話になり、避けていく雰囲気になる。犯人捜しは皆黙り、𠮟り
グループは各種どこかで生まれる。そしてそれ内で注意したりしたら・・・(見えない何かによって避けるような行為等が出てくる)
自分がいた学年やクラスでは担任と生徒とは常に戦う。(冷戦みたいなものです。)また、部活も同様でした。場合によっては廃部にする寸前のこともありました。みなさんが思う部活ライフは記憶にございません。

 いじめでも暴力行為は幸いにも小中学校ではなかったけども、見えない差別行為や同調圧力さらに身勝手な仲間意識などもありました。当然、私は不登校になりかけました。

その当時は勉強も学校も何もかも嫌いになっていきました。

 今の子供はスマホがあると思いますが、もしも私の代であったらと思うとそれ以上なことが起きることもあったのかなと。(それはそれで連帯責任で全校集会で犯人捜しみたいなことが起きると思いますが。ある掲示板でのひと騒動も高校では一時期ありました)

ちなみに、私の年代はそういう人たちしかいないのかと思いでしょうが全てがそういうわけではありません。たぶん
 なお、小中と一緒から離れて高校生になった後で聞いたことですが、他のクラスメイトは相次いで退学・停学になっていた説が。あと私の高校では3年間で必ず退学者があったこともあります。

あと公立の学校での出来事であり、私立ではありません。

ここで触れた
一人何役
右になられ
も含めて特化したことも何個か書いていきます。
(これは学生時代から今までのことでも関することです)

・一人何役もやらないといけない。人手不足だけど、人を増やしたくないという姿勢

人が少ない増やしたら障害者雇用しなければとか 雇用費が増すからやりたくない

ボランティアの精神
一人何役もやる やりたくないなら押し付ける。
怒鳴りたい 文句いいたい
それらの押し付け 文句の受付
全て 私で受ければ
でも できなければ
文句の言い合い 責任の押し付け合い。

それと
やりたくない
責任を負いたくない
誰かがやるだろう
あなたがいるから大丈夫という真面目という理由も
押し付る 人を増やしても結果は同じこともある。

あなたのせいだ。

そういう圧力・権力 サポートなしで全責任を押し付ける行為。

全て 何役も 一人でこなせば
死ぬ覚悟で無理すれば
休みなく こなせば
頼られるのかな 認めてもられるのかな。

過労死ライン超えても だれも言われないから。そもそも存在すらも忘れている。誰かがやっている。やってなければ、押し付ければ事無きになるから。

それが当たり前になったから

お互い様という意味のはき違いも
こっちが無理しているから我慢だろと
別の意味で取られるのも
こういうのが当たり前になったから

普通は完璧
完璧が普通
それらに省かれた レールから外れたら
周りの目は離れるか厳しくして孤独へ突き放す。

障害者が受け入れるとしたら
完璧にやれるかどうか。それを厳しく教育して、短所をなくしていく。
そうしないと、共存なんてできないと周りは思っている。

引きこもりが受け入れるかは
完璧に 人間関係も 耐えられるかも
精神障害があれば直してから出直せと突き放す。

再び 精神障害が起きてもおかしくない
でもなったらさらに差別に文句は言われる

・相手が嫌な思いをするならやらない。そう教えられた。けど実際は

ありがたい経験と思え
これも経験だ
これが現実
昔はこうだった

反論でもしたらこういわれる。
だから若者は頼りないし、情けない人間に生まれる
障害者も生まれるんだと差別・偏見、価値観の否定が起きる
(その時点で多様性を受け入れないよということでしょうね)
そして
嫌な思いではない こういう経験がないからダメな奴が生まれる。

嫌な思いってなんだろか
個人差もあるけど 言ったらどうなるか
すらも昔話のままなのか

いじめ 体罰に誹謗中傷 怒号に理不尽
耐えに耐えること
必要以上に耐えるとどうなるか

心が破壊されるぞ

生死をかけないといけないのか
死んだら称賛されるような世の中なのか

心が弱い人 弱者 障害を持っている人が死んだら
忘れていく 生きづらさを抱えても
その要因すらも隠して 隠蔽してなかったことに
美化されて違う意味でとらえてしまう。

・おまえ あなたみたいな奴は何教えても無駄

土下座して教えて下さいでもしても
こっちに得るものはない ただの時間のムダ
教える方に利益がないと無駄

だから自分で考えてやる。
考えろと脅されるくらい怒鳴って 考えることの放棄よりかは遥かにいい。

それでも無駄にされるか なかったことにされる。
ちゃんと考えてやっても、考えてないだろと怒られる。

小学生からそれは当たり前
失敗したら次はない
それは小学 中学生で教えられた。

そして
失敗したら 責任の押し付け
一生失敗したことを言われる 責任を感じろ
あなたのせいだ
そう思って生きろ と言われる


だれも助けもらえなくても
助けてと言ってよと言われても

助けてくれない。
なら、耐えるしかない。
という空気を読めるから
読んでしまうから

一人の方がいい。

残りの何個かは第5章として改めて書きます。

学生時代にこうなったらどうなるか

取り返しのつかないことになるぞ。
 忖度・周りばかり気にしたり怒られないように自己犠牲をし続けて、無理をし続けたり、耐えることで我慢の限界を通り越して心を壊し続けるとどうなるか。

とだけ書いておきます。

12/22 追記

この続きです。
なお、最新の投稿はこのマガジンからご覧ください(この追記した次の日からの週末は休みます)


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