第1話『名探偵登場』
あらすじ
就職率に惹かれて資格を取り、
確固たるやりがいも見つからないまま
訪問リハビリを続ける理学療法士が、
福祉領域専門探偵、通称ふくせん探偵
を名乗る女性を担当することに。
難病を抱える彼女が活動できるのは、
1日5時間だけ。
季節毎に舞い込む難事件に対して、
『黄金の5時間』で彼女が起こす奇跡
とその生き様に、
毒舌だけが取り柄だった理学療法士は
心揺さぶられ、
セラピストとしても人間としても
成長していく。
名探偵、日崎マイ子とその助手?
による福祉領域専門ミステリーです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
誰にだって特別な人がいる。
中々見つからないし、
すぐに気がつかないこともあるけど。
一生に1度かもしれない、
特別な出逢いが確かに有る。
これは、
僕の人生を変えた出逢いと別れの記録。
登場する人たちの了解も得た上で、
ある人物の伝記のつもりで以下に記す。
「私、1日5時間しか動けませんの」
その人は、あっけらかんとそう言うと、
体がこれ以上 なまくら にならないよう
リハビリして欲しいんです と続けた。
「では、そのご希望に沿うよう、
来週から週2回40分程度のリハビリを
始めさせて頂きます。
私、理学療法士の松嶋が担当致します」
【〇△診療所訪問リハビリ 松嶋俊比古】
と書かれた自分の名刺を渡しながら、
いつものように、僕は答えた。
最初の面談の時の決まり文句だ。
そう、その時はまだその人は、
僕にとって何者でも無かった。
その人との日々が、
計り知れない程の宝ものになること、
いつのまにか、
両親よりも恋人よりも、
かけがえのない存在になること。
日々繰り返される、
今思えば無目的な生活に慣れきっていた
その時の僕は、
全く気がつきもしなかったのだ。
その人、日崎マイ子さんは、
僕の担当患者だった。
当時の僕の勤務先は、
京都市にある小さな診療所。
といっても僕は医者じゃない。
持っている資格は、理学療法士。
主な仕事は、リハビリだ。
リハビリと聞くと多くの人は、
入院中に受けるもの
というイメージを持つかもしれない。
だけど、その時の僕の仕事は
訪問リハビリ。読んで字の如く、
患者さんの自宅を訪問してリハビリ
をする仕事だ。
一口にリハビリと言っても、
自宅での生活再建を主目的とする
訪問リハビリの業務内容は多岐に渡る。
もちろん、
ストレッチやスクワットをしたり、
生活に関わる動作や外を歩く練習を
することも多いが時には、
一緒に買い物に行ったり、
料理を作ったり、
声に出して新聞を読んだり、
テレビの録画予約を教えたりもする。
一見、何の仕事かと訝しがられる
こともあるが、
あくまでご本人やご家族の希望に沿い、
生活再建につながることしか行わない
ということは強く主張したい。
日崎さんは、最初に出会った時は80歳。
60歳の時にパーキンソン病という難病
と診断されていた。
発症から数年は症状の進行が緩やかで、
日常生活に支障が無かった為、
特に治療はしなかったそうだが、
65歳頃から急檄に症状が進行。
パーキンソン病は、
脳内で分泌されるドーパミンという
人間の活動に欠かせないホルモンの
生産や受け渡しが滞る病気だ。
教科書的には、
振戦・無動・固縮・すくみ足
という4つの主症状が有る。
また、ON・OFFとも言われる、
【症状の明確な日内変動】も特徴だ。
日崎さんの場合その中でも特に、
無動という症状が強く、
体が比較的動きやすいONの時間が
ほとんどなかったようだ。
全身の筋肉が思うように動かせず、
寝がえりすることも喋ることも
困難になってしまった日崎さんは
しばらくの間、
24時間誰かの助けがないと
生活できない状態になってしまった。
公的なサービスは最低限しかなかった
という時代背景も有り、
娘さんや、私費で家政婦・友人知人を
雇って急場をしのぎつつ、
日崎さんは本格的な治療を始めた。
パーキンソン病は難病の中でも
比較的患者数が多く研究も盛んな為、
多くの薬も存在するが、この薬も難物だ。
種類が多い上、
患者さん毎に最適な量も違う為、
その組み合わせは数えきれない程ある。
日崎さんは、主治医と二人三脚で
少しずつ調整を進めた。
副作用の具合を見つつ、
薬の種類と量・薬を飲む時間
を何度も検証し、70歳頃には
最適な組み合わせと飲み方を確立。
訪問マッサージや自主体操、
車椅子なども利用することでついに、
昼の12時から17時までの5時間、
1人で生活ができるようになったのだ。
この時間こそ、
彼女が最初に僕に告げた時間であり、
自身が【黄金の時間】と呼ぶ時間。
それ以外の時間は、
ベッドか車いす上でほとんど動けない為、
昔と同じようにヘルパー・家政婦・知人
の助けを借り生活していたが、
年々公的なサービスが充実していった
ので介助者の手配は楽になったそうだ。
今でも、主症状である無動は
20時以降に最も強くなり、
それ以降は表情も無くなり
喋ることもままならなくなる為、
その前に、
食事や訪問入浴での入浴を済ませる。
そして、
ベッドで寝たきり状態になった後は、
夜間ヘルパーさんに、
定期的に姿勢を変えて貰いながら眠る。
朝の服薬後は症状が徐々に改善し、
ゆっくりなら体を動かすことが
できるようになる。
そうして午前中の間、
日崎さんは凝り固まった体を
ほぐすことに集中する。
訪問マッサージやリハビリは、
その補助係だ。
いくら薬でホルモンバランスを
改善しても、
筋肉や関節そのものが
滑らかに動かなければ、
黄金の時間はやってこない。
10数年間病気と闘い、
自分の体と対話し続けてきた
日崎さんは、
そのことを誰よりも知っていた。
完全自立にこだわらなければ、
誰かの介助ありきで良いのなら、
薬を調整することで
動ける時間を5時間以上に増やすこと
はできたらしい。
でも日崎さんは何の迷いもなく、
完全自立の5時間を選んだ。
そうして、
ようやく手に入れたその時間で
日崎さんが何をしているか。
それを初めて聞いた時の衝撃を
今でもよく覚えている。
思えばその時から、
僕は一患者では無く、
日崎マイ子という1人の人間に
興味を持ったのかもしれない。
「松嶋先生、私、探偵なんです。
表の看板にそう書いてあるでしょ?」
訪問し始めてからちょうど
1か月が経った時、
日崎さんはそう言ったのだ。
僕はまだリハビリ中だったのに、
思わず日崎邸の外に駆け出て
件の看板を見上げた。
訪問の度に目にしていたはずだが、
経年からか、
頭の【日崎】だけがやっと見える
程度だったので、
気に留めていなかったのだ。
【日崎ふくせん探偵事務所】
【電話・FAX 075‐012‐3456】
小ぶりで古めかしいが、
素材の良さと品格を持つその看板には、
目を凝らすと確かにそう書いてあった。
いつも目印にしていただけの看板が
春の陽射しを浴び、
てかてかと鈍く光り、
むくむくと存在感を増していった。
日崎さんは、
不思議な魅力を持った人だった。
真っ白な短髪に太い眉、
南国を思わせる彫りの深い顔立ちに、
無数の笑い皺。
女性にしては大柄で、
やや小肥りの体型も相まり見た目は、
南の島の陽気なおばあちゃんだ。
だが、その所作・声の調子・言葉遣いは、
老舗料亭の女将か高級ホテルマンのよう。
そのギャップが不思議ですね
と素直に言うと日崎さんは、
「これは癖みたいなものよ、
商売するのに都合が良かったからね」
と笑っていた。
彼女は大戦中の満州に産まれ、
日本人学校の教師だった両親の元で
幼少期を過ごした。
やがて、
終戦と同時に押し寄せたロシア軍と
日本軍の圧制下にあった満州の人たち
から逃げるように帰国。
九州経由で帰国・上京した。
青春時代は戦中戦後の混乱期
まっただ中。
出稼ぎでしばらく父親が不在だった為、
長女だった日崎さんは
5人家族の生活を死守せんと、
憲兵・アメリカ進駐軍・闇市の商人たち
と何度も駆け引きを繰り広げたそうだ。
その経験と生来の好奇心から、
戦後復興期には独学で色々な商売を
成功させてきた。
この時代の話だけでも
相当な量と面白さなのだが、
また別の機会に記そうと思う。
当初、僕が訪問していたのは週に2回。
火曜と木曜の10時半~11時10分の間
の限られた時間だけだったが、
僕は日崎さんに限らず、
ストレッチや運動中などに
色んな話をする方だった。
訪問リハビリを順調に進める為、
患者さんの性格・こだわり、
発言と行動の解離などを早めに
理解するのが目的だ。
ここ数日の体の調子から半生まで。
僕が尋ねる様々な分野・時間軸の
様々な質問に対して、
日崎さんはいつも丁寧な口調で、
迅速かつユーモラスに答えてくれた。
その上で、決して他人や何かの組織に
ついて悪くは言わず、
どんな相手にも常に一定の敬意を払う
その姿に僕は感心しつつも、
そんな良くできた人間がいるのかと、
半分くらいは疑ってもいた。
当時の僕は、自他共に認める
小賢しい天の邪鬼であった為、
一時期、彼女の【底】が知りたくて、
わざと砕けた口調で喋る、
突拍子もない冗談をぶつけてみる、
特定の有名人を批判してみる、
などの試みをしたことがあった。
もちろん、
最低限の社会的モラルは守りつつ、
相手の深層心理に迫る為に行う、
れっきとした話術だと
周囲には言い訳していたが、
いつか大火傷するぞ!
と先輩や事務所が同室のケアマネさん
には、よく釘をさされていた。
ケアマネさんというのは、
ケアマネージャーの略称だ。
患者さんの希望に基づき、
介護保険分野における各種サービスを
月々定められた点数の範囲内で差配し、
各サービス間のやりとりを仲介する、
いわば介護保険サービスの司令塔である。
ケアマネさんがしっかりしていると、
得手不得手の違う各職種が1つのチーム
になるが、その逆もまた然りだ。
介護保険分野での訪問リハビリの依頼は、
ほぼ100%ケアマネさんがくれる。
日崎さんの訪問リハビリの
依頼をくれたのも、
診療所きっての大ベテラン管さんだ。
僕たちにとっては色んな意味で
頭があがらない、
ありがたい存在なのだ。
さて、当時の僕の密かな試み
【日崎崩し】に対しても、
日崎さんは全く揺らがなかった。
彼女は、
僕の口調が砕ければ同じように砕け、
くだらない冗談にはもっとくだらない
冗談で返してくる。
そうかと思えば、
そんなこと言うもんじゃありません
と嗜めてくる。
有名人の悪口系には一切乗ってこず。
しまいには
僕の試みを見透かしたように微笑んで、
「ところで先生は、
素敵な声をしてるわね」
などと持ち上げてくる。
いつでも、冷静でチャーミングだった。
これは底なし、もう降参だ!
僕は1カ月ほどでそう結論づけた。
あんなに清々しく白旗を挙げたことは、
かつてない。
それ以降は、
良い意味で全く気を使わなくなり
訪問するのがどんどん楽しみになった。
リハビリの内容としてはその時は、
固まった筋肉や関節をほぐして緩め、
体の動きを滑らかにすることが主だったから、
必然日崎さんとの会話は増えていった。
そしてついに【黄金の5時間】は、
僕の前にその全容を現したのだ。
日崎探偵事務所には
【ふくせん】の冠がつく。
これは日崎さんが作った造語で、
【福祉医療介護領域専門】という意味だ。
探偵事務所のパンフレットには、
・営業時間は13時~午後16時半まで。
※緊急の場合は午前9時から受付。
・当方の都合により、
経過並びに調査結果報告は
基本的に電話で行います。
・簡単な質問は無料。
調査が必要と判断した場合、
別途規定の料金を頂きます。
・直接事務所にいらっしゃるのも
構いませんが、
営業時間は順守して下さい。
・福祉医療介護に関わる案件は
何でもご相談下さい。
迅速且つ丁寧に対応させて頂きます。
といった文言が、
秀麗な直筆のような字で記されていた。
これが、ご近所などでは無く、
ヘルパーやケアマネージャーを通じて、
福祉系の関係各所に配布されている。
日崎ふくせん探偵事務所は、
日崎さんが黄金の5時間を手に入れた
約10年前に開設されたらしい。
だが、どうして彼女が探偵事務所を、
それも福祉医療介護領域専門の冠付きで
立ち上げたのか?
それは時に気の遠くなるような
闘病生活で出会った何人かの人たちと、
若い頃親しかったある人の影響だと
日崎さんは話してくれたが、
その発想と行動力には驚くばかりだ。
そして更に驚くことに、
日崎探偵のもとには定期的に依頼があり、
しかも日崎さんは自分の生活費を
ほとんどその探偵業で稼いでいた。
「持ち家で一人暮らしだもの。
年金も貯金もあるし、
医療費は上限が決まっていますからね」
とは本人の弁だが、
それでも十分すぎる実績だ。
始めの内は、日崎さんの知性を知った
当時の担当ヘルパーや看護師などからの
依頼だけだったようだ。
しかし、誰のどんな相談でも、
日崎さんが鮮やかに解決してしまうので
口コミで評判が広まった。
今や、
介護サービスを利用している本人や、
その家族・ヘルパー・看護師・ケアマネ
から、高齢者施設の所長や時に医師まで。
また、介護で悩んでいたり
将来に不安を感じている方々など、
依頼主は実に幅広い。
そして日崎探偵はそのほとんどを、
現場に行くこと無く、
(もちろん自由にも行けないのだが)
電話対応だけで解決している
というから驚きを通り越して、
正直信じられなかった。
しかし、
パーキンソン病と診断された時から
決して目を背けることなく、
自らの病気と福祉医療介護分野全体を
モウレツに勉強し始めたという
日崎さんの知識は、確かに凄まじかった。
その知識は当然、リハビリ分野にも及び、
専門であるはずの僕も話についていけない
ことが何度もあった。
日崎さんはそれでも、
「松嶋先生は根はマジメなのに、
性格がひねくれているから面白いのよ」
という理由で僕を認めて?下さり、
守秘義務を厳守しながらではあるが、
実際の依頼のことを少しずつ
話してくれるようになったのだった。
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2話目
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3話目
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10話目(完)
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