第5話/全9回 小説家・小林敏生の変身
これまでの話/主人公・小林敏生は5歳のとき結婚の約束をした井上安子のことが忘れられずにいた。安子が井上エリスと名前を変え、人気女優になってしまったからだ。一方敏生は編プロに勤めながらスーパーヒーローの小説を書く、冴えない日々を送っていた。鬱々とした生活の中、敏生は何度も繰り返し同じ夢を見てしまう。5歳の敏生はファイブレンジャーレッドになって安子を迎えに行き結婚する約束をするが、井上安子が最後に何と言ったのか敏生は思い出せない。そんなとき、インタビューの仕事を通じて二人は11年ぶりに再会するが、敏生は自信のなさから名乗り出ることができないのだった。
ある夜、小林敏生が気がかりな夢から目覚めたとき、自分が一匹の巨大な害虫に変わってしまっているのに気付いた。
それは俺が、望んだことだった。強くなりたい、強くなりたい、強くなければならない、強くなければならない、自分のために強くなりたい。自分が強くならなければ、誰かを守ることもままならない。誰かを悲しませる自分を俺は愛せない。俺が悲しませた誰かが、別の誰かと幸せになるところを見たら、俺はきっと気が触れてしまう。結局、自分は自分のために強くなりたい、強くならなければならないのだ。
視線の先には、見慣れたアパートの天井が広がっていた。変身してから備え付けの蛍光灯をつける必要はなかった。変身して、夜目が効いたのだ。立ち上がると、二足歩行することができた。身体が重く、目線は高く、いつもとは違うバランス感覚を要した。自分の腕や足に骨はなく、黒々とした鎧のような外骨格で覆われ、守られている。関節はなく、腕や足を動かすと、外骨格の節になっている部分がこすれてきちきちと嫌な音をたてた。暗い、窓ガラスにぼんやりと、黒い身体と、赤く光る二つの目が映っていた。
洗面所の窓を開ける。建付けが悪かったはずの窓はすんなりと開いた。今なら飛べる気がした。目下には総武線が市ヶ谷まで続いている。もう電車に乗ることはできないし、乗る必要もなかった。窓から飛び降り、アパートの二輪車置き場にあった大型二輪に飛び乗る。当たり前のようにエンジンがかかり、鈍く重いエンジン音が駐輪場に響く。握りしめた左手のハンドルのクラッチをゆっくりと離し、右手のアクセルをひねった。バイクが走り出した。満月の夜だった。
総武線の終電は遅い。俺は見慣れた黄色い電車と並走して市ヶ谷まで向かった。満月に照らされた総武線とバイクで並走するのは楽しかった。感じたことのない速さの風が身体撫でて通り過ぎていく。バイクで走るのは、夢に見た空を飛ぶ浮遊感に似ていた。道路のすぐ上、地面から少し浮いたところを滑空する。俺は夜の街を、総武線に導かれながら進んだ。いつか変身が解けたとき、ちゃんと免許を取ってバイクを買いたいと思った。ただ、どうやったら変身が解けるのか俺には想像ができなかった。
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