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2021/02/18’ 世界は救えないけど豚の角煮は作れるし、人の心に届く言葉も書ける

にゃんたこというYoutuberがいる。自分もだいぶ前に急上昇に載った彼女の動画からはまり、チャンネル登録をして見続けている。

日常風景の動画に、彼女の考えを書いたテロップを載せるような動画である。

正直彼女の生活は好きではない。酒を飲み、パチンコをして、さらに酒を飲むような様子を動画にしている。これが彼女の多面的な部分の一面であるとわかっていても、嫌悪感が勝つ。

しかし、彼女が載せるテロップは非常に共感し、映画や本に関する感想や考えは適格な表現があり非常に好きである。

そんな彼女がエッセイ本を書いた。

彼女が読んで、見た本や映画が膨大な量であることは、youtubeの動画から伝わってくる。そして、その中でおすすめされたものは私の好みのものもあった。そんな彼女が何を書きどんな表現をするのか、気になって買った。その感想を書いていく。

洋次郎

始めに私はRADWIMPSの野田洋次郎が好きだ。彼の書いた詩は凡人が思いつかないような言い回しをする。「君の名は」で有名になってしまったことが少し残念でもあるが、彼の考え方が世間に広まることは全世界のプラスになることだと考えている。

洋次郎の話がにゃんたこのエッセイでも出てくる。彼女の友達と牛丼屋に行った際に「洋次郎が牛丼食いながら作った曲があったら聞いてみたい。」とのこと。

私は常々洋次郎の考えが知りたいと思って、曲を聴いたりLiveに行ったりしている。ただ、それは受動的なもので、彼が考えたものを受け取るだけである。

しかし、にゃんたこと友人は違う。

あくまで能動的にこの時この瞬間この場面でどんなことを思うのか。それを望んでいてその考えいいなあって。そしてそれって恋に近いのだろうなあって。

にゃんたこの文章は洋次郎に似ているかもしれない(あくまで個人の見解)

私も洋次郎が牛丼屋で考えた曲を聴いてみたい。

ウィリアム・ターナー

パイレーツか?と思った。違うらしい。イギリスの画家らしい。美術に興味がなく画家にも興味がない。ただ、美術館にはいくことがあるし、この章を読んで思い出した絵がある。

藤城清治の「天国へ行ったサルーキー」である。

大学生の時、ふらっと入った美術館でみたのだ。その日は暇で暇でしょうがなく、3時間ほど散歩して疲れて座るところを求めて入った美術館であった。藤城清治の名前は知らなかったが、絵は絵本なんかでみたことのあるもので親近感が湧いていたのを覚えている。入場料を支払ったので館内のベンチで休みつつ一周回った。後半にこの絵に出合った。

この年に実家の犬が死んだ。火葬の時に行けずに最後の生身の写真が送られてきた。構図が全く同じであった。しばらく絵の前で立ち止まっていたことを覚えている。美術館でなかったら泣いていた。

エッセイでは芸術によって「追体験」するというよりも、その経験が「永遠」になると言っている。

その通りである。追体験もするが、その現象で感じた心が永遠になる。自身が経験したことのある心情であったらなおさらである。

美術には興味がないが、こういうことがあるから美術館には行ってしまうのだろう。

言語化

エッセイを読んでいて思ったというか、再認識したことがある。

「たいがいのことは先駆者がいる」

自分の思ったこと・経験したことは、誰かが思ったことがあり、経験したことがある。そして、そのことに対して適切な表現や適当な行動をしている。私にはその適切な表現や適当な行動ができるとは思っていないので、その先駆者のことを知って自分に落とし込むことができればいい。

まとめ

エッセイ本はほしいものが書かれており、なりたい感情になることができた。非常に満足である。


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