ある一件について
この投稿に最後に書いてあったある出来事のことについて今回書いていきます。
今から2,3年ほど前に福井県のある中学校で事件が起きました。
1番目はこの1件で起きたことの経緯、2番目は8月31日の夜にという番組にも出演している不登校新聞の編集長石井さんのコラム、3番目は最近あったニュースを。
ここまでの経緯は1番目をご覧頂ければと思いますが、簡単に書くと。
先生(ここでは担任・副担任)からの言葉の暴力、言葉の体罰を受け続け、周りがいる前でもやり続ける。それで孤立し絶望を感じて、SOSを出しながらも残念ながら自殺という選択肢を選んでしまった。
さらにほかの生徒にも同じような指導をして、不登校になってしまったという事実もありました。
このニュースを当時見て、読んで思ったこと。
この事件が起きてから数年は経ちましたが(掘り起こしてしまいすみません。)事件発生した年たまたまNHKニュースを見て知ってからネット記事や新聞の関連記事をとって読んでいました。
読んでいて思ったのは、担任からの言葉の暴力等、似たことがこっちでもあった。ということです。過去のこととは?そのことを書いたのはこちらから読んでいただければと思いますが、
言葉の暴力という言葉よりも𠮟責と書けばいいですね。強い𠮟責により起きたことと私が行っていた学校であったこととなんか似ているところがあったと、当時読んでいて思っていました。
載せてはいませんがある記事ですが、私が当時いた学校もそうですが、ここの学校も人数も少なく、目に行きやすい環境ではありました。秋田も学力が上の方(私達の頃と比べてるのもですが)福井県も上の方です。宿題を忘れたと書かれたのですが、家庭学習に関しても恐らくプレッシャーを感じていたではと。
追い詰められた、周りがいる前で強い𠮟責をした。それも日常的に。それと周りがいる前で𠮟られて、怒られているのを聞いてこっちも𠮟られている感情も。
その生徒は発達障害説もあったという記事も目にしましたが、担任が気にかかることもなく、サポートの環境も整備されずという記事も見ました。
なんか・・・小中学校でも似たようなことが日常的にやっていた。精神的にもつらい状況だったと想像してました。調べていて、再び思い出して一旦調べるのを止めました。
(同じ同級生も不満はありました。ただ、担任を変えることはありませんでした。自分がいるせいかなと責めることも。)
生徒からのいじめは助ける、けど担任等先生からの𠮟責や言葉の体罰は触れられない。
𠮟責に関しては仕方がないところもあります。が、やりすぎたり強い𠮟責や怒鳴り口調で𠮟る。行き過ぎた指導によるものも。
いじめに関しては何度か問題定義はなっています。けど、福井県のような先生との関係性による出来事は問題にはせず、むしろこれも成長だ。経験だ。あなたを試されているし、期待しているからこそだ。と置き換えていることが多いのが実情です。𠮟られたことがないだろ、怒られたことがないといい大人になれないぞとか。あなたに怒っているわけではないと言われているが、
このことをほかで話すとなると、学校に伝わり変にややこしくなったり、大人になって話すと学生時代のことをなぜ今?となるか、仕方がないか、これ以上のことが大人の世界にはあるよ、上のようなことを言われる。と思われるかもしれないのです。たとえ相談所で話したとしても・・・なことも。
SOSを出したって我慢とかむしろ悪化するなど、出しても無駄と思ってました。自分だけではなく、周りに強い𠮟責によってもやられていても。
(ただ、小学は辛うじてどうにかでしたが、中学からは)
今、このことで辛い思いをしている人達へ
いじめ問題以上にこのことを言い出せない人達は多くいると思います。
言ったとしても、こっちが辛い思いをするリスクも否定できません。
不登校新聞の編集長 8月31日の夜に にも出演している石井志昂さんはコラムでこう書いていました。
一つ目は自殺しても解決には結びつかないこと。もう一つは信頼できる人に相談してもらいたいという点です。
これに関してはコラムを読んでもらえればと思いますが、さらにこれも。
生きがいを作る。(趣味を持つ)作っておけば後々助けにもなるし話すネタにもなります。
自分の意思・考え・こうありたいと持つ。 自分の意思等を考えれば、後々大人になって自分の意思なんてない、アリのように他の人に合わせて、その周りだけ楽しければいい。ではないということも。(周りが悪いことをしているよくないことをしていても自分は自分と。)
もし自分と同じ目に合っていた人とあったときは優しく接すること。そして、自分だけじゃない。とひとりじゃないと思えることもあります。
友達はこちらはあまり以前にいないです。今では連絡先なんてないといっても過言ではありません。しかし、友達はいなくても、話せる人は1人でも多く信頼できる、コミュニケーションが難しいけどこの人ならという人に話せる人、場所を一つでも作ることが大切かと思います。
この事件に関しては数年前のことを今掘り起こしてしまい申し訳ありませんでした。
このことで過去にあった人でも今、苦しんでいる生徒の皆さんに少しでも私もあったし今でも苦しんでいるけどどうにか生きているということ、とこういうこともあると知ってほしいということも。
つたない文章ではありましたが、ご覧いただきありがとうございました。
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