第9話『名探偵帰らず』
その年は早々と梅雨入り宣言が
あったが、雨はまだ降らず。
ただ湿度の高い、
重たい空気だけが満ちていた。
自分の精神状態と同じだなと
思っていたのを、
今でもよく覚えている。
日崎さんの訪問リハビリはあの後、
中止になっていた。
始めは、少し体調が悪いという
連絡があり1週間休んだ。
僕もどんな顔で訪問したら良いか
分からなかったので、丁度良かった。
その時はまだ、そのうち以前のように
戻れる、時間が解決してくれる。
と漠然と思っていた。
ところが、
日崎さんの体調は中々回復せず。
診断名は風邪から肺炎に変わり、
とうとう入院してしまった。
約1年間訪問していて、
日崎さんが風邪をひいたのは
見たことがなかったので相当驚いた。
彼女はいつも、
予防もしっかりしていたから。
僕は気が気で無かった。
経験上、
ずっと元気だった人が
急に体調を崩して入院し、
そのまま在宅復帰できない
というケースを沢山見て来たから。
まさかこんなことになるなんて。
加茂さんの案件に関わって、
精神を乱したから免疫力が落ちた?
僕が変に隠し事をせず、
始めから現場アシスタントをしてたら
何か違ったんじゃないか?
そんな根拠の無い色々な思いが、
頭に浮かんでは消えていった。
そして、日崎さんと最後に会った日
から1ヵ月後、彼女はまだ入院していた。
肺炎はようやく治まったが、
肺炎治療中にマッサージや運動が
できなかったその体は
かなり弱りまた固くなってしまった。
入院前のような生活は
まだ難しいと主治医に判断されたのだ。
退院の目処は立たず。
契約書に従って僕は、
日崎さんの訪問リハビリを一旦終了した。
何ともあっけない終わり方だった。
だが時が経つ程、日崎さんが与えてくれた、
世界が鮮やかに塗り替えられていくような
期待感や高揚感が懐かしく、
同時にたまらなく寂しくなっていった。
僕はどうやら自分で思っていた以上に、
日崎マイ子という人に惚れ込んでしまって
いたのだと解った。
だから尚更、こんな終わり方は嫌だった。
あの名探偵が、僕が憧れた人が、
こんなころで終わるはずがない。
そう思いたかった。
だけど。
最後に見てしまった日崎さんの姿が、
初めて見た弱さが
フラッシュバックする度に、
やっぱりこのままかもしれない・・・。
という思いに駆られた。
そんな風にして僕は、
特に日崎邸に訪問していた時間になると、
心がざわざわして落ちつかなくなる。
そんな日々を過ごしていた。
何度か日崎探偵事務所まで行ったこと
もあったが、変わらないその佇まいが
かえって主不在を強調しているるようで、
そのうち行かなくなった。
加茂さんの訪問は続いていた。
もちろん、終わる理由も無かったのだが。
加茂さんは、日崎さんの葛藤や現状など
知るはずもなく、
週1回をきっちり守りながら、
のらりくらりと疾病利得を享受している
ように見えた。
僕は、適当に話をしながら
ひたすら運動指導をしていたが、
時々、無性に腹が立って、
加茂さんの背中を蹴飛ばしたくなる衝動
にかられていた。
やがて本格的な梅雨がやってきた。
日崎さんが入院してから
2ヶ月が経とうとしていたその日、
加茂さんの訪問リハ中に事件は起こった。
加害者は誰あろうこの僕だ。
「そういえば最近、
変な電話がかかって来なくなりましたわ」
いつものように、
飄々と運動をこなしていた加茂さんが
突然そう言ったのが始まりだった。
つけっぱなしのテレビのワイドショーで
たまたま特殊詐欺事件の特集をしていた
からかもしれない。
「え?ああ・・・、
仏壇とか布団系の物販ですか?」
ぴんと来なかった僕は、
当たり障りの無い返答をしたが
加茂さんは、
ちゃうちゃうと手をヒラヒラ振った。
「娘あてに何回かかかってきてまして。
春頃やったと思います。
大学病院の先生からの紹介だと
言っていたけど何だか胡散臭かった」
僕は、はっとした。
日崎さんのことだと分かったからだ。
「・・・お医者さんの紹介なら、
ちゃんとした人だったんじゃない
ですか?」
「いやあ、どうでしょうか。
臨床カウンセラーらしいけど、
もう定年は過ぎていそうな声でした。
私ね、昔の仕事で色んな世代と
喋ったから分かるんですわ。
あれは、体はしんどいのに
気持ちだけ必死に若作りしてる、
そんな婆さんの声でしたよ」
前触れもなく、
例えようのない怒りがこみ上げた。
僕はそれを必死で抑えようとした。
「娘が、母親のこととか昔のことを
しつこく聞かれるからと困ってね。
最後は私が出て断ったんです。
全く、人の病気につけこんで一儲け
しようって輩は、本当に迷惑ですわ」
気がついたら僕は叫んでいた。
「何にも知らないくせに、
勝手なことばかり言わないで下さい!」
もうとっくに我慢の限界を
越えていたその時の僕は、
自分の感情と言葉を
抑えることができなかった。
「その人はあなたと同じ病気で、
しかも、あなたよりもずっと重症で。
それでも計り知れない知恵と努力で、
自分らしく生きられる時間を
必死で作り出してきた人です!
その大事な大事な時間を使って、
他でもない加茂さん、
あなたの力になろうとしていた!
その為の電話だったんだ!」
僕の突然の噴火に
呆気にとられていた加茂さんの
表情と声が一気に険しくなった。
「なんや君、あの、
えせカウンセラーの知り合いか?
もしかしてグルか?
2人で・・・いや大原っちゅう医者
も含めて、何を企んでたんや?」
「あの人は僕の、僕の先生です!
えせカウンセラーなんかじゃない、
本物の名探偵だった!
それに日崎さんは、
僕が加茂さんの訪問担当だとは
知らなかった、だからグルじゃない。
何度でも言いますが、
大原医師も含めて、
ただ、あなたを助けたいと
そう思っていただけです!
企んでいるのはあなたでしょう!」
「・・・それは、どういう意味や?
俺が何を企んでいるって?
日崎さんっていうたか、
それがあのカウンセラーの名前やな?
医者もまとめて、名誉棄損で訴えて
やってもいいんやぞ!」
「僕だけ訴えれば良いでしょう!
その代わり、こちらも言いたいこと
を言わせて貰います!
疾病利得というらしいですね。
あなたがやってきたこと、
そして。
これからやろうとしていることは。
あなたは、
自分たちの生活を守る為に
病気であることを利用している。
そればかりか、
もっと重症になろうさえとしている!
それが、どんなに恥ずかしいことか、
法的に犯罪でなくとも、
どれほど後ろめたいことか、
自分が一番よくご存知でしょう!」
完全に言い過ぎていた。
頭の片隅では分かっていたが、
止まらなかった。
日崎さんが入院したこと、
彼女との大事な時間が無くなったこと、
隠し事をしたまま別れてしまったこと、
ありがとう も さよなら も、
言えなかったこと。
その時の僕は
自分の身に起こった全ての不条理を、
加茂さんのせいにしていた。
そんな若造に嚙みつかれた加茂さんも、
一気に火が点いた。
「病気を利用してる?その通りや!
俺だってなりたくてなった訳じゃない、
利用くらいさせて貰わな割に合わんわ!
診断がおりるまでどれだけ不安だったか
君に分かるか?
病気について調べた時、
体の動きが鈍いことに気づいた時、
どれだけ怖かったか分かるか?
重症になるリスクを背負って、
あえて治療を受けない怖さが分かるか?!
分からんやろ!」
初めて聞く加茂さんの心の叫び、
突然病気になってしまった人の
心の叫びに、
怒りに狂っていた僕の心は震えて、
少しずつ我に返っていった。
今度は加茂さんが関をきったように
喋り続けた。
「パーキンソン病の原因も調べたし、
医者からも言われた。
根本的な原因はストレスだってな。
身に覚えはありますか だと?
有るに決まってる!
ストレスが無いやつなんかいるか?
将来の難病の種になるんですよ
なんて言って、優しくしてくれる
上司なんかいるか?
そんなん、おるわけないやろ!
ただただ、がむしゃらに働いて、
息抜きでちょっと株で遊んだら、
あっという間に貯金が無くなった。
女房もぽっくり逝っちまって、
無職の娘が出戻ってきた!
ストレスばっかりや!
マイホームを担保に借金しながら
何とか毎日をやり過ごしていた。
そのうち、
娘との暮らしに不思議と
安らぎを感じるようになってきた。
そんな時、突然、
体がおかしくなったんや!
病院に行ったら、
昔のあなたが間違った生活をして、
ストレスをため込んで。
それが原因で難病になりました、だと!
そんなこと今更言われたって、
どうしようもないやないか!
病気を利用するな、だと?
何にも分かってないくせに、
したり顔で俺を諭すな若造が!」
積年の思いを吐いた加茂さんは、
薄くなっている髪を振り乱して、
顔を真っ赤にして、僕を睨みつけていた。
僕には返す言葉が無かった。
加茂さんの気持ちが初めて、
痛いほど分かった。
同じ立場だったら、
僕は病気と向き合えただろうか?
全く自身は無かった。
それに、加茂さんの最後の台詞は
僕が最初に叫んだ台詞と同じだ。
結局、僕も加茂さんのことを
分かっていなかったし、
分かろうともしていなかった。
正論を振りかざすふりをして、
八つ当たりをしただけだ。
かといって謝ることもできず、
僕達はしばらく睨みあっていた。
その時、
リビングの奧の扉がすーっと開いて
加茂さんの娘さんが出て来た。
想定外の状況に、僕も加茂さんも
呆気に取られて娘さんの姿を追った。
初めて見る娘さんは、
少々ふくよか過ぎな体型に、
明らかに着古した部屋着を着ていて
髪はボサボサ。
化粧気のない色白の顔は、
むくんでいるように見えた。
長い間、よそゆきという概念を忘れた
かのような風体だったが、
相当の決意をもって出てきた、
そんな目だった。
「お父さん、もう十分でしょう。
松嶋先生も今日は痛み分けで、
帰って下さいませんか?
これ以上、感情をぶつけ合っても
お互いしんどいだけです・・・」
一度も会ったことのない娘さんに
名前を呼ばれた僕は驚いたが、
この助け舟に乗ることにした。
加茂さんもどうやら同じ気持ちらしく、
僕とは目を合わせないが、
もう恨み節も言わなかった。
「・・・失礼します」
その一言だけを絞り出して、
僕は加茂家を後にした。
外は相変わらずの梅雨模様。
青空駐車のバイクがアームカバーまで
ぐっしょり濡れていた。
僕は玄関前に置いたヘルメットの中から
濡れたまま丸めてあったカッパを取り、
黙々と着替えた。
加茂家での出来事が嫌でも甦った。
相手の事情を理解しようともせず、
日崎さん程の経験も葛藤も持たないまま、
感情に任せて患者さんとケンカした。
自分が嫌いだと、心から思った。
あの日の日崎さんも、
僕の前で感情を吐き出してしまった後
こんな気持ちだったのかな・・・。
そんな思いを抱きながらバイクを走らせた。
しとしと降り続ける雨の中、
僕はいつの間にか
日崎探偵事務所の前に来ていた。
もちろん用事は無い。
でもその日は、
加茂さんの後の訪問が無かったし、
診療所に戻って書類仕事する
気持ちにもなれなかったのだ。
日崎探偵事務所はもちろん
静まり返っていた。
看板も黒く湿り字が余計に見えない。
また無性に淋しくなった。
今すぐ日崎さんに会いたかった。
会って話を聞いて欲しかった。
僕はそれからしばらく雨に打たれ、
バイクに跨ったまま2階の事務所を
見上げていた。
突然、窓が開いた。
急に女の人と目が合ったので、
僕は息が止まるかと思った。
その女性は50代くらいに見えた。
茶色のベリーショートに、
大ぶりなイヤリングが映えていた。
切れ長の目が数秒、
僕を見下ろしていたが
何も言わずにまた中に消えた。
主不在の事務所にいるくらいだから、
日崎さんの関係者なのだろう。
僕が知る限り、
各サービス担当者以外の人の出入りは
無かったから、興味は湧いた。
だけど、その時の僕はどうみても
不審人物だったので、
通報でもされる前に立ち去ろうと思い、
急いでバイクのエンジンをかけた。
突然、今度は玄関が開いた。
さっきの女性が立っている。
怒られるのかと身構えていたら、
その人は傘もささずに
僕に近づいてきてこう言ったのだ。
「あなた、
訪問リハビリのトシヒコさんでしょ?
何点か聞きたいことがあるから、
事務所にきて下さる?」
その日は、全く知らない人に
2度も名前を呼ばれるという
珍しい体験をした。
しかも2回目は下の名前だ。
謎の女性の有無を言わせぬ
雰囲気に断り切れず、
僕は久しぶりに日崎邸に入った。
いつも使わせて貰っていた
ガレージにバイクを停めて、
いつも置きっぱなしのハンガーに
カッパを干した。
玄関に入ると大判タオルが
畳んで置いてあった。
日崎さんも、雨予報の時は必ず、
ヘルパーさんに頼んでタオルを
用意してくれていたことを思い出し、
懐かしさにほっこりした。
想像以上に濡れていたから
大判タオルがありがたかった。
時刻を確認して分かったが、
思った以上に雨中にいたようだ。
事務所などがある2階フロアに入ると、
懐かしいものばかりが目についた。
内玄関の正面に探偵事務所。
右手奥に、
リビング・キッチン・トイレ・寝室
などが続いていた。
京都では、鰻の寝床とも言われる
縦長の間取りだ。
事務所の西側には
道路に向かう大きな窓があり、
その横の壁面にはこれまでの
依頼記録ファイルがずらりと並ぶ。
日崎さんは、
ペーパーレスにしたがっていたが、
結局手が回らなかったのだ。
主不在の名探偵の指定席には、
僕を呼び止めた謎の女性が座っていた。
美女というには鋭すぎる顔立ちな上、
探偵というよりは裁判官のような、
厳格さと冷徹さを感じさせる雰囲気。
手だけで促されて座った椅子は本来、
依頼人が少しでも安心できるようにと、
事務所開設時に日崎さんがこだわって
特注したものだった。
日崎さん側の事情もあって、
直接事務所に来る人は少なかったので、
「結果的には、
無用の長物になったわね」
と始め日崎さんは言っていたが、
僕が何度も座らせて貰って
その心地よさを満喫していたので、
特注した甲斐があったと喜んでくれた。
だがその時は、
座り心地が全く違った。
冷たくて硬質的。
できるだけ早く立ち上がりたい、
そう思ってしまう嫌な感触。
どうやらこの椅子は、
部屋の主と僕の精神状態の影響を
強く受けるらしかった。
「呼び止めて、ごめんなさい。
10分もかからないと思ったので。
私は日崎マイ子の娘です。
訪問リハビリのトシヒコさん、
私の質問に答えてちょうだい」
状況的に幾らか予想はしていたが、
貫禄以外は顔も雰囲気も、
全く似ていなかったので驚いた。
この人が日崎さんの娘さんか!
日崎さんが娘の話をしなかった理由が
少し分かった気がした。
相手に気を配っているようで、
終始自分のペースで進めていく、
僕の苦手なタイプだ。
「あなたは日崎マイ子から、
何らかの相続に関する打診を
受けましたか?」
「え?相続?
何の話ですか?
僕は訪問リハビリ担当ですよ、
そんな話あるはずないでしょう」
あまりに突拍子もない内容と
まるで詰問のような口調に、
僕は苛立ちさえ覚えた。
加茂さんと口論した後だったから
尚更だったのかもしれない。
やっぱりこの人は
日崎さんとは全く似ていない、
早く診療所に戻ろうと思った。
「質問はもう無いですか?
無ければ帰ります。
タオルありがとうございました。
・・・あと、
事務所に入れて頂いたことも。
最後にもう一度だけ、
この部屋を見たかったので・・・」
そう言い残し、
そそくさと出入口に向かった僕を、
爽やかで心地よい笑い声がひきとめた。
「ふふふ、面白いわ~トシヒコ君は。
真面目で情緒的なのに、ひねくれてる!
母が気に入る訳だわ、ふふふ・・・」
声の主に心当たりがなさ過ぎて
僕は思わず振り返った。
氷の裁判官はそこにはおらず、
目元の笑い皺がチャーミングな
年齢不詳の女性がいた。
目の前のことを処理できずに
固まる僕をみて、
日崎さんの娘さんはもっと笑った。
「アッハッハッハ、良い顔してるわ~。
あー可笑しい!
ごめんなさい、私一旦笑い出すと
中々止まらなくって、ふふふ」
娘さんはその後しばらく笑い続け、
ようやく落ち着いてから
申し訳なさそうに言った。
「ホントにごめんなさいね。
母の住まいを掃除しに来たら、
けっこうな雨の中に、
家出からこっそり帰ってきた?
みたいな男の子を見つけて。
さてはあれがトシヒコ君だなって、
すぐにピンときたの。
どうみても、
詐欺師には見えなかったけど。
ちょっとからかってみたくなったの。
質問したかったのは本当だしね」
「詐欺師って何ですか?
質問って、相続がどうしたっていう?
もしかして、
以前電話を下さったのもその件で?」
「そうそう、
あの時も急に電話をした挙句、
その後すっかり後回しにしちゃって。
重ね重ね、ごめんなさい。
あっ、そうそう名刺名刺・・・。
え~ワタクシこういうモノです」
最初の印象とのあまりのギャップに
ついていけないまま、
僕は名刺を受け取った。
名刺には、
有名なお花屋さんの会社名と共に
見覚えのある秀麗な字で、
【CEO 日崎 多香美】と書いてあった。
CEOであることに驚きは無かった、
仕事柄、元CEOを何人か担当した
ことがあったが、
全員が個性的な人だったからだ。
それよりも気になったのは、
「あの・・・、
この名刺の字はもしかして
娘さんの直筆ですか?
探偵事務所の看板と、
あとパンフレットも
娘さんが書かれたんですか?」
「お~大正解!
事務所開設時、母に頼まれてね。
さすがトシヒコ君、見事なマニアっぷり!
あ、あと、
私のことは多香美さんって呼んで」
「はぁ、分かりました。
じゃあ多香美さん、
そろそろ解説して頂けませんか?
まだ色々と理解ができないので」
「あ~ごめんごめん、そうね。
何から説明したら良いかな・・・。
あ、時間大丈夫?
とっくに10分は経っているけど」
僕は、
後30分くらいは大丈夫である
ことを伝えた上で、
何故僕の下の名前を知っているのか、
そして相続というのはどういうことか、
を、まずは教えて欲しいと頼んだ。
「オッケー、
初めはあなたの名前のことね。
これは母に半分、聞いてたのよ。
ザイゼンさんと同じ名前ってことを」
「ザイゼントシヒコさんのことですか?
日崎さんが昔手伝っていた探偵の?」
「そうそう!そのザイゼンさん。
去年の春くらいだったかな?
あの人と同じ名前の子が
訪問リハの担当になってくれたって、
とっても喜んでたのよ母。
たぶん照れ臭くて、
ちゃんとは教えてくれなかったけど。
さすがに
同姓同名の確率は低すぎるから、
あなたはザイゼンさんか、
トシヒコ君のどちらかになる。
後は電話した時、
あなたの名字がマツシマだって分かった。
ということは、
あなたの名前はトシヒコ君ってこと。
どう?私の名推理、大当たりでしょ?
いや~それにしても・・・」
「あ~多香美さん多香美さん!
正解です、大正解でしたから、
次は相続の件をお願いします!」
本来の多香美さんのキャラクターに
ようやく慣れてきた僕は、
強めに軌道修正をかけた。
長年の経験則、
こういうタイプは話は面白いが
聞きすぎると、永遠に脱線し続ける。
だから、定期的な修正が必要なのだ。
そして、
基本的におおらかな人が多く、
話を途中で切っても怒らない。
少々面倒くさいけれど、
初めに怪演していた役よりも
ずっと似合っていた。
多香美さんは、
やっぱり日崎さんと別のタイプだけど、
根本にある優しさや温かさが一緒だ。
この人もきっと、
人間が好きなんだろうと思った。
多香美さんは予想通り、
全く気を悪くした様子も見せず
僕の質問に答えてくれた。
「そうね、その話をしなくちゃ。
去年の年末に親族が集まった時、
母が急に言ったのよ。
今の訪問リハビリ担当の人に、
自分の財産の一部を相続させるって。
皆、といっても私を含めても
5人しかいないんだけど、
急な話で驚いてね。
母はそれ以上何を聞いても、
自分の財産なんだから好きに使う、
相手もそれを了承してくれてる~
しか言わないし。
本当に相続させるとしたら、
法的な手続きも親族の了承も要るわ。
いくらワンマンな母でも、さすがに、
黙って話を進めたりしないだろう、
熱が冷めればあっさり方針転換する
だろうって皆、思ってた。
ところが、3月頃、私に連絡があって。
トシヒコ君に相続させる話を法的に、
正式に進めたいって言うのよ。
私は母の意思を尊重したい方だし、
母が変な詐欺師に引っかかった
なんてことも無いと思ったけど、
その頃は体調が下り坂で、
珍しく母が焦っている様子だったから。
念のためと思ってアナタに電話したの。
またかけ直そうと思っていたんだけど
仕事の方が忙しくなってね。
そっちにかまかけてたら、
今度は母が肺炎で倒れちゃって!
入院させるの大変だったのよ~。
高熱が出てたのに、
未解決案件があるから絶対に入院しない!
ってすごい剣幕で怒るんだもの」
多香美さんの話は、
口を挟む余地もないくらい
初耳だらけの話だった。
どうやら日崎さんは本当に、
僕に何かを相続したかったらしい。
嫌な気はしなかったけど、
名探偵らしからぬ非現実さだと思った。
「なんで日崎さんは、僕なんかに・・・」
「ふふふ、それはね。
アナタが、母の初恋の人と
同じ名前だったから・・・じゃなくて、
トシヒコ君はさ、
母の探偵業のことを純粋に、
凄い、カッコいいって
思ってくれてたでしょう?
仕事じゃなく、
自分の感情が絡むことを話すのは
さっぱり苦手な母が、
アナタのことは嬉しそうに話してた。
あの事業も色んな人から
散々言われてきたのよ、
対象者に生産性も将来性もない、
慈善事業か営利目的かが中途半端、
公的なサービスに任せろ、とか色々。
母にとってはライフワークだったし、
強い人だから誰に何を言われても、
しれっとした顔してたけど。
強いのと、1人でも寂しくない、
のは違うでしょ。
母は、
アナタがふくせん探偵の価値を
認めてくれたことが
とってもとっても嬉しくて。
それで、母なりに感謝の気持ちを
表そうとしたんじゃないかな。
それにしても、
ありがとうって言えば伝わるのに。
相続だなんて・・・。
あの人は昔からそう。
そういう所はホントに不器用なのよ」
日崎さんの想いが、
弱っていた僕の心を優しく優しく、
抱きしめてくれた気がした。
気がついたら僕は泣いていた。
「・・・僕の方です。
感謝してるのは僕の方なんです。
日崎マイ子という名探偵に出会って、
リハビリのお手伝いをさせて貰って、
本当に色んなことを教えて貰いました。
全部が新鮮で、大事なことで、
僕の世界はどんどん
色鮮やかになっていきました。
それが本当に嬉しくって・・・。
いつの間にか、
人生で初めて将来の目標、
なりたい自分も見つかったんです!
でも僕は、最後まで甘えっぱなし。
感謝もちゃんと伝えられてなくて、
日崎さんが残した仕事も
めちゃくちゃにしてしまった・・・」
僕は聞かれてもいないのに、
加茂家であったことを話していた。
多香美さんは、
僕の話を黙って聞いてくれた後、
何故か感心した様子で言った。
「トシヒコ君はザイゼンさんじゃなく、
若いころの母に似ているね。
母も昔から色んな事業をしていたけど、
今日のアナタみたいに
自分の感情や正義が抑えられなくて、
よくお客さんとケンカしてたのよ~。
それでも仕事が大好きで、
娘のことは二の次、三の次・・・。
父とは私が小さい時に
もう離婚していたから、
私はおばあちゃんっこでね。
一時期、
お父さんがザイゼンさんだったら、
母はもっと私を見てくれたのかなって、
友達の家みたいに
普通のお母さんになってくれたのかなって、
そう思ってたことも有ったわ。
だから、
成人して働きだしてからは、
母とは距離をとるようにした。
高嶺の花を見上げ続けるのも、
私を見て!って言い続けるのも、
疲れちゃってね。
そのうちに、
結婚して子どもが産まれて、
育児が一段落した頃から今度は
夫の会社を手伝い始めて。
母もパーキンソン病の診断は
受けていたけど、
その時はまだ軽症だったから、
気にせず私も仕事ばっかりしてたの。
だけど、母の病気が酷くなって
寝たきりになった時、母が初めて私に
助けて!って言ったのよ。
その頃はまだ今みたいに
公的なサービスが充実してなくてね、
身内が世話するのが普通だったし、
私は二つ返事で母の 助けて に応じた。
始めはどう接していいか分からなくて、
上司と部下みたいな時期があったけど。
ヘルパーさんの目途がつくまで、
結局半年間、一緒に暮らしたわ。
生まれて初めて、
ずっと母の隣で毎日を過ごして、
母の世話をいっぱいして、
合間に少しずつ喋って・・・。
それで分かった。
ああ、そうか。私はずっと、
これがしたかったんだってね。
それと、
愛情表現が独特で表現力も弱いけど、
母は母なりに、
私のことを見てくれてて、
大事に思ってくれてたんだってことも。
そう思えたら、
心がすっごく軽くなった。
今まで乗り越えたつもりでいたことが
ずっと重石になってたことに、
その時気づけたのよ。
それから、一緒に過ごす時間は
少しずつ減っていったけど、
仕事の合間をぬって母のところに行って、
色んな話をするようになったわ。
症状が強い時でも、私が行くと
喜んでるのが分かって嬉しかった。
たまに娘も連れて行って女子会もした。
母はやっぱり仕事の話が得意で、
それ以外は的外れなことばっかり
言うから、
私も娘も沢山笑わせて貰ったわ。
だから、苦労している母には悪いけど、
私は母の病気にこっそり感謝してる。
私と母を繋ぎ直してくれたのは、
母の病気だもの」
多香美さんの話を聞いていて、
僕の頭の中にぽつんと灯りがともった。
「・・・加茂さんも同じでしょうか?」
「う~ん・・・うん、そうね。
娘さんの病気をきっかけに
娘さんと同居して、
心が少しずつ繋がった訳だから。
少なくとも、娘さんの病気に対しては
私みたくこっそり感謝してるかも。
ご自分の病気には、どうかな?
トシヒコ君のせいで
隠してた感情まで吐き出せたなら、
スッキリはしたかも?
ごめんなさい、ちょっとわかんないや。
でも、これだけは言えるわ。
何年先か分からないけど、
加茂さんはきっとアナタに感謝する。
母がそうだったの、ケンカしたお客さんと
結局は一番仲良くなってたのよ。
昨日の強敵(てき)は、
今日の親友(とも)ってやつね」
最後ケンシロウかよ・・・。
多香美さんの見事な決め台詞に、
僕は思わず笑ってしまった。
日崎さんに目の前で泣かれて以来、
ちゃんと笑って無かったかも
と思いながら、ひとしきり笑った。
僕につられて多香美さんも笑っていた。
心が少しずつ軽くなっていった。
日崎さんの涙に中てられて凍った心が、
加茂家での件で更にひび割れた。
でも、日崎さんの想いに触れて
ひび割れは修繕され、
多香美ケンシロウによって氷は溶かされた。
人間というものはつくづく、
1人では生きていけない、
ややこしい生きものだと改めて思った。
「多香美さん、
色々とありがとうございました!」
「いいえ~、こちらこそ、
会いたかったトシヒコ君に会えて
沢山喋れて、とっても楽しかったわ」
予定の30分が近づいていた。
僕らは、ずっと昔からの知り合い
かのように言葉を交わしながら、
階下の外玄関に降りて行った。
「ああ、そうだ。
相続の件は詳細聞かなくていいの?
私、応援してあげるけど?」
「やめて下さいよ、
何であれ受け取れる訳ないでしょう!
僕が、日崎さんに恩返しをしたいので、
謹んで放棄させて頂きます」
「あら、つまんない。
せっかく両想いなのに・・・」
「つまんなくて良いですよ。
それより、
日崎さんに一言でも
お礼が言いたいんですけど、
面会とかまだ無理そうですか?」
僕は多香美さんと喋りながら、
ガレージからカッパなどを回収し、
外に出た。
雨は何とか止んでいた。
「う~ん面会か・・・そうねぇ。
肺炎の症状はもう治まっていて、
今は、体をもう1回鍛え直してる
段階だから、
体調的にはオッケーなんだよね。
一応、聞いてみるけどたぶん、
母は会いたがらないと思うな」
「えっ!何でですか?」
「女心がわからんねトシヒコ君は。
ドイツ行きを1年延期してまで、
母はアナタに色々なことを伝えたかった。
そんな推しメンに、
自分の情けない姿は見られたくないのよ。
大体、私にさえ頼りたくなくて、
『多香美ちゃんは仕事が忙しいから』
なんて言い訳して全然連絡してこないし、
特に介護サービス関係は全く手伝わせて
くれなかったんだから」
「あー、それで僕にもケアマネさんにも、
多香美さんの話はしなかったのか。
日崎さんらしい・・・え?ドイツ?
ちょっと待った!
ドイツ行きって何のことです?」
ヘルメットをかぶってバイクに跨り
出発直前だった僕だったが、
多香美さんの爆弾発言に
慌ててヘルメットを脱いだ。
「あれ?母から聞いてないの?
手紙を書いたって言ってたけど?」
「手紙なんて貰ってません!」
「あら?おかしいな。
まあでも確かに
手紙の1つでも受け取ってたら、
もっとマシな顔で事務所を見上げてるか。
母はね、
この夏からドイツに行くのよ。
当初の予定から1年間延期したけど、
向こうの施設に入所して、
パーキンソン病の最新治験に参加するの」
あまりにも予想外で、僕は返事もできず、
ぽかんと突っ立っていた。
脇に抱えていたヘルメットが
するりと落ちて、
派手な音をたてながら道路を転がった。
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