版画文化を秋田に。私が今日も彫り続ける理由。いとう版画工房 伊藤由美子
秋田市にたたずむ一軒家。ここは版画家・伊藤由美子(いとう ゆみこ)さんが2019年にオープンした「いとう版画工房」です。伊藤さんが作品制作に取り組むためのアトリエのほか、版画教室も兼ねています。
今回のあきたびじょんBreakでは、伊藤さんが「版画家を目指したきっかけ」や、「秋田で版画工房をオープンした理由」を取材しました。
《名前》伊藤 由美子(いとう ゆみこ)
《年齢》33歳
《出身》秋田県 秋田市
《経歴》岩手大学 教育学部芸術文化課程 卒業後、筑波大学 芸術専門学群美術専攻 研究生を終了。2019年12月、秋田市新屋に「いとう版画工房」を構える。2020年12月には秋田市大町のココラボラトリーにて「伊藤由美子 作品展 portrait」を開催。曽祖父は「秋田風俗十態」「米作四題」など、秋田の懐かしい風景を木版画に刻んだ版画家・勝平得之(かつひら とくし)。
秋田初の版画教室
― 版画工房という場所に初めて来ました!...なんだか新鮮です。
これまで秋田には、「版画技術を学べる場所」がありませんでした。版画に挑戦したいと思っても機会がないので学べない...という問題を解決するために、版画教室も兼ねたアトリエを秋田にオープンしました!
― 版画教室を始めてみて、どんな反応がありますか?
想像していたより興味を持ってくださる方が多くて驚いています。秋田には版画を専門的に学べる学校がないこともあり、版画に興味のある美大生が何人か体験しに来てくれたりもしています。ほかにも、美術館などから版画のワークショップのご依頼が少しずつではありますが増えていてうれしく思っています。
― これは...銅ですか?
そうです!版画には、多くの方が小学校の授業で体験したことのある 「木版画」のほか、「銅版画」という種類もあるんです。銅を彫ったところにインクを詰めて、プレス機で圧力を加えて刷ることで作品が完成します。
<銅版画専用のプレス機。ハンドルを回すことで圧力が加わる>
<銅版画には彫刻刀を使用せず、ニードルという先端のとがった金属の棒を使用して彫る>
― アトリエに飾ってあるこの作品、すてきですね~。
ありがとうございます。これは「きこえる」という木版画の作品で、参加したデッサン会でモデルをしていた方がイメージとなっています。会場ではレコードが流れていて、そのシーンと人物の流れるような曲線から「きこえる」というタイトルにしました。個人的にも色使いがうまくいったなと思っていて、お気に入りの作品です。
<部屋に飾りやすそうな小さめの作品も>
― 作品を1つ作るのにどれくらい時間がかかりますか?
色々な作品を同時に制作しているので、一概には言えないのですが、例えば「きこえる」は、締め切りがあったので2~3週間で仕上げました。私の場合、期限が決まっている方が集中して制作できますね。
曽祖父の存在
― 伊藤さんはいつから「版画家になりたい」と思いましたか?
大学に入ってから、制作活動を続けていきたいと思うようになりました。学生の時にギャラリーによく足を運んでいたのですが、そこで出会った作家さんたちから刺激を受けましたね。こういう生き方もあるのか~と憧れを抱くようになりました。
― 曽祖父である勝平得之の存在も、版画家を目指した理由の1つですか?
少なからず理由の1つではありますが...。実は私、勝平得之という版画家は知っていましたが、曽祖父であるということを知らなかったんです。
― そうなんですか!?
中学生の時、赤れんが郷土館の中にある勝平得之記念館がリニューアルオープンしたので母に連れられて行ったんです。そこで初めて、勝平得之が曽祖父だと知りました。
祖母の家に行けば得之の版画が飾ってあって、それが一般的なんだろうなと思ってました。「みんなの家にも版画があるんだろうな〜」って(笑)。小さい頃に「曽祖父が版画家だったんだよ」という話をされたのかもしれませんが、私の記憶にはなかったし、家族で美術に携わっている人もいなかったんですよね。だから、その改装記念式典に参加するまで、自分が勝平得之のひ孫だなんて知りませんでした。
― 曽祖父が版画家と知ったとき、どんな気持ちでしたか?
すごいな~とは思ったんですけど、私が生まれた時には亡くなっていましたし、そこまで実感はありませんでした。それでも版画を学んでいくうちに、人の表情や服の模様などの細かな表現は自分には中々できないことなので尊敬するようになりましたね。
版画家・勝平得之とは?
<秋田十二景 八橋街道>
ここで伊藤さんの曽祖父、版画家・勝平得之についてご紹介します。
勝平得之は、生涯を秋田で過ごした木版画家です。1904年、秋田市の紙すきと左官を家業とする家に生まれました。幼い頃から絵を描くことが好きだった得之は、20才のころ独学で版画を学び始めます。その後、下絵・彫刻・刷りを1人で行う創作版画運動に影響され、独自の多色刷り技法を習得。
1929年に日本創作版画協会展での入選を皮切りに、秋田美術会展・国画会展・日本版画協会展・帝展など、数々の展覧会に出品し、入選を繰り返します。また、1935年に知り合った建築家ブルーノ・タウトにより、海外にも作品が紹介され、高く評価されています。
<秋田風俗十態 彼岸花>
得之は身近な風景、風俗、伝統行事、四季の農作業などといった、故郷秋田の自然や人々の暮らしぶりを、色鮮やかな彩色版画の技法で表現し続けました。
秋田を生涯の題材とした得之。ひ孫の伊藤さんが、秋田で版画家となったのは運命なのかもしれませんね。
ちなみに、秋田県立近代美術館(横手市)では特別展「没後50年 勝平得之」の開催が予定されています。期間は11月20日から来年の2月6日まで。初めて見るのに懐かしい、そんな雰囲気が漂う得之の作品を、ぜひお楽しみください。
版画文化を伝えるために
― 筑波大学で研究生を終えた後はどのような活動をしていましたか?
研究生の期間がまもなく終了するという矢先に、東日本大震災が発生しました。次の引っ越し先にと決めていたアパートが震災の影響で住める状態ではなくなり、今後どうしようかと考えた末、いったん秋田に帰ることにしました。そして、勤めながら、制作活動を続けていました。秋田での生活は4年ほど続けましたが、心のどこかでアウェイ感を感じていて…。
本格的に制作活動を始めたのが県外だったことが原因だと思います。それにほかの作家さんとのつながりも県外にありましたし。秋田で展覧会を開催しても、どこか“ハマってない”感じがして...当時は手応えを感じることができなかったんですよね。そんな時期に、母校の岩手大学から仕事のお話をいただいたので、とりあえず活動拠点を岩手に移しました。
― そこからなぜ、また秋田で活動するようになったんですか?
大学での仕事は任期があったので、任期満了後どうしようかと考えていましたね。岩手には版画を通してつながった方もたくさんいますし、学生として過ごした第二の故郷でもあったので、このまま岩手で活動を続けてもよかったのですが…。
そうやって悶々としていたころに、秋田のテレビ局で勝平得之のドキュメンタリー番組を作るというお話があって。番組作りのため秋田県内の版画家を探していたようですが、得之のひ孫が版画を制作しているという話を耳にしたようで、わざわざ岩手にいる私まで取材をしに来てくれたんです。
版画家としての私を必要としてくれたことは純粋にうれしかったのですが、それと同時に、秋田で版画制作をしている人が少ないのでは?という疑問が生じました。
そのときに、秋田に「版画文化を広めたい!」と思ったんですよね。このままだったら秋田県の版画文化がなくなる恐れがあると思いましたし、実際のところ、秋田県民でも勝平得之のことを知らない人もいるというのが現実です。それを少しでも良い方向へ変えたいという思いから、秋田に戻ることを決意しました。
だから今日も彫り続ける
― 勝平得之のことや秋田の版画文化をどのように後世へと伝えていきたいですか?
勝平得之記念館には本人が彫った版木や、当時使用していた道具も展示されています。知識はそういう場所や本などで学べるので、実際に版画を作ってみたいとなったときに、私は技術面でサポートできればと思っています。それが、版画教室という場所をつくるきっかけでもあります。版画に興味を持ってくださった方に、もっと版画を好きになってもらえるよう魅力を伝えていきたいです。
― 今後のビジョンを教えてください!
地域に根ざした版画家を目指したいです。私は秋田で頑張ろうと決めたので、将来的には、秋田の版画家として知ってもらえたらうれしいですね。どんな活動をしていても、結局のところ、版画が好きということに行き着くので、版画をずっと続けていきたいと思っています。
【いとう版画工房】
《住所》秋田市新屋大川町6-14
《問い合わせ》TEL:090-6781-0822(10:00~17:00)
MAIL:ito.hanga.studio@gmail.com
《Facebook》https://www.facebook.com/ito.hanga.studio/
【取材・文:秋田ブロガー兼YouTuber じゃんご】https://dochaku.com/
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