変身ポーズ_t

第3話/全9話 小説家・小林敏生の変身

 これまでの話/24歳彼女なし、小林敏生は編プロに勤めながらスーパーヒーローの物語を書いていた。高円寺の安アパートで書かれたその小説をどこかに公開するあてはない。鬱々とした生活の中、敏生は何度も繰り返し同じ夢を見てしまう。それは、5歳の時に同じ幼稚園に通っていた井上安子と結婚の約束をしたときの夢だった。5歳の敏生はファイブレンジャーレッドになって安子を迎えに行き、結婚する約束をする。しかしその時、井上安子が最後に何と言ったのか敏生は思い出せない。一方、井上安子は井上エリスと名前を変え、人気女優となっていた


「おい小林、お前、井上エリスと幼馴染なんだってな。」

「え、白倉さん、それどこで聞いたんですか」


 俺は会社の喫煙所にコーヒーを持ち込み、IQOSで水蒸気を吹かしていた。同じ課の白倉課長が入ってくる。白倉課長の煙草はHighLight昔はデスクで煙草を吸えたと、徹夜のお供にコーヒーと煙草がないのをいつも嘆いている。今や編集プロダクションであっても喫煙所は必須だし徹夜はコンプライアンス上厳禁だ。オンライン会議も一般的になり、テレワーカーも、事務所を持たないフリーランスのノマドワーカーも一般的になった。


「今度の主演映画の記事、フリーのライターが飛んじまった。小林、インタビューとテープ起こし、頼んでいいか?」


「ありがとうございます。記事も書きたいです」


「おい、できんのかよ。バカだな。だがそのいきだ」


 そう言って白倉さんはZippoのライターでHighLightに火をつけた。最近はめっきり聞かなくなった、Zippoの撃鉄のようなホイールがぶつかる古い音が響き、オイルの臭いが煙臭い喫煙室に飲まれていく。


「親父さんも喜ぶよ」


「だといいんですけど」


「そりゃ嬉しいだろうよ。ジャンルは違えど同じ物書きだし、ガッツのある男はいつの時代も可愛がられるよ。親父さんもそうだっただろ」


「ですかね…飲む、打つ、買う、で母親を泣かせてたイメージしかなくて」


「そういうものだろ、男って。ましてや親父さんは作家だったし」


 そう言って白倉さんは笑った。

「天国で見てるよ、きっと」

 白倉さんの中で、どうやら親父は美しい物語になっているらしかった。俺もそれに乗れれば良かったのかもしれないが、どうにもうまくいかない。そのことを深く考えようとすると、なぜか頭にもやがかかって、思考が止まってしまうのだった。

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