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「あなたの人生だよ」と言われても。

旦那を追い出して、息子と2人っきりの生活が始まって1年も経つか経たないころ、日本人のある常連のお客さんから「あなたの人生だよ」と言われました。

そして、わたしの答えは……

あなたの人生だよ。
ええ、そうですね。
息子の面倒をみるのが、わたしの人生ですよ。

というのが本心でした。


❖ ❖ ❖


いくら離婚をしたい!
と思っても、現実的には難しいことが多いです。

特に子供が小さかったら、その子供をどうやって面倒を見るのか?
いやいや、その前に生活していけるだけのお金をどう確保するのか?
住むところは?

幸いわたしの場合は、今も住んでいるこのアパートの名義がわたしなので彼に譲る必要はありませんでした。なので彼をさくっと(ではないけれど)追い出して、住むところは確保です。

旦那を追い出したのは息子が4歳になった後だったけれど、ちょうどその時は、翌年9月から入る幼稚園探しで奔放していた時で、メンタルを叩かれながらの、2人で生活できるだけの収入が得られる仕事も選んでいて。

つまりこの時の私の状況は

・幼稚園探し(公立の幼稚園さがしも高校探しも似たようなものです。興味のある方はNYCスクール狂走曲をお読みください)
・仕事探し

で頭がパンパン。
さらに仕事も、幼稚園行った後は学童(アフタースクール)に入れることは確実なので

・学童にお金をなるべくかけなくてもいい(もしくは多少でも払えるだけのお金が稼げる)
・基本は18時までのお預けで間に合う仕事を探す

と、いう形で日々を過ごしていました。

仕事は、アメリカでろくに学校も出ていないので英語に自信がないので、日系関係の所を探します(日本人経営で、多くの日本人が働いているところ)。
もともと日本でも飲食関係で働いていたし、接客も好きだったから、不法滞在時代からずーっとレストラン関係で働いていたけれど、高校時代に右手首の腱鞘炎なったのが復活してきて、ウェイトレスはできません(お皿が重たくて運べない)。
でもウェイトレスは稼げるけれど、事務やキッチンだと稼げないし……席案内(フロント)の仕事もしたことあるけれど、ランチだけではなくてディナーもやらないと生活できない……

と制限ありまくり。

それでも事情を話した上で雇ってもらえた某日本食レストラン。やっぱり生活できないから辞めようとまで伝えたのですが、そこからマネージャー含めたたくさんの方の助けもあって、どうにか生活できるまで稼げるようになって。

そのお店で仕事をして半年過ぎたころだったと思います。

私が働く前から来ていらっしゃる常連のお客さんの、弁護士のAさん。
ちょっと気難しい方みたいなんですが、人とお話するのが好きな方で、あまり忙しくない時間(開店直後や2時前)に来店されて、よくウェイトスタッフと話しをしています。

なのでフロントにいる私たちとも話す機会が何度もあり、そこから話の流れ上、わたしが離婚をしたくて別居しているシングルマザーであることを伝えました。

「大変だね」
「頑張ってね」

だの

「息子さんは何歳?」
「何が好きなの?」

と、何回か顔を合わせているうちに、私や息子のちょっとした、差し障りのないプライベートを話すようになりました。

ある時、Aさんが食事が終わって帰る前に、あまり忙しくしていなかった私に、いつものように近況を訊いてきて、わたしはわたしでいつものように息子の近況話をしたら

「息子さんを育てなきゃいけないのはわかるけれど、あなたの人生だよ」

とおっしゃっられました。

わたしは「は、Aさん、何言ってんの? あたしの人生なのは当たり前じゃない。息子を育てるのがわたしの人生じゃん」と心の中で思いながら

「そ〜ですねえ〜」

と、笑いながら答えたら

「本当にわかってんの?」

と笑いながら帰って行かれました。


❖ ❖ ❖


当時息子は5歳になって、実は入れたくて入れたくて入れた幼稚園が合わなくて、転校させないといよいよ親子共々頭がおかしくなる状況になり、マネージャーに転校させるために休みが欲しいと頼んでも、もともと人をギリギリで雇っているから、一人でも休まれると営業に支障ができるから1日で全てやって、と頼まれて、力技で息子の新しい学校+アフタースクールを決めてきた後だったと思います。
新学期が始まってから3週間後のことでした。

と同時に、離婚裁判をするには親権が決まっていないと長引いた場合、お金がかかると問い合わせをした離婚専門弁護士に言われて、先ずは親権の裁判をするかーと、裁判手続きを始めた頃ではなかったでしょうか(その辺りはこちらで書いているので、よかったらお読みください)。

・住む家は、今までのアパートがある。
・仕事もどうにか生活できるだけの、ギリギリだけど稼ぎはある。
・離婚手続きをするために親権裁判を始めた
・転校させた幼稚園、アフタースクールにもどうにか息子が慣れてきた=わたしたちの新しい生活習慣が身体に馴染んできた

多分、こんな頃だったと思います。

わたしの中でのプライオリティー(優先順位)は

息子と仲良く生活をすること。
息子をちゃんと育てること。
息子にさみしい思いはさせない。
できる限りの愛情を注ぐ。

そのために仕事をする。

なので、Aさんから「あなたの人生だよ」と言われても正直ピンときていませんでした。

わたしの人生=息子を育てること

だったから。

でも、今ならわかるんです。
弁護士Aさんが言っていたことが。

わたしは「わたし自身=わたし軸」の人生を生きていなかった。
息子軸で、生きていた。

でもあの時は仕方がなかったよ。
一生懸命だったから。

それでも時間を見つけては「この先」を考えて、紙に書き出したりしていたの。⬇こんな感じに。

メモ

これはあくまでもサンプルだけど、8月の末や9月が始まった頃、こうやってノートや紙に予定を書き出していて。

11月には3回祝日があるから、それを預けるための受付が10月にあり、12月の冬休みを預かってもらうために11月に申請して、12月に入ったら、翌年の夏休みキャンプの下調べ始めてたんですよ! 一応通わせていたアフタースクールのキャンプに入れるのが前提だったけれど、それでも1月には申請していたし。

常に追われていた生活していたなあ……。

今だったらどうするんだろう。
このメモに、何を足すのかな。

今だったら、叶う、叶わないは別にして、せめて月に1つは「自分が喜ぶこと」か「やりたいこと」を書いておくね。

実は仕事しているときも、ちょっとした隙間時間、もしくは忙しくない曜日(月曜日はだいたい時間があった)の隙間時間に、紙に一年間の大雑把なスケジュールを書き出していたんです。

でも内容は写真と同じで、息子のスケジュールを書き出して、夏休みは息子を連れて行きたい所を書いて。⬅ここがポイントですよね。息子を連れて行きたいわたしが行きたい所に行く。でも彼が行きたくない、と言ったら行かない。一見自分のやりたいことをしているようで、実はしていない。

そう、わたしはずーっとこれから何年も先まで、いや、つい最近まで息子中心でスケジュールを立てていたのです。でも自分ではそうは思っていなかった。

こわっ!

あなたの人生、歩んでいますか?




2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。