遺跡大好き人間が語る、世界文化遺産「大湯環状列石」の魅力とは?大湯ストーンサークル館 木ノ内瞭
世界文化遺産に登録された
大湯環状列石の魅力に迫る!
「休日には各地の遺跡を巡っていますが、やっぱり大湯環状列石は『普通じゃないな』って思うんですよね」。
そう語るのは、大湯ストーンサークル館の学芸員 木ノ内瞭さんです。
― この遺跡が「普通じゃない」って、どういうことですか?
日本国内のほかの環状列石(ストーンサークル)よりも規模が大きく、出土品の数も種類も多いのが特長です。ここだけにしかない貴重な出土品も見つかっていることから、「普通じゃない、格別だ」と思うようになりました。
大湯環状列石は「万座(まんざ)環状列石」と「野中堂(のなかどう)環状列石」、2つの環状列石を主体とする縄文時代後期(約4,000年前)の遺跡です。特別史跡(※)に指定されていて、日本の原始の歴史について考える上で特に重要な遺跡として登録されています。
― 大湯環状列石が世界文化遺産に登録された理由を知りたいです。
環状列石(ストーンサークル)は、主に北海道や東北地方などで発見されていますが、大湯環状列石では、同規模の環状列石が同じエリアに2つ見つかっています。これは、全国でも非常に珍しいことです。
そして、縄文時代は1万年以上にわたり、農耕を行わず、狩猟・採集・漁労といった生活を基盤としていた時代です。その中で墓や祭祀(さいし)場を設けたりするなど、定住を発展・成熟させ、複雑な精神文化を育んでいきました。これは世界的に見るととても珍しく、日本の縄文時代にしか見られない特長です。今回、世界文化遺産に登録になった北海道、青森、岩手、秋田にある17遺跡は、この北海道・北東北の縄文時代を代表する遺跡として選ばれました。
― 発掘調査で土器や生活の痕跡を発見した時は、どんな気持ちになるのでしょう。
出土したものはその時代を物語る鍵になるので、やっぱりワクワクしますよね。出土品をこの手できれいにしていくと、模様が少しずつ現れてきて…。「約4,000年前の縄文人が見ていた模様を今、自分が見ているんだ!」って思うと、すごく高揚するんです。
門外不出の出土品がここに
― ここだけでしか見られない出土品って、どんなものですか?
注目を集めているのが、土版(どばん)と呼ばれる土製品です。人体を表現しているように見えますよね。
― ゆるキャラみたいでかわいい!
土版は各地の遺跡で出土されていますが、穴で数が分かりやすく表現され、人体を模しているものは大湯環状列石でしか出土していません。口にあたる部分に1つの点、目に2つの点、左側に3つ、右側に4つ、中心に5つ、裏側には6つの穴があり、1~6の数を表現していると考えられています。大湯ストーンサークル館でしか見ることができない出土品なので、国内外の展示イベントなどで貸出依頼が来てもお断りしています。
人気があるのは、浅鉢型土器(あさばちがたどき)です。大湯環状列石の発掘調査で、五角形をした土器はこの1点しか見つかっていません。そして内側にも模様があるのも、この土器だけ。線を外側に描いた土器が多い中で花のような模様が中にあること、五角形(外側)に絶妙なバランスで四角形(内側の模様)が描かれていることなどから、特に女性から人気です。
― 縄文時代に破損した部分をアスファルトで修復したものがあるんですか?
そうなんです。土器の割れ口に付いているものが見つかっています。現在アスファルトを採取できるのは、秋田市と能代市です。なので、もしかしたら遠方から持ち込まれたものかもしれません。ほかにも黒曜石(こくようせき)が出土していますが、そのほとんどが男鹿産のものであることが分かっていて、アスファルト同様、遠方のものです。
― 大湯環状列石の近くに住んでいた人が、県内各地を移動していたのでしょうか。
当時、日本列島に馬はいなかったと言われているので、おそらく徒歩や舟で移動していたのか、各地から人が集まったのか…。そのように考えると、大湯環状列石の歴史はこのエリアだけで物語ることはできず、各地域と関わりを持って利用されていた場所だと分かってきます。
― 出土品や痕跡から、人々の交流などいろんな歴史が見えてくるんですね。
縄文人がこだわって作ったものとは?
― これは、大湯環状列石に使用されている石ですか?
その通りです。2つの環状列石に使われている石の約6割は「石英閃緑玢岩(せきえいせんりょくひんがん)」という緑色をした石が使われています。この石の産地は、遺跡から10 kmほど離れた「諸助山(もろすけやま)」だと分かっています。
― すると縄文人は、10km離れた山の石を採掘して運んでいた?
この石は、柱状に割れる性質を持っていて、割れたての石は角ばっているんです。大湯環状列石に使われているのは丸みを帯びています。そのため、山で割れた石が山筋を流れる安久谷川(あくやがわ)に落ちて、下流を流れる大湯川に流れつき、削られた石を拾ったものだと考えています。
残りの約3割の石は、十和田湖周辺から採れる「安山岩(あんざんがん)」で、同じく大湯川に流れ着いたものを使っていたと考えています。
― なぜ、この2種類の石を使ったのでしょうか。
考古学ではその謎を解明することはできませんが、石英閃緑玢岩は青緑色した石です。当時はヒスイのような緑色の石を装飾品に使っていたので、「緑」に対して特別な思いやこだわりを持って造ったのかもしれません。
― 「なぜ、この石を使ったんだろう。」って思いを馳せながら遺跡見学するのもおもしろいですね!
出土品からひもとかれる謎
真上から見ると、10数個の石がまとまった「組石(くみいし)」で構成されていることが分かります。この下を発掘調査したら、1つの組石に対して、大人が1人入れる程の穴が発見されました。調査の結果、そこがお墓だと分かったんです。
― お墓!?実際に骨が見つかったんですか?
土壌は酸性土で、骨は溶けてしまったようで、見つかりませんでした。これまでの発掘調査で見つかったお墓には、亡くなった人の骨を土器の中に入れ、埋葬したと考えられている「土器棺(どきかん)」などが見つかっています。そのほかにも副葬品と思われる物が穴の中から見つかったので、お墓だと分かりました。
― 大湯環状列石は、集落ではなく、集合墓地だった?
環状列石のまわりに、建物の柱と思われる跡が見つかりましたが、調査すると、料理をしたり、暖をとったりと生活で必要不可欠な「火を使った痕跡」が見つかりませんでした。おそらく大湯環状列石で祭りを行う際に使用していた施設だと考えられていて、環状列石は周辺の集落に住む縄文人が共同で造ったとされています。なので、大湯環状列石は、共同墓地であり、共同の祭祀(さいし)儀礼を行っていた場所だと位置付けられるようになりました。
建物跡の周辺には、フラスコ状の穴(貯蔵穴)が発見されました。この穴からは栗やどんぐり、土器の破片などが見つかっており、食べ物を保存する冷蔵庫の役割をしていたと考えられています。
― 縄文人は、どうやって穴を掘ったのでしょう?
当時はもちろん鉄のスコップはないので、木の先端に石をくくり付けたおののようなもので掘ったと考えられています。僕もいつか、縄文人の気持ちになりきって、自然の道具を使って、穴を掘れるか実験したいと思っています(笑)
鹿角市から全国へ
― 大湯環状列石の周辺には、たくさんの木が並んでいますね。
ここは、発掘調査で見つかった花粉の化石をもとに植樹して作った「縄文の森」です。現在見られる2つの環状列石に使われている石は、4000年前に造られた当時の石のままです。なので、当時の縄文時代を感じられるように、現代物を覆い隠すため植樹をしたんです。
― 大湯環状列石って、縄文時代の生活ぶりや歴史を肌で体感できる場所とも言えますね。
― 今後のビジョンを教えてください。
現在、大湯環状列石の全てを、発掘調査できているわけではありません。まだ見ぬ謎を解明するために、引き続き調査を進めたいと思っています。中には整理中のため、皆さんにお披露目できていない出土品もあります。新しい出土品をいち早くお見せできるよう、整理作業も並行して行い、も並行して行い、鹿角市から全国へ縄文時代の文化を発信できる拠点にしたいです!
大湯環状列石のワクワク感や特別感の一部が味わえる体験メニューもたくさんあります。当時の食を再現する縄文食プログラムでは、大湯で食べられていたと考えられる食材をそのまま食べたり、縄文土器のレプリカを使って煮炊きして食べたりする事ができます。(8月スタート)
【縄文食プログラム 参考URL:https://antlerkazuno.com/jomon/】
ほかにも土器や勾玉ペンダントづくりを体験することができますので、縄文の文化を感じたい方は、ぜひご来館ください!
【大湯ストーンサークル館】
《住所》秋田県鹿角市十和田大湯万座45
《概要》出土品の展示・遺跡見学・体験学習など
《HP》https://www.city.kazuno.akita.jp/kanko_bunka_sports/bunkazai/7/5593.html
[聞き手:じゃんご / 秋田ブロガー兼YouTuber] https://dochaku.com