Nobody Loves Me! と叫んだあの日が、反抗期の始まりだったかもしれない - 14歳で反抗期を終えた息子とオカンの物語(5)
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息子が小学2年生の時、担任の先生から「ちょっと話ができる?」と連絡が来た。
新学期が始まったばかりの2013年の9月。
なんだろう? と思って仕事を早引けして、学校に向かった。
息子が通っていた学校は、イーストハーレムにある幼稚園から5年生(PreK-5th)までの、どこにでもある公立の小学校。ただ全学年で生徒数は200人ほどだし、1クラスは25人いるかいないかだし、学年も1年生と2年生が同じクラスというような形で、2学年が一緒だったとても小さな学校。
ちなみに息子が卒業したとき同級生は22人。
息子がここの学校に通い始めたのがキンダーと呼ばれる幼稚園から。
2年生の担任の先生は1年生の時からなので、2年目。
息子は他の生徒と違って「新しい環境に慣れる」のに最低でも1ヶ月という時間がかかるスーパー繊細な子だし、同じように先生に慣れるのも時間がかかる。
実はこの学校、息子が幼稚園の時に転校してきた学校。
最初に入ったギフテッドの学校の学校は合わずに3週間で終了。そこから探して、というか、もともとGTとここの学校が受かってて、1度蹴ったけれど空きはない〜? と聞いたのだ。
たまたま運が良いことに空きがあったので転校ができたというラッキー♪ だったんですがー、GTの学校のトラウマがあるのか、保育園と似ている学校だったのに慣れるのにちょっと時間がかかりましたね。先生、とてもいい人だったし、今でも感謝しています、彼女でよかったな、と。
ところが1年生の時の男の先生には比較的早く慣れて、大好きに(余談だけど、2021年の今も仲良し、その先生とは)。
1年生の時には何の問題もなかったのに、2年生になって直ぐに呼び出されるって、え? 何だろう。学校に対しての文句は何も聞いてないぞ、息子から。
学校について教室に入ったら、担任のカルロス(仮名)と副担任(というのかな)のジャック(仮名)が待っていた。
どう、元気にしている?
こちらが副担任のジャックだよ
と、カルロスがにこやかに話し始めて、あたしは勧められた椅子に座って、一体何を言われるのかドキドキしていた。
「実はね、息子くんが授業中に急に Nobody Loves Me!!! って叫んで机にうつ伏せになったんだよ。何か心当たりある?」
*
それが起きたのは、国語の時間だったという。
ここの学校はプログレッシブ教育をしているので、4つの机がくっついて4人の生徒が座って授業が進められていきます。
この時も、生徒達がおのおのの席に座り、皆んな静かに好きな本を読んでいた。
でも息子は読まないで、鼻歌を歌ったりしていたらしい。
隣に座っていた生徒が「ねえ、歌を歌わないでくれる? 本を読む時間だよ」と息子に伝える。でも息子は気にしないで歌を続ける。
前の席に座っていた生徒が「ねえ、頼むから静かにしてくれないかな、本が読めないんだよ」と Could you please~? と丁寧に言ったそうだ(普通だったら "Shut up! I can't read the book! "とか言うらしい)。
それでも辞めない息子に困って、机に座っている生徒達が「今は本を読む時間だよ」」と、やや強めに、できる限り冷静に言ったらしい。
で、がばっと机にうっ潰して Nobody Loves Me! と叫んだ、とのことだ。
*
心当たりか……。
ああ、そういえ、1年生から2年生になる夏休み、やっぱりシングルマザーで育っている友達2人(1人は同じ年で1人は1歳年上)が、夏休み、別居中のお父さんと会って、仲良くして泊まったりするのを息子が何回か目の当たりしていたわ、うん。
それをみていた息子はぽつりと「お父さんに会いたい」と言っていたな。
旦那と2010年に別れると決めて、2011年の春先にアパートからどうにか追い出して、それから息子の親権をどうするか家庭裁判所で裁判が始まり、2年近くの歳月をかけて以下のような結果が出た。
母親:息子と生活する権利、一緒に住む権利。
父親:隔週末や決めた祝日に息子と過ごすこと。一緒に住むこと、育てる事はできないけれど、ある程度の時間は一緒に過ごせる。
それ以外のこと……学校を決めるのは要相談。片親だけで決めては行けない。日本に帰るときや旅行に行く時は旦那の許可を得る。他州に引っ越す場合も許可を得る。
つまり、わたしは生活と育てる権利だけがあって、プラマリー親権という名の共同親権だったのだ(後に単独親権を得ましたけれどね)。
わたしとしては、息子から父親を無理やり離してしまった負い目があるから、できれば定期的にあって欲しい、という気持ちがあって。
だけど向こうにしてみたら『結婚してグリーンカードを取ったら、急に態度を変えてきて、離婚を言い出して、それも俺を追い出しやがった。誰があいつのことを許すかよ。かわいさ余って憎さ百倍じゃないけれど、嫌がらせをしないと気が済まない』というメンタルになりまして、恨んでいることはよーっくわかりました。
その最大の嫌がらせが、息子と会わない、ということだったように思う。
約束してもドタキャン当たり前で。
何度も何度もあって。
会いたいのに会えない。
でも同じシングルマザーで育っているSとKは、にこやかにお父さんに会っていて。それもお泊まりまでしている。
どうしてお父さんはぼくに会ってくれないの?
お父さんはぼくのことが嫌いなの?
「あきつ、そんな話は聞いていないよ、シングルマザーだったなんて、どうして去年言ってくれなかったの?」とカルロス。
あれ、そうだったっけ?
なんかいろんな人に言っていたから、言っていた気になっていた。
いかん、いかん、担任に真っ先に言っておかねばいけない案件だった。
「お父さんに会えないなんて……それは辛い話だ……」とジャック。
「そうだね、彼はまだ7歳だから、とても辛いね……ぼくだったら耐えられないよ。そうか……」とカルロス。
*
わたしは息子が4歳の時に父親を追い出す、つまり、今まで一緒に生活をしていた人が急に目の前からいなくなったら、彼にどんな精神的な影響があるのかずっと気になっていた。
だから、前回にも書いたけれど、日本人の幼児専用のカウンセラーと会ったりしたのだ。だけど残念ながら彼女達にはあたしの状況、つまりバックグランド・・・低所得の黒人の生活がリアルでわからない。小説や映画や本の中での知識としてしか知らない ・・・がわからなかったので、言っていることも当たり障りがなかった。本やネットで調べればわかることを言われただけで、わたしには何も新しい発見はなかったし、何も響いてこない。
いや、それよりもどこかで「どうしてそういった人と結婚したの?」という目で見られていたような気がする。
もしかしたら、ただ単にわたしがひねくれているのかもしれないけれど、そう感じたのだった。
なので先生たちには「息子のメンタルをずーっと心配している」と伝えた。そしてGTの学校がどうしていやだったのか、ここの学校に来て良かった話もして。
「学校にスクールカウンセラーがいること、知っているよね? それとは別に毎週金曜日にサイコアナリスト(精神分析医)が来ているんだよ。彼に診てもらえるように頼んでみるよ」とカルロスが資料を渡してくれた。
「無料だから、お金のことを気にすることはないよ」とも付け加えて。
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この呼び出しがあってから2週間もしないで、サイコアナリストのマイク(仮名)に診てもらえることになり、先ずは母親であるわたしとお話をしてから、ということで金曜日の朝に彼に会うことになった。
マイクはヨーロッパ出身のハーバード大学を出た人で、絵に描いたようなエスタブリッシュメントな白人で、でもハーレムにいる黒人達の多くにメンタルケアが必要だと感じていて、黒人のセラピストやカウンセラーを養成する非営利団体を経営している人で、実はすごーく忙しい人だった。
彼の英語がイギリス英語だったので、正直理解するのに時間がかかったけれど、マイクはあたしのどうしようもない英語もじっくり聞いてくれて、息子のことを理解しようとしてくれた。
それから2人で息子のいる教室まで行って、息子の様子をうかがった。
どうして一緒に行くの? と聞いたら、ママと一緒にいる「安全な人」なんだよ、という認識を息子にさせることが大切なんだ、と言っていた。
それから息子は毎週金曜日、マイクとのセッションが始まり、まさか息子が中学校を卒業するまでの長いお付き合いになるとは、この時は思わなかった。
そしてこの時から、息子の長い、長い反抗期(というのだろうか)が始まったのだった。
2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。