日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#58(2023/12/8②)
・おいらの頭の中とこころの整理メモ(書きたい衝動!編)
これを書いている今日は2023年12月8日の夜(自宅のパソコン前)なのだ。8日付の記事はもうアップしてあるけど、記事を書いているときは全力投球で書いているはずなのに、なんだか書き足りない気がして家に帰ってきてから更新している次第でございます。正直形になるかどうかも、「書き出してみないとわからない」という状態な訳で、きれいな記事の形にならなかったりとりとめのない話になったりオチのない話になることはご承知おきください。
そもそも僕はなぜこんなに書くことが好きなのか?さらに深堀りしてみる。それは僕にもわからない(笑)ただ、自分の成長の過程において時折自由に文章を書かせてもらえる機会があった。僕の小学校3~4年のあいだに自由作文の課題「心のまど」(のちの小学校道徳科の「心のノート」とは内容がまったく違う)」というものがあった。学校単位の指導方針、もしくは国の学習指導の中にあったものと推察するのだけれど、B5だったかA4くらいのわら半紙に線だけがひいてあるコピーしてあるプリントに自由に思ったことを作文させるというものだった。それを毎日、僕たちは提出を義務付けられた。このころの短い期間に拙くはあるものの文章の発想の基礎ができたのは確かだと感じている。
このころの僕の「心のまど」を含めた自分の周囲を思い返すと、親や先生だけじゃなく、周りの大人に忖度しまくるというものすごい恥ずかしくて、厭な子どもだった。そのくせ、目立ちたがり屋で不遜で、周囲の弱い立場の子には強い立場で出るようなヤツだったので、まぁフツーに嫌われていた。努力もまるでしない子どもだったから、悪目立ちしてしまって同級生どころか全校から嫌われていた。本当にみんなに嫌われていた(イヤ、ホント)。
知らないのは自分だけ。今でも子どものこころから成長してないから本質的にそう変わってないと思うし、言葉にみんなは出さないけど本心では嫌われてることも多いんだろうなぁ…。怖いね。
中学校の頃は、かなわぬ恋のラブレターが文字や文章に練習台になった。夜中じゅう想う恋愛相手への妄想に支配されたような男子中学生の、気持ちの悪い変テコなポエムを添えた子猫の写真の封筒と便箋を使った自他ともに認めるトチ狂った手紙ね(笑)今では笑い話だけど、中学の時は学校に行っていなかったから文章力的にも自分の人生としても共感性が身につかなかったのは大人になるにしたがってものすごいハンデになっていった。
小学からなんら成長していない自己中だから主観でしかものをかけなかったから相手に大いにヒかれた。このころは客観的に見るというか俯瞰ということを知らなんだ。文字のきれいさに関してはかなりきれいになった。お気に入りのボールペンで間違いないように修正液なしにしようとして何回も、何回も書いたからね。なんども書き直したから思わぬところというかそんなところが鍛えられたんだね。おかげで文字が「習字でも習ってるの?」と大人に言われるくらい上達した。
恋の勉強はしたけれど、中学3年の受験が控えた時期に、学生の本文である勉強、とりわけ数学が本当にできなくて、という話を部活の顧問(数学担当)に話したら、ふざけて0.5を分数にしてみろって言われてできなかったくらいひどくて。概念が分かってすらなかったから1/2って理解できなかったんですな。先生みるみる顔をこわばらせ、しっかり勉強しろ!って怒ってたけど、まったく素行は変わることなく、ここまで来てしまった。
最初の高校は住んでいる地方で一番偏差値レベルの低い学校だったものの、勉強もついていけず、高校生生活自体も、ほぼ半年をすこし過ぎたころに出席が足りず中退してしまったし、当時の友人も去ってしまった今となっては得るものは何もなかった。これ以上は書くこともないだろう。
僕の母校となる定時制高校をはじめとして、例年全国レベルで弁論大会が開かれている。そこに、軽い気持ちで受けたのが内省的に自分を徹底的に客観視して文章を書いた経験になった。弁論大会なのに暗記が面倒で僕は地域大会で落ちてしまったが、書くことの素地をまた研磨する経験になったと思っている。
これ以降の学校でもレポートを出す機会があったりして、パソコンに向かって文章を打つことが多くなったし、それがいかに楽しいことであること、つらい作業であるかもわかったつもりだ。自分にはこういう生き方しかできなかったし、楽しいと思えるのも、こういう文章表現だけなのだなぁ、と振りかえって思った。
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