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第5話『名探偵とジョハリの窓』

 季節は過ぎ、
 外は紅葉ときどき寒風。
 日崎さんの調子は少し悪かった。

 その頃は、
 猛暑でフル稼働していた
 クーラーによる筋骨格の固さは
 随分マシになっていたが、
 日崎さんの【黄金の時間】は
 少し短くなっていた。

 自身についても名探偵だった
 日崎さんの自己分析では確か、
 秋の土用で自律神経が
 【あっぱっぱー】になっているから、
 という事だったと思う。

 しかし、僕の記憶に強く残ったのは
 【あっぱっぱー】は日崎さんの娘時代、
 洋服のワンピースを示す言葉
 でもあったという雑学の方だから、
 当時の僕まだ呑気だったのだなと思う。

 思い返せばこの時から、
 日崎探偵の【黄金時間の終わり】
 が確実に始まっていたのだ。

 そんな僕だったが、
 その時仕事は忙しかった。

 同僚が立て続けに辞めたからだ。
 ひとりは、自分の夢を叶えるため、
 ひとりは、より給与のよい事業所に
 転職するため。
 退職理由なんて病院でも変わらない。

 当時の勤め先だった診療所は、
 昔から地域密着に注力している
 総合病院傘下の一診療所だった。

 50年程前、当時は主流だった、
 日雇い労働者の健康を守る為に
 開設されたらしい。

 入院設備も無く小規模だったが、
 大きな駅近くでかつ主要幹線道路沿い
 という抜群の立地で通い易く、
 温熱・電気治療・牽引器などと
 マッサージを受けることができた。

 また、
 開設時からの大ベテラン医師と
 英語が堪能な若手医師が日替わりで
 外来診療を担当していたことや、
 漢方薬も取り扱っていたことから、
 周囲の高齢者から外国人旅行客まで
 幅広い層の患者が利用していた。

 僕が所属していた訪問リハビリ部門も、
 1年前までは3人のスタッフが
 毎月100件以上ずつ訪問をこなす
 診療所の稼ぎ頭だった。

 だが、2人のスタッフ退職に対して、
 これまた産休などで離職者が増えた
 本店からの補充は1人だけ。
 しかもまだ入職3年目で、
 訪問リハは未経験というスタッフだ。

 勤続10年を目前にしたピンチに僕は、
 愛着ある診療所の訪問リハ部門の為に
 昼休みも削って孤軍奮闘していた。

 訪問リハビリでは
 患者さんのご自宅に伺い、
 自室の、しかも超私的空間であろう
 寝室のベッドなどを借ることが多い。

 その特性上、患者さんとの信頼関係を
 いかに丁寧且つ素早く構築できるかが、
 非常に重要となる。
 そして、それには相応の経験と、
 コミュニケーション能力が必要だ。

 また、基本的に現場では1人なので
 急変・緊急時への対応力も必要だし、
 ケアマネ-ジャーを始めとした
 他サービスと連絡を取り合ったり
 することも求められる。
 
 そういう理由で、
 若手で訪問リハは未経験なスタッフ
 に渡し難い患者さんがいるのだ。

 
 そこで僕を悩ませたのが、
 日崎邸に訪問していた時間だ。

 日崎さんのリハビリ担当である事は
 もはや僕にとって、
 誰にも譲りたくない楽しみであった。
 だが同時に、ついつい、
 長居をしてしまう訪問先でもあった。

 もちろん、
 気遣いとタイムスケジュールの鬼
 でもある日崎さんが、
 次の訪問がある僕を引き留めていた
 ということでは無く、
 僕の勝手な甘えだったのだが。

 結局、他の患者さんの訪問の為
 僕は泣く泣く、日崎さんの訪問を
 週1回分、後輩に譲ることにした。

 急な担当変更でも日崎さんなら、
 精神的に不穏になることなく、
 後輩の育成にも
 大いに貢献してくれるだろう
 という期待もあった。

 次の訪問の時、いつものように
 日崎さんの血圧や体温を測りながら、
 僕は担当変更の件を伝えた。

 あら、新しい若い子なんて面白そうね
 なんて言いながら、
 二つ返事で了承してくれるだろう
 という僕の予想に反し、
 日崎さんはなんとも言えない顔で
 しばらく僕をみつめて、

「今日のリハビリの時間が終わるまで、
 考えさせて下さいます?」

 と静かに言った。

 意外な反応に驚いたことを
 ごまかしつつ、
 いつものように横向きで
 肩のストレッチから始めた僕に、
 名探偵はある案件を話してくれた。

 今回の依頼は、
 ある人の認知症の程度について
 知りたい というものだった。

 その人は、
 1ヵ月程前から家族や友人から、
 同じことばかり話すようになった、
 約束を忘れるようになった、
 などと指摘されるようになった。

 そしてついには、
 物忘れ外来を受診して欲しいと
 娘さんに強く頼まれてしまった。

 ところが自分では全く自覚がないので、
 物忘れ外来には死んでも行きたくない
 と思っている、何とか娘を説得したい。

 その為に、自分の認知機能を検査して
 潔白を証明したい。
 依頼主はそう話を締めくくったそうだ。

 そう、今回の依頼主は、
 認知症の疑いをかけられた
 当事者自身だったのだ。

「さあ松嶋探偵見習いさん。
 あなたならこの案件に、
 どうやってあかりを灯します?」

 いつの間にか探偵見習い扱いに
 なっていたことを内心嬉しく思いつつ、
 定例になった問いかけに
 僕はストレッチを進めながら、
 あーでもないこーでもないと考え始めた。

 そんな僕にヒントを出すように
 日崎さんは、関連情報を教えてくれた。

 依頼主は、72歳男性 川崎さん(仮名)。
 伝統的な紙箱や洒落た封筒などを扱う
 紙屋さんの元社長。
 1年ほど前から、
 娘さん夫婦に仕事を任せて隠居暮らし。
 
 今まで病気らしい病気は無く、
 大きなケガもなく、
 病院にはとんと縁が無いというツワモノ。

 現役時代は仕事一筋かと思いきや。
 付き合いで始めてはまったゴルフ、
 大型バイクでのツーリングなど、
 なかなかに多趣味だったようだ。

 隠居後も、
 ゴルフに行ったりしていたようだが、
 同じ趣味の友人たちが怪我や病気で
 減ってしまってからは、足が遠のいた。

 そこに来て
 今回の認知症疑惑をかけられ、
 腹が立つやら悲しいやら・・・
 という流れだ。

「HDSRかMMSEを
 家族さんにでも調べてもらったら
 何かしら解るんじゃないですか?
 僕ならそう勧めます」

 僕は専門家らしく、
 認知機能の有名検査を2つ挙げた。

 2つともA4・1枚程度の量で、
 記憶力など大まかな認知機能を
 検査できる。
 インターネットなどで用紙を手に入れ、
 検査のポイントさえ伝えれば
 検査者が不慣れでも、ある程度の
 評価材料になると思ったからだ。

「それは提案のひとつとして
 私も考えた。
 でもね、本人はあくまで、
 娘さんには内緒で自分だけでと
 希望されていたのよ」

 それは・・・困った。
 先に挙げた検査は、
 自分1人で正確にできるものではない。

 ストレッチも横向きの分が終わり。
 あおむけの分に進んでいたが、
 僕はすっかり黙り込んでしまった。

 その様子を愉快そうに観察しながら
 日崎さんは、
 本件とは無関係ですけどと前置きして
 ある話をしてくれた。

「むかしむかし、
 戦後の混乱渦にあった日本のある街に
 1人の名探偵がいました。

 その人は、
 皆がはっと振り返るほどの長身痩躯。
 面長の顔に一重切れ長の目で、
 時代劇に出てくる悪役のような顔。
 でも表情豊かで、
 笑顔がとってもチャーミングだった」

 突然始まった謎の昔話を、
 僕は黙って聞いていた。
 日崎さんの目が声が、
 きらきら輝き出していたからだ。

「名探偵の名前は、財前俊彦。
 衣食住さえ満足に整わず、
 憲兵や進駐軍に怯えながら
 毎日必死で生きていた、
 小市民たちのヒーロー」

 日崎さんが突然語り始めたのは、
 彼女が探偵事務所を立ち上げる
 最大のきっかけになったという
 人物の話だった。

 春頃に少しだけ聞きかじっていたが
 初めてその名前を聞いて、
 僕はおやと思った。
 漢字は違うかも知れないが、
 僕の名前と同じだったのだ。

 日崎さんは嬉しそうに話し続けた。

「財前さんは、
 老舗畳屋さんの跡取りだった。
 だけど戦中後の食糧不足で
 い草農家もお米を作らされたから、
 畳屋さんの仕事が無かったみたいで。 

 それで戦時中は、
 学徒動員で工場で労働とか、
 背が高いから車掌を無給でやらされたり。

 戦後も、
 い草の生産再開許可が
 おりるまで暇だからと大学に進学して、
 これからは英語の時代だ!と思って
 英語を猛勉強したりしていたらしいわ。

 大学卒業後しばらくして、
 再開した畳屋さんを継いだ。
 だから探偵は裏稼業ね。

 ちょっとだけ・・・、
 いえ、大分変わった人だったけど、
 とにかく人間が好きでね。

 色んなところに出入りしては、
 その場の人たちと笑って泣いて。
 色んなこと手伝っている内に
 いつの間にか探偵になってたんだ
 って笑ってたわ。
 77歳で亡くなるまで、
 そりゃあもう沢山の難事件を解決した。

 英語勉強したけど畳屋では使い道ねぇや
 なんて言ってたけど、
 進駐軍と交渉したり憲兵を煙に巻いたり
 随分英語が役立ってたわ」 

 人生に無駄な時間は一つもないのね
 としみじみ付け加え、
 ひととき娘時代に戻っていた
 日崎さんは現代に帰ってきた。

「・・・そんな名探偵でも、
 解決できない案件がたまにあってね。
 そういうのは、いつも同じパターン。
 依頼主が、
 探偵の調査結果を受け入れない時。

 人間の本質はね、松嶋先生。
 自分が見たい物しか見ないし、見えない。
 聞きたい事しか聞かないし、聞こえない。

 誰かの考え方や生き方は、
 他者には決して変えることはできない。
 その人が自分で気づいて、
 変わろうとしなければ変わらないの。
 
 だから、探偵がいくら真実と思えるもの
 に明かりを灯しても、
 結末はいつもその人自身が決めるのよ。
  
 でもね、
 財前さんを手伝っていた時や、
 自分で商売をしていた時、
 沢山の人たちの沢山の人生を見てきた。
 だから分かる。

 どんな人間でも、
 自分のことを誰かに見て欲しいし、
 認めて欲しい。
 自己満足だけでは満たされないのも
 また人間なの。

 脳細胞レベルで自分本位でありながら、
 存在し続ける為に他者を必要とする。
 これが人間という生きものの矛盾。

 そして、この矛盾から生まれるのが、
 人間の自己やその人らしさの複雑さよ。

 1人の人間が生きていく時、
 その人が望むか望まないかに関わらず、
 その周りには、その人と共に生きている
 他者が必ず存在するわ。
 そしてその他者の数、視点の数だけ、
 【他者から見たその人】がいる。

 例えそれが、
 自身が思う【自分】とはかけ離れても、
 切っても切れない【もうひとりの自分】。

 この自分たちの集合体が、
 【社会的に統合されたその人】
 いわば、【大きい自分】になるの。
 
 認知症を疑われた川崎さんのように、
 自分から見た【小さい自分】だけを見て、
 本当の自分を誰にも解って貰えないって
 嘆き、悲劇の主人公に浸るのか?
 【大きい自分】も全部自分だって認めて
 その差異や多面性を楽しむか。

 正解なんてないし、
 かけ離れ度合いにもよるだろうけどね。
 大事なのは、
 人間の本質のひとつである自分本位、
 その【自分】の中に【他者】も居る
 ということ」

 日崎さんの体はとっくに緩み
 予定の終了時間も近づいていたが、
 僕は動けないでいた。

 日崎さんの目が声が、また輝いていた。

 でもザイゼン氏の話の時とは違う、
 かぼそくて、
 ふぅと消えてしまいそうな輝き。

「ごめんなさい。
 長くなっちゃったわね」

 日崎さんはふと時計を見るとそう言い、
 いつものように自分の体の動きを
 ひとつひとつ確認しながら起き上がった。
 
 手伝おうと前にまわった僕に
 日崎さんは、
 川崎さんの案件の結末を教えてくれた。

「川崎さんは結局、
 娘さんと一緒に物忘れ外来に行ったの。
 私が今回唯一したことは、
 依頼主の望みに反すこと。
 だって川崎さんから依頼を受けてすぐ、
 娘さんに連絡したんだから。

 川崎さんと少し話しただけで分かった。
 今の川崎さんにとって娘さんの存在が
 どれだけ大きいか。
 そして娘さんがどれだけ、
 川崎さんのことを、大事に思っているか。

 だから、依頼内容を全部伝えたの。
 探偵失格だって思うかしら?
 でも、私はそれも探偵の仕事だって思う。

 依頼主が見たくないこと
 聞きたいくないものでも、
 代わりに、見て・聞いて明かりを灯す。
 もちろん、何に気づき、
 どんな判断をするかはその人次第。

 川崎さんとは依頼の電話以来
 喋ってないけど、
 娘さんとしっかり話した上で、
 最後は、納得して病院に行ったみたい。

 後日談を聞かせてくれたのも、
 依頼料を支払ってくれたのも娘さん」

 終わりの時間を過ぎていたはずだが、
 僕は気付いていなかった。
 あの時はただ、
 自分に向けられた日崎さんの熱が
 出尽くすまで話を聞きたかった。

「川崎さん、
 日崎さんに怒ってましたかね?」

「そうね、怒ってたみたいよ。
 でも、仲良くなるのが目的ではないから。
 もちろん、ケンカしたい訳でもないけれど。

 今回の川崎さんのように、
 自分の想いとは違う【他者から見た自分】
 それも、
 病気になったかもしれない自分と
 向き合うっていうことは、
 とってもつらくて時間がかかること。

 その過程では必ず【怒り】が伴うわ。
 病気への怒り。
 病気をもたらした何かへの怒り。
 病気になってしまった自分自身への怒り。

 川崎さんは私に怒っていたけど、
 怒りの矛先は、最後は自分に向く。
 そして、深々と刺ささったその切っ先は、
 ことあるごとに何度も我が身を削るの」

 名探偵はそう言ってようやく、
 指定席へ向かう歩を進め始めた。

 いつもより心持ちゆっくりと歩く
 20mの間も、日崎さんは僕に語り続けた。
 
「ねえ松嶋先生、
    私はちゃんとリハビリできているって
 そう思いますか?」

「もちろん!
 日崎さんはいつも、
 ストレッチもマッサージもちゃんと
 受けていますし、
 運動も嫌がらずして下さるし、
 ご自分でも体操してるじゃないですか」

 心から僕は答えた。
 僕が知る限り、日崎さんほどリハビリに
 協力的で自己努力もする人はいなかった。
 
 しかし、日崎さんは不服そうだった。

「・・・先生は、
 リハビリって何だと思っています?
 体をほぐして運動させたり、
 できないことを訓練させることが
 リハビリですか?」
 
 僕は何も答えることができなかった。
 日崎さんが言ったこと以外なんて、
 考えたこともなかったからだ。

 

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