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蝶々の採餌 第二話

あらすじ/「知っている?蝶々には、甘い蜜が隠れている場所がとても美しい色で見えるのよ。」私は銀座の会員制クラブで働くことになった。採用が決まったその日、お店の艶子ママから『白蝶貝のピアス』を貸してもらう。私はまだ気づいていなかったけれど、そのピアスは――。

 私の源氏名はあおいとなった。「痴人の愛」の奈緒美からとってなおみが良いと伝えたが却下。「痴人の愛」っていうタイプじゃないでしょ。不器用な優等生っぽいから「葵上」ってとこ? 男にだまされないようにね。先輩ホステスのエミリさんから言われた。エミリさんは、あたしの源氏名はカリスマキャバ嬢の愛沢えみりから勝手にもらったの、と笑ったが、どこか、別の理由がある気がした。
 艶子さんのお店は、老舗おもちゃ屋の博品館ビルの裏の雑居ビルの一室にあった。雑居ビルは、一階から7階まで会員制のクラブやスナックがひしめいていた。愛子や渚といったそれぞれのママの名前や、デネブやサティといったどこか意味ありげなそれぞれのお店の名前が、深いブルーや赤や紫といったネオンで彩られている。艶子さんのお店はglossという名前でその光の中に小さくうずもれていた。

「二十歳なら、ニコニコ笑っているだけでいいよ。実際テーブルについたら何もできないだろうし、お客様に教えてもらうくらいのつもりでよいから。」

「はい。やってみます。」

 お店の控室は見たこともないドレスや小さなティアラやかんざしや、天井まできちんとそろえて並べられたハイヒールであふれかえっていた。
 初めてフロアに立つときに着るドレスを選ぶように言われ、ボディラインが強調されるシンプルな黒いロングドレスを選んだのだけれどまたもや却下。結局バレリーナのようなひらひらしたチュールが特徴的な、パステルピンクのミニドレスを着るように言われた。デビューなのだからと、スワロフスキーを散りばめたティアラまで。艶子さん―ここではママは髪はおろしていて大丈夫だと言っていたけれど、ティアラに合わせて結局髪はコテできつくカールさせ、逆毛をたてて大きく盛った。エミリさんは私の髪を細いコテでくるくるとカールさせながら、ヤッバイ、ヤバい!最高じゃん!を連呼して笑っている。オープン前をいいことに、エミリさんのどこまでも響く笑い声が控室を飛び出してお店中を震わせる。見ると、次々に出勤してくる先輩ホステスは皆大胆にスリットの入ったロングドレスだったり、曲線が美しいマーメイドラインのドレスだったりした。カラーもワインレッドやコバルトブルーといったシックな色が中心で、私ひとりだけがお遊戯会みたいだった。自分の言動が空回りする前の苦みがじわりと胸に満ちた。
 おはようございます、と先輩たちが言うより先に私は必ずあいさつをした。高校では新体操部だった。こういう礼儀が通用するのかどうかわからない。

 「今日はただ、ニコニコしていればオッケー。なんか不安そうだけど、それは顔に出さないで笑って。それができたら合格。『新人ホステス』を演じて、煙草の火のつけ方もお酒の作り方もこれから覚えますので教えてください、私は二十歳の女子大生で、あおいって言います!って言ってればいいよ。」

「・・・はい。」

『新人ホステスを演じる』、という言葉が理解できず、言葉が宙を舞う。固いなあ、生真面目すぎちゃうとこの仕事は損よ、いいよ今日はとりあえず笑ってれば。とエミリさんは言う。

「私も最初言われたよ。『新人ホステスを演じて』って。」

「え、エミリさんも、ですか?」

「みんな艶子ママに言われるの。フロアの真ん中にダイヤカットのバカラをたくさん繋いで作ったシャンデリアがあるから、そこから自分を見下ろして、フロアでどう立ち回ったら愛されるか考えなさいって。天然でできちゃう子もいるけどね。」

「艶子ママの教えですか?」

「そう。あおいちゃん、普段は大学生なんでしょ。しかもたぶん本が好きで、考えすぎちゃうタイプでしょ。その性格はお水向いてないよ。でも」

 エミリさんはそう言ってピンク色のスワロフスキーが散りばめられたシガレットケースから、細く長いタバコを取り出して火をつけた。ミントの香りがするピアニシモ。繊細なタバコは女性らしく、エミリさんの指を細く見せた。私は煙草に火をつけ、一息つくということで会話の間を自分のペースで作ることができるのだと気づいた。そのうち私も煙草を吸うようにしようと思った。

「『新人ホステスのあおいちゃん』なら、もし何か失敗しても初々しいってお客様に笑ってもらえるかもでしょ。これからどういうキャラでいくか、今日テーブルに付いてみて考えとくといいよ。」

「はい。やってみます。」

「ちょっと固すぎ。部活じゃないんだからさ。まあいいや。とにかくニコニコ笑って笑って笑って。今日はそれでオーケー。後は私が何とかしてあげる。でも今日だけだからね、後は自分で考えて。言いたいことはたくさんあるけど、めんどくさいから教えてあげない。」

「あおいちゃーん、エミリさんと一緒に10番の席についてー。」

 軽いボーイさんの声が控室まで届く。フロアに向かう途中で、私たちを呼びに来たボーイさんとすれ違う。先ほどの声からフランクで小柄な男性をイメージしていたのに、実際にすれ違った男性は銀色のフチなしメガネの奥に、ナイフのように切れ長の冷たい目を隠した大柄の男性だった。


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