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カエル問題・運動会の方式問題について思うこと。そして私って何?

今週見つけた記事から2つほど個人的な感想を

カエルの鳴き声うるさいくらいで文句を言いつけるような世の中

秋田県内でも田植えが終えている時期。

その田植えのピークが超えているかわかりませんが、そういう時期にこのニュース記事が出ていました(ヤフーニュースにもありました)

まあ、子どもの声がうるさいとクレームを言うくらいのことですからカエルも朝飯前ですか

文句のいう方々は

そもそも、どうなのかと思うなら経験しろと怒るでしょうね



聞きなれてますよ 普通に


そもそも、ならないとあれ?な気分になるよ

それで寝れないと文句を言わないと気が済まないということでしょうか。


この余裕がないし、周りにイライラしているからここでもイライラしないといけないのか。ということなんでしょうか。


子どもの声だけじゃなく
動物の鳴き声すらも文句を言う世の中になったんだな。


カエルにもたらす田んぼでの役割もあるらしいです。

田んぼにいるカエルは害虫を食べてくれる存在です。もし、騒音対策としてカエルを駆除するとなると、生態系を壊すことにつながり、ひいては人間の暮らしに影響を及ぼすことにもなりかねません。

ニュース記事から

話し合いで解決

となればいいのですが・・・

そういうクレームを言える人は話し合いで解決よりも

お金で解決となにか制裁下さないといけない。

な感じな人もいるようでいない。


少なからずも、こっちはなとか
こっちは正しい だから違うとはっきりと言え。
間違っていることを正せない上に、そう言わせて何もなかった

そういう人が増えているのかな。

その割には、押しつけることや声の大きい人を優先な風潮は

なんだかなと

転売野郎や闇バイトを指揮する奴、クレーマーもそうだし
責任の押しつけ、責任転換も
そういう注意しても
反撃されるだけ。言っても無駄だと思います。

そういう奴ほど、頭がいいくらい回転もいい。
そういう経験もしています。
聞いたこともあります。

違う 間違っていると言っても
やってないだろ
こっちはな
言いません。合ってます。と間違っていることを正当化させることに圧力かけることもある。

そういうケースを聞いたこともあります。


結局は、真面目な人ほど騙される
素直な人ほど利用しやすい

人間不信が正当化になってもおかしくない。


そうしか書けない自分自身に殴りたい気分です


もう、殴ってますが


午前中で終わる運動会。物足りないという声に一言

ヤフーニュースから読んでました。

で、その時点でTwitterから

家族みんなで弁当を食べて夕方まで盛り上がるのが運動会

今の子供たちは体力がない
(反対派の声を簡潔にまとめたのです)

普段体を動かさないのに、過保護すぎる 公園で遊ぶなとか言う割にですか? 理不尽にも程がある

それを言った世代は それが当たり前なのかもしれない
でも 時代は変わってそうはいかないこともある
それすらも理解されず
その割には文句を言われる 文句を言われることは当たり前なんだ
それらを耐えてこそ芯のある…
文句を言われるから言う立場になることもある

負のスパイラルになりますよ

その代わり片付けは生徒がやる
先生方は忙しいから
なにやってんだ 馬鹿者 そして保護者がやると 何やらせてんだと怒鳴る
気づけと保護者 その年代が怒鳴る

だからこそ 真面目な人に押し付けて 疲れてるから押し付けて
連帯責任 責任放棄

社会とはこうだ 教えられました

耐えきれない私はアホでした

(確かに片付けもやるのは当然ではあります。しかし、疲れているから・めんどくさいから人任せであったので、怒号で言えば従えるといえばあれですが、そうしないといけない。一人のミス・失敗はみんなの責任。教えるよりも怒号・𠮟責で指導することが当たり前でした。一緒にやることよりも・・・押しつけや生徒でやること 先生は忙しいから。怒号・強い𠮟責でやれば動けるから。人に聞くよりも聞かないで何をやるのか見ればわかるだろという指導が小学校で叩き込み、人に頼ることは迷惑をかける。なら、一人でやる方がいい。見ればわかると言う割には聞けよ。で、完璧にやれよと中学で教えられてきました)

運動会は、あまりいい記憶はありません。

午前中で終えることも実は低学年で経験しております。

地域の大イベントというわりには地域の人は来ていなかったようには感じます。

どのような形なのかわかりません。

でも、否定的は声にはこう言いたいです。


生徒・保護者・先生方の現場の声がいいならいいと思う。

地域のためというなら、その方針を素直に従ってほしい。

熱中症対策・昨今の事情・先生方の負担

先ほど書いた生徒だけでやれ。
なら、いいけど、生徒と先生(と地域)がいがみ合いでやる運動会は記憶には残りません。

残るのは、やんなきゃよかったという罪悪感と
いじめ・不登校を引き起こす可能性を作ってしまう。


昔主義で物事を作ってしまうこと
もうやめませんか。

共に作ることがわからない私が言うなならもう言いません。


余談(悪天候でも無理やりやる。そして私という相手の都合で動けるからどうでもいいとされている)

悪天候でもやる
災害クラスでも 実際になったら考える
それくらい 運は強い 晴れるから みんながやりたいから
そう思えれば良くなるから と言われてきた でも お前のせいだ
お前みたいな奴がいるから 考えが甘い 最悪の場合を想定するな
と言われてきた

命を守るよりも 周りのご機嫌と忖度のため

何が正解か なにが間違いか
そもそも
私のような人の声よりも 押し殺せばいいなら
すいません
私のような人が生きていて 迷惑を引き起こすくらいで

病みやすいような世の中で


何が間違っているのだろう


完璧じゃあないからなのかな

惨めで 存在自体忘れられているし、どうでもいいから粗末にされるのかな

そもそも

相手の都合
怒号・𠮟責 怒られないように

自分自身じゃなく
周りのために

自分の意志を捨て
自己肯定を捨て

自己否定であり
一人でやること
常に否定・怒号・連帯責任・完璧・相手の考え・思うことをテレパシーで考えていくことが正解

もう、わからないや

いや

わからないと殺されるか


そういうトラウマ植え付け

トラウマのパレードが容赦なくよみがえています。

すいません。

こんな投稿


誰が読むんだ

重い投稿


誰も読まないぞ


次はなにを捨てれば

褒められる?

でも、褒めることは

成長しないことなんですよね。

そう、教えられたから


それも間違いかもしれないけど

私には、そう教えられた


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