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第7話『名探偵と青紫色の暗号』

 季節はやがて秋から冬に変わり、
 バイク移動の身には
 堪える日が多くなってきた。
 
 当時は1日に6,7件ほど
 訪問していたから、
 季節の変化には敏感だった。

 患者さんの実際の生活に関わる
 仕事の為、季節や気候というのは
 リハビリ内容に多分に影響する。

 例えば、夏と冬では、
 脱ぎ着する衣服の量が違うので
 着替えの難易度が変わるし、
 夏は熱中症や脱水、
 冬は感染症が多いなど、
 季節ごとの注意点もある。

 また、春や秋は毎回外で
 屋外歩行訓練していた方も、
 真夏や真冬は屋内での運動に
 切り替えたりなどもあった。

 僕はもう慣れっこだったので
 四季を楽しむ余裕もあったが、
 名探偵は寒さに弱かった。

 元々筋肉が滑らかに動きにくい
 病気なので寒いと特に固まり易い。
 もちろん,
 彼女の部屋には暖房器具も有るが、
 人工的に暖かくし過ぎると
 気分が悪くなるからと、
 暖房はいつも控えめだった。

 その為、冬の日崎さんの体は
 春の1.5倍増しで固かった。

 ついこの間まで、
 【リハビリとは何か】などという
 大きなテーマで悩んでいた割に、
 僕がやることは
 日崎さんの体をほぐし、
 黄金の時間の準備を手伝うこと
 とそれまでと同じだった。

 それでも、
 リハビリの価値をもう一度信じて、
 自分ができることを続けようと思えた
 ことで僕の気分は晴れやかだった。

 また、異動してきた若手スタッフが
 思いのほか優秀で人当たりも良く、
 任せられる仕事が多かったので、
 僕の訪問枠にもゆとりが出た。

 それで、
 日崎さんの訪問リハビリ提供時間を
 40分から60分に延長できていた。

 60分にしたのは、
 増しで固い筋肉や関節に
 対応する必要があったからだ。

 筋肉や関節というものは
 非常に気難しい面が有り、
 固いからといってむやみに伸ばしたり
 動かそうとすると、余計に縮こまる。

 日崎さんのような
 中枢神経系疾患の場合は、
 特にその傾向が強くなる。

 その為、筋肉関節だけでなく
 周囲の皮ふも含め最適な力加減で
 調整を試みる。

 呼吸と合わせることや、
 本人にも動かして貰うことなども、
 神経も含めた解放には重要だ。

 時間を延長した効果もあってか、
 日崎さんの黄金の時間は
 秋に少し減った分を取り戻して
 再び5時間に戻っていた。

 僕は僕で日崎さんと話す時間が
 長くなったことを、
 単純に喜んでいた記憶が有る。

 日崎探偵の元に
 少々不穏な依頼が来たのは、
 本格的な冬の到来が近づいていた
 冬至の頃だった。

 日崎さんは当時、
 平均して週に10件以上の依頼を受け
 遅くとも、2.3日中には片づけていた。
 年間で換算すると、
 500以上の依頼をこなしていたのだ。

 その多くは、
 保険制度やその申請に関わることなど、
 本来なら役所に聞くか
 自分で調べれば済む内容だったが、
 日崎さんは事務所の理念に則って
 迅速且つ丁寧に応対していた。

 その、解り易さ・電話という手軽さ・
 単純な質問だけなら無料であること
 もまた評判だったようだ。
 恥ずかしながら僕も何度か
 制度上の質問をしたことがあったが、
 評判に偽りなしだった。

「安定した集客のコツは、
 小さい損を重ねて大きく儲けること」

 これは名経営者でもあった
 日崎さんの金言。

 利益率の悪い小さな依頼を
 コツコツこなすことが、
 最も効果的な宣伝になり
 お客の信頼と口コミという、
 商売人にとっての神器を
 手に入れる近道なのだそうだ。

 ローン完済の持ち家で独居。
 貯蓄もそこそこあったはずの
 この時の日崎さんにとっては、
 ふくせん探偵業での
 【儲け】とは金銭ではなく、
 人間と病が複雑に絡み合う案件
 のことだったかもしれない。

 その冬、
 まさに探偵冥利に尽きると
 日崎さんが称した、
 ある依頼の概要を以下に記す。

 依頼主は、
 佐々木さん(仮名)
 73歳・男性 の妻。

 佐々木さんは、
 有名進学校の元校長先生。

 職業柄体裁も重んじるが、
 裏表の無い言動と低く響く声、
 気さくな人柄が好まれ
 生徒や教員からの信頼も厚かった。

 また、子宝には恵まれなかったが
 夫婦仲が非常に良く、事あるごとに
 一回り年下の妻へ感謝を伝えていた。

 ところが定年を迎え、
 妻と旅行の計画などを立てていた矢先、
 脳梗塞を発症してしまった。

 脳の左部分の広範囲に渡って
 血流が途絶えた佐々木さんは、
 重い右半身の麻痺と言語障害を負い、
 車いす生活となった。

 佐々木さんの言語障害は、
 主に運動性失語と言われる症状だと診断。
 これは、
 他者の言葉は理解できることが多いが、
 自ら話すことが非常に困難になる症状だ。

 佐々木さんは入院中のリハビリにも
 熱心に取り組んだが、
 目に見える成果は出なかった。
 それでも必死で喋ろうと苦心し、
 発声練習をしたり、
 イエス・ノーで答えられる質問には
 身ぶり手振りで答えていたそうだ。

 しかし、それだけでは答えられない
 ことが当然有った。
 すると、喋ろうとするほどストレスが
 溜まってしまうようになった。

 佐々木さんの意欲は次第にしぼみ、
 発症から1年が過ぎた頃には
 声を出そうとする素振りがなくなった。

 そして、
 イエス・ノーで答えられる質問にも
 いつしか、ほとんど反応が無くなって
 しまった。

 また、発症時から右手足はほとんど
 感覚がなく力も入らなかった為、
 ベッドから車いすやトイレに
 移動したり、通院などでタクシーに
 乗り降りしたりする際も助けが要る。

 その役目は必然的に妻が担っていたが、
 一回り若いものの小柄で、
 決して強健ではなかった彼女には
 負担が強かった。

 夫を敬愛する妻はそれでも必死に毎日、
 自宅で介護を続けていたが
 ついに精神的に追いつめられてしまった。

 その時、夫の担当ケアマネージャーが
 デイサービスの利用を勧めてくれた。
 
 デイサービスは、通所介護の別名。
 何らかの理由で在宅生活が
 難しくなった方を対象として、
 ヘルパーや看護師などが常駐する施設で
 最大7時間ほど過ごして頂き、
 入浴・食事・運動・娯楽などを提供する
 介護サービスのこと。
 もちろん送迎付きだ。

 施設によってスポーツジムのような
 運動器具があったり、
 看護師以外にマッサージ師やリハ職が
 常駐していたり、
 娯楽が充実していたりと様々だ。

 独居の方の栄養や衛生面の支援、
 家族介護の方なら、
 家族の負担を軽減する目的などで
 勧められることが多い。

 佐々木さんの妻は、近所の目も有るし
 自宅が大好きな夫が納得するはずが
 無いと当初思っていたが、
 ケアマネージャーがパンフレットで
 概要を伝えると佐々木さんは承諾。

 当初は週2回の利用だったが
 勧められるまま利用日数は増え、
 依頼当時は週5日利用になっていた。

 佐々木さんは相変わらず
 何も喋ろうとはしないものの、
 妻の肉体的・精神的負担は
 かなり軽減されたとのこと。

「ここまでは
 不幸の中に夫婦愛がキラリと光る、
 ただの泣ける話なんだけどね」

 日崎さんは、自分の体を
 横向きから仰向けに変えるのに合わせ
 話を止めた。
 僕も自然に寝返りを助けながら、
 自分の体勢を整える。

 そして僕が、
 再び日崎さんの筋骨の調整を
 試み始めると彼女はまた話し始めた。

 佐々木さんが、
 デイサービスを週5日利用し始めて
 1ヶ月ほど経った頃から、
 佐々木さんの腕や足に青紫のあざが
 目立つようになった。

 感覚が無い右腕や右足に
 集中していた為、
 特に痛がる様子は見せなかったそうだ。 
 
 自宅では、ベッドに寝ているか
 車いすに座っていることがほとんどで、
 発症当初から感覚が乏しい右半身には
 特に慎重だったという妻は、
 夫の介助をする時何処かにぶつけたこと
 は無いと自信を持っていた。

 その為、デイサービス利用中に
 些細なアクシデントでもあったのだろう
 と軽く考えていたようだ。

 しかし、その後も状況は変わらず。
 青紫のあざは、
 治りかけてはまたできるという状態。
 かといってデイから貰う連絡ノートを
 見ても、いつも、
 食事をどのくらい食べたかということと、
 『今日も穏やかに過ごされています』
 という文言以外何も書かれていない。

 さすがに妻は心配になり、
 何度か送迎スタッフに尋ねてみたが、

 入浴時はリフトで安全に行っているし
 トイレや車いすへ移動する時は、
 2人介助で慎重に対応している。
 それ以外には、大きく移動することが
 無いからぶつける機会は無い。

 何かあれば間違いなく連絡しますから
 と言われただけで、
 夫の青あざが増えていることは
 あまり認識していないようだった。

 それからというもの佐々木さんの妻は、
 夫がデイサービスで
 虐待とまではいかずとも
 乱暴な扱いを受けるようになった
 のではと思うようになってしまった。

 かといって下手に騒いで、
 デイサービスを辞めて下さいと
 言われると自分が困る。

 夫のことは今でも大切に思っているし、
 できるなら自分が住み慣れた自宅で
 面倒をみてあげたいと思ってはいたが、
 いかんせん体も心もついていかない。

 一度はケアマネージャーにも相談したが、
 発症時から親身になってくれた担当者は
 その少し前に替わってしまった。
 まだ若い新しい担当者は、
 デイにそれとなく事情を聞いてみると
 言ってくれたものの、
 妻が初めにスタッフから聞いた以上の
 情報は得られなかった。

 こうして不安が募りに募った妻は、
 以前ケアマネージャーから貰っていた
 チラシを見て、
 日崎探偵事務所に電話してきたのだった。

「さあ、先生ならこの依頼に
 どうやってあかりを灯します?」

 起き上がってベッドに腰掛けながら、
 日崎さんがお決まりの台詞を言った。

 筋肉も関節も
 中々素直にほどけてくれたので、
 次は、立ったり歩いたりで体重をかけ
 実際に動かして貰う時間だ。

「ではまず、
 デイ側の言い分を聞きたいですね。
 最低10人、
 できたら100人分、お願いします」

 日崎さんのねじれた衣服や
 ずれた寝具を整えながら、
 僕は偉そうに昔の日崎さんの言葉を
 真似てみたが、
 ちゃんと覚えていてくれて嬉しいわ
 と、喜ばれてしまった。
 
 いつも通り
 僕の手をもって立ち上がり、
 足踏みなどの運動を始めながら、
 名探偵は、
 デイサービスのスタッフ数人から
 聞いたという情報を教えてくれた。

 一つ、
 デイサービスでは、
 事例としてはよくあることだからか、
 佐々木さんの青あざが増えたことを
 正確には認識していなかった。

 二つ、
 妻から何度か質問されたことも、
 たまたまスタッフの1人が
 記憶していただけで、
 記録には残っていなかった。

 三つ、
 佐々木さんが利用し始めた当初は、
 まだ利用者が少なく
 スタッフの量も質も充分にあったが、
 利用者が増えるに従い余裕が無くなった。

 四つ、
 主任相当のスタッフが
 何度か管理者に進言したものの、
 スタッフ数は増えないまま。
    利用者拡大路線だけが継続されて、
    何人かオープニングスタッフが辞めた。

「というわけよ、先生。
 他に何か聞きたいことが有る・・?
 無ければ、また次回考えを聞かせてね」 

 そう言いながら日崎さんは、
 黄金の時間の指定席である
 事務所の椅子に優雅に座った。

 デイ側の言い分は非常に良く分かったし、
 今回は、依頼人が佐々木さんにもっとも
 近い存在なので、
 旧担当も含めケアマネージャーはおそらく
 脇役扱いで良いだろう。
 そう判断した僕は、
 追加情報については何も求めなかった

 ただ、一体どうやってここまで内輪の話を
 聞き出したのかという方が気になり
 日崎さんに尋ねると、
 企業ひみつですとはぐらかされてしまった。

 戦中戦後の回想録の中だけでも、
 法律的にグレーな話が出てくるのだから
 純粋な話術だけではなかろうと思ったが、
 追及は止めておいた。


 そして次の訪問時、
 日崎さんの筋骨を調整しながら
 僕なりに考えた回答を試験官に伝えた。

「デイサービス内では、
   時間的にも人員的にも
 余裕が無くなっていって、
 佐々木さんが週5日利用になった頃は
 サービスの質は大分落ちていた可能性
 が高いです。
 連絡ノートの内容にも表れている。

 奥さんが聞いた時、
 デイ側は動きの大きな介助は限定的と
 認識していたようですが、
 佐々木さんは青あざができていても
 痛みを感じることができないし、
 コミュニケーション障害もありますから、
 デイ側がアクシデントに気づけなかった
 ということは大いにあり得ます。
 
 ですから意図的では無いにしろ、
 やっぱりデイサービス側に原因があった
 と思います」

 僕の回答に日崎さんは暫く沈黙していた。 
 
 今回は我ながら一分の隙も無いと
 胸を張りかけたその時、
 名探偵は大きなため息をついた。

「うーん・・・。
 頭が固いというか、
 やっぱり思った以上に真面目なのね
 根っこが。
 見込みはありそうなのに、
 まだまだ時間がかかるわねぇ」

 見込みがあるのは嬉しいことだが、
 今回も見事に落第したようだった。
 結果に納得がいかなかった僕が
 説明を求めると、
 日崎試験官は優しく教授して下さった。

「まず松嶋先生最大の落第点は、
 あれ以上情報を求めなかったこと。
 そのせいで、
 最も重要な人物からの証言を
 聞き損ねたまま、
 結論を出してしまった」

 この指摘にはとても驚いた。
 何しろ僕には、
 全く思いつかなかったから。

 しかしその人は確かに存在して、
 本来なら絶対に
 無視してはならない人物。
 その人の名は・・・。

「佐々木さんご本人よ。
 私はこの依頼を受けた時から、
 佐々木さんに話を聞くには
 どうしたらいいかだけを考えてたの。

 デイの状況は直接聞くまでも無く
 推測できていたし、
 今の状況では、
 アクシデントが起きていたとしても
 立証することは難しい。

 でもそれ以外の真相が有るなら、
 きっと佐々木さんだけが知っている
 そう思ったから。
 失語症のことは知識として
 知っていたけど、
 それだけでは足りなかった。

 だから、
 知り合いの言語聴覚士に連絡して
 ヒントを貰ったのよ」

 言語聴覚士とは、
 リハビリ関係の国家資格のひとつだ。

 僕が持っている理学療法士が
 全身の筋骨格運動寄りなら、
 【喋る・意志疎通・食べる・飲む】
 という、
 人間が生きる上で無くてはならない
 部分のリハビリに特化した超専門職。

 入院中などは
 理学療法士・言語聴覚士と、
 特に手の能力回復と精神的安寧、
 実際の生活動作再建に特化した
 作業療法士とが協力し合って、
 リハビリ支援をすることが多い。

 それにしても、
 妻の話では佐々木さんは随分前に
 自ら喋ることを諦めているし、
 明らかな失語症もあった。

 それを聞いておきながら
 依頼を受けたその時から、
 佐々木さん本人と話す手段を
 考え始めるなんて!

 僕は日崎探偵の慧眼に改めて驚き、
 同時に恥ずかしくなった。
 訪問リハビリという看板を背負って
 働いている自分こそ、
 真っ先に思い当たらなければ
 ならなかったのではないか。

 そんな僕の気を知ってか知らずか、
 日崎さんは淡々と話を続けた。

 日崎さんはまず、
 昔のクライアントだったという
 知人の言語聴覚士に連絡をとり、
 佐々木さんの可能性について
 助言とヒントを得た。

 続いて、
 ケアマネージャーと
 デイサービス責任者に了解を得た後、
 スタッフ1人1人と電話で喋った。

 デイサービス内部の事情を調査する
 というのが建前だが、
 依頼があった時点で大まかに内情を
 察していた名探偵の目的は別にあった。

 佐々木さんの証言を得る為の
 協力者を探していたのだ。

 僕にしてみれば、妻がいくらでも
 協力してくれそうだと思うのだが、
 日崎マイ子の見立はひと味違った。

「思い出して欲しいのは、
 人間は基本的には自分勝手で、
 その時に自分が見たいものしか
 見ないし見えないっていうこと」

 これには僕も納得した。
 自分の中にも長年こびりついた
 固定概念が有り、
 思考や判断を狭めていることを
 【リハビリとは何か】の問いの際に
 嫌というほど思い知ったからだ。

「固定概念というものは、
 この世に産まれてからの年月で
 積み重ねたもの。
 親・養育者の願いやしつけに始まり、
 自身が経験・体験してきた、
 成功、失敗、ありとあらゆる感情。
 見聞きしてきた様々な情報などの
 集積の結果で、
 その人らしさの源とも言える。
 だから決して悪者ではない。
 だけど、
 時にその人の可能性を狭めてしまう」

 佐々木さんの妻は、
 夫がデイサービスを利用することに
 なった経緯から、
 一度大きく体と心に傷を負っていた。
 そんな人にいきなり、
 トラウマに立ち向かえというのは
 酷なことだし作業効率も悪くなる。

 だから今回の現場アシスタントは、
 別人が良かったのだそうだ。
 そしてそれは、
 妻以上のトラウマを負ったであろう
 佐々木さん本人にも、
 良い影響があると日崎さんは予想した。

「佐々木さんご夫妻のように
 長年2人で苦楽を共にし、
 お互いを思いやる相方同士は、
  【ふたりの世界】を強く持っているわ。
 最後はやっぱり
 その力がものを言うし、
 佐々木さんの奥さまには遅かれ早かれ
 もう一度再起して貰わなきゃだけど、
 今回の件に関わる感情は
 どうしたって暗くてつらいもの」

 こうして日崎さんは、
 デイスタッフの中から1人の女性に
 目を付けた。

 この女性はまだ若く経験も浅いが
 スタッフの中で唯一、
 佐々木さんとコミュニケーションを
 取ろうと積極的に話しかけていた。

 頻繁に話しかけられていた佐々木さんも
 迷惑がることもなく、
 何度かその女性ヘルパーに何か
 話したそうな仕草さえ見せていたという。

 他のスタッフに言わせると、
 あの子は病気の事とかあまり解ってない
 という表現にもなるようだが、
 知識というのもまた固定概念の一種だ。
 
 今回の場合、
 彼女が最も佐々木さんに対して
 固定概念をもたない人で、
 結果的に名探偵のアシスタントに
 相応しかったのだ。

 もちろん、やはり佐々木さんは
 その何かを伝えることはできず、
 女性ヘルパーも行き詰まっていた。


 そこに名探偵の登場だ。

 日崎さんは彼女に、
 佐々木さんがデイ利用中に1人になる
 機会が有るか教えて欲しいこと。
 また、幾つかアドバイスするから
 佐々木さんとのコミュニケーションに
 改めてチャレンジして欲しいこと
 を頼んだそうだ。

 日崎さんが、
 佐々木さんの可能性を探る為に
 女性ヘルパーに確認して貰ったことは、

 一つ、
 単語や短い文章を
 復唱することができるか。

 二つ、
 挨拶などの簡単な単語カードや、
 有名な観光地の写真などを用意し、
 ○○はどれですかと質問する。
 佐々木さんは指を指すなどの方法で
 答えることができるか。

 女性ヘルパーは喜んで協力してくれた。
 日崎さんによれば、
 一つめは、
 声を出して言葉にする力を調べる為。

 佐々木さんは、
 りんご などの単語は何とか
 復唱できたが、短い文章はダメだった。

 1年以上も喋っていなかったことを
 考えると運動性失語だけでなく、
 発声する為の筋力自体の衰えも
 あっただろう。

 二つめは、
 どの程度、視覚・聴覚的な理解力が有り
 またそれをどんな形で表現できるか
 を調べる為。

 佐々木さんは質問に対して、
 話すことも字で書くこともダメだったが、
 指で示すことはできて正解率は100%。

 ただ、有る程度長い文章の質問では、
 耳で聞いても、紙に書いて見せても、
 正解率が落ちてしまった。

 これで、
 脳の機能的に
 視覚的にも聴覚的にも長い文章は
 理解しにくいということが分かった。

 どちらも、
 入院中に専門職が評価していただろうし
 アドバイスされていた可能性が高いが、
 妻からの話には出てこなかった。

 退院後の過酷で不安な時間が、
 色々なものを覆い隠してしまった
 のかもしれない。

 佐々木さんは退院後、
 訪問リハビリを週2回利用していたが、
 理学療法士のみだった。
 もちろん人にもよるが、
 僕も含め標準的な理学療法士は、
 言語聴覚分野には疎いし気が回らない。

【必要なら100人にでも話を聞く】
 主義の日崎さんが
 訪問リハ担当者と話した印象では、
 リハビリ中のコミュニケーションは
 尻すぼみに減っていったようだ。
 
 名探偵の推測では
 言語聴覚分野に疎いこと以上に、
 運動性失語だから・本人の意欲もない
 という固定概念がやはり強く、
 苦手なことを続けるには
 相応のエネルギーも必要なので、
 続かなくなったのだろうとのこと。

 当時の僕が担当でも、
 同じ結果だったに違いなかった。

 訪問言語聴覚士もいるが、
 理学療法士・作業療法士に比べると
 かなり数が少ない。
 その為、退院後に在宅で、
 言語聴覚的な評価や助言を受ける
 ということは難しい場合が多いのだ。

「とにかく、ちょっと工夫をすれば
 佐々木さんとコミュニケーションが
 取れることが分かったのね。
 後は質問に使う単語カードや写真を
 用意して、臨時アシスタントに頼んで
 依頼の件を聞いたのよ」

 日崎さんは
 ゆっくりと起き上がりながら言った。

 僕は、青あざのことを含め依頼の話を
 全て佐々木さんに聞くには
 情報量が膨大過ぎると思ったので、
 一体何を質問したのかと尋ねた。

 その時名探偵はちょうど、
 足元に落ちていた小さなゴミを
 拾っていた。

 彼女は真剣な顔でそれを
 近くのゴミ箱へ放ると、
 お年玉を貰った子どものように
 嬉しそうに笑った。

 何がそんなに面白いのかと
 不思議そうに見やる僕に気がつき、
 今度は柔らかく微笑むと、
 事務所に向かって歩きながら
 この案件に、
 最後のあかりを灯してくれた。

 日崎さんが佐々木さんに聞いたのは、
 とてもシンプルな幾つかの質問。

 一つ、今の気持ちは?

 二つ、誰かに伝えたいことが有るか?

 三つ、それは誰か?

 四つ、何を伝えたいのか?

 五つ、どこか行きたい場所はあるか?

 一つめに対して佐々木さんは、
 悲しい・寂しいという単語カードを
 まず選び、次に怒りを選んだ。

 二つめには即座に頷き、
 三つめでは、用意した関係者の写真
 から迷わず妻を選んだ。

 四つめは、しばらく困っていたそうだが、
 ありがとう と ごめんなさい
 という単語カードを選ぶと嬉しそうに、
 でもどこか物足りなさそうに、
 「あ、あ、あ」と何度も何度も言った。

 そして、最後はやはり迷わず
 自宅の写真と妻の写真を選んだ。

「佐々木さんは
 昔のようにただ想いを伝えたい、
 ただ、それだけだった。
 突然病に襲われて雄弁だった言葉を失い、
 ついには殻に閉じこもった自分を、
 それでも小さい体で
 献身的に支えてくれた妻にね。

 自宅を離れデイサービスに行くことを
 承諾したのもの明らかに妻の為。
 でも、佐々木さんにとって
 デイサービスに行くことは、
 自分が妻の重荷になっている事実を
 思い知ることだったと思うわ。
 
 その日数が増えていくのは、
 とっても不安だったんじゃないかしら。
 それでも妻の為を思い我慢していた。
 そしてデイサービスが
 週5日になってしまった時、
 佐々木さんはたまらなく寂しくなった。

 だから、もう一度喋ろうと
 女性ヘルパーに何度か伝えようとした。
 でも、長い間、意志疎通を止めていた
 佐々木さんの脳や口は沈黙を深め、
 佐々木さんが
 コミュニケーションをとらないことを、
 当たり前のように諦めてしまっていた
 周囲の人々にも、
 佐々木さんの真意は聞こえなかった。

 ねえ松嶋先生、
 独りきりで居る時に、
 自分の感情を抑えられなくなったら
 先生ならどうします?」

 ああ、そうか。
 その時僕の頭の中に、
 ぽうっと一粒あかりが灯った気がした。

 あかりの中には、
 病に苦しむ1人の愛妻家の姿が見えた。
 答えは、するりと出てきた。

「僕なら壁を殴ります、
 壁じゃなく自分の体を痛める為に。
 佐々木さんが痛めたかったのは、
 きっと自分の半身、
 自分や妻を苦しめる病の象徴
 とも言える右半身だ・・・。
 
 そして佐々木さんが
 独りになる機会は、
 おそらく定期的にあった。

 佐々木さんの運動能力では
 便器に移る時は介助が必要ですが、
 座ることはできる。

 トイレの便器に座った後、
 プライバシーを考慮して一旦、
 介護スタッフはトイレから出るのが
 普通ですし、
 人数が不足していたなら尚更です。

 佐々木さんは左手で右手を殴った、
 手すりや壁に叩きつけた・・・。
 佐々木さんの青紫のあざは、
 自傷行為によるものだったんですね!」

 事務所の椅子に
 ゆっくりと座りかけていた日崎さんは、
 動きを止めて僕を見て、
 眼を丸くして息を呑んだ。

 そして、満面の笑みで、お見事!
 と誉めてくれた。


 その後、
 臨時アシスタントの報告で、
 佐々木さんが完全に1人になるタイミング
 も僕の推測通りだったこと と、
 この案件の顛末を教えてくれた。

 依頼を受けてからちょうど1週間後、
 名探偵が調査結果を告げると、
 依頼者である妻は驚きを隠せない様子で
 話を聞いていたが、その内、
 夫の口を閉ざしていたのは私でした
 と号泣した。

 そして妻は、溜め込んでいた想いを
 一気に吐き出したそうだ。

 夫の自由も、明るく見えた老後も、
 大好きだった声も豊かな言葉も
 全て奪った病を恨む気持ちはいつしか、
 病に押し潰され殻に閉じこもった夫自身
 にも抱くようになっていったこと。

 夫がデイサービスに行っている間は
 何よりも心が休まったから、
 日数も言われるままに増やしたこと。

 けれど、夫の半身に突如ぼつりと現れ、
 日ごと増えていく青紫のあざを見て、
 どうにかなってしまうほど心配で
 動転している自分に気づいたこと・・・。

 日崎さんはそれをきっと、
 穏やかな相槌を打ちながら
 抱きしめるように聞いていたのだろう。

 妻は電話の最後に、

「デイサービスはもう辞めます・・・。
 そして私も単語カードを作ります、
 昔の夫の声や言葉を思い出しながら、
 作ります。
 夫が大好きなこの家でまた一緒に、
 たくさんたくさん、夫と話します」

 と言ったそうだ。
 これに対して日崎さんは、
 気持ちは分かるが心身のことも考えて
 いきなりデイを全日辞めたり、
 夫を単語カード漬けにしないこと。

 それと、
 ケアマネと訪問リハビリに相談して、
 自宅での介助がもっと楽になるよう
 環境を整えることを、アドバイスした。

 最後の最後まで、
 名探偵ぶりは揺らがなかったようだ。

 こうして顛末をあらかた聞き終え、
 僕がいつものように一礼して事務所を
 後にしようとした時、
 日崎さんが突然言った。

「ねえ先生、
 さっき私がゴミを拾って捨てた時、
 変な顔してたわね。どうして?」

「え?ああ、さっきの話ですか。
 どうしてって・・・。
 何であんな事で笑っているのかなと、
 そう思っただけですよ」

「・・・あのね松嶋先生、
 先生には何でもない動作に見える
 かもしれないけど、私には特別なのよ。

 体が思うように動いてくれないと
 できない事が、私にはたくさんある。

 体をほぐして貰って運動もして、
 薬も効いてきて、ようやく、
 ああいう何気ないことが自然にできる。
 それが本当に嬉しいのよ。

 今日も【私】に戻れたって思えるから」

 静かにそう締めくくり、
 日崎さんはいつものように僕に、

「今日も私のリハビリを手伝って頂いて、
 ありがとうございました」

 と一礼してくれた。

 僕はどうやら無自覚に、
 日崎さんと自分を、同じ目線で
 見てしまっていたらしい。

 今更ながら改めて、
 日崎さんの厳しい生活と病状と
 自分の未熟さを思い知らされた僕は、
 半ば逃げるように事務所を出た。

 いつものように
 原付で切るその日の風は、
 いつもより厳しくて冷たかった。
 

 僕の当たり前は、
 日崎さんたちの当たり前では無い。
 僕のような職業や立場の人間こそ、
 それを徹底的に理解するべきでは無いか。

 日崎探偵のように、
 その人たちの声なき声まで拾い上げ、
 そこにあかりを灯すべきでは無いか。

 誰が見てもそこに
 病と出会ってしまった人たちの苦しみと、
 未来へのひとすじの希望が見えるように。

 日崎さんのようになりたい。

 思えばこの頃からその想いが、
 僕の中で大きくなっていったように思う。
 
 日崎さんは僕の人生で初めて出会った、
 自分が本当にやりたかった事を
 具現化する人であり、
 僕が初めて、目標と定めた人だったのだ。

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