Ausbildungsplatz
陰に隠れて
『ゲハルト!』(親方の名前)
と、大声で叫んで反応を試そうと思ったのだが隣接しているBüro(ビュロー:事務所)からシェフィンChefin(女性の社長)に見つかった。
社長が満面の笑顔で
『タケ!』
と来たものだから、私の悪ふざけは実行されないままで終わる。
私の修行先であるKunz(クンツ)は1910年創業で、その歴史は100年以上になる。5代目にあたるミヒャエル・クンツは社長の息子だ。
社長はクリスティーネ・クンツと言い、美しい容姿に似合わずパワフルでアクティブ。まさに老舗を牽引している。
親方とは夫婦かというと、そうではない。
親方はゲハルト・マイエルという。
社長の息子ミヒャエルがまだ十代前半のころ、旅先で当時の社長であったミヒャエルの父が心臓発作で倒れ、帰らぬ人となる。
当時お店は小さな町の中に2店舗を構え、加えて本店を改装したばかり。
私が度々お客様に説明する
『典型的ではないドイツのお肉屋さん』
とは、近代的でお洒落で、その空間に居るだけでひとつのステータスに満たされるような一目置かれる肉屋なのだ。
もちろんそれだけの改装となると、たくさんのお金がかかる。
予期せず、あとを継ぐことになった社長に残ったのは多額の借金であった。
私が修行していた時は大変だった時期に違いない。
とても親切で、愛情深い女性であるが、当時は感情の起伏が激しかったのも事実。
きっと返済に追われることもあっただろうと思うと、これだけの歴史のある老舗を返済と同時進行で、さらに高みへと押し上げた社長には頭が上がらない。
マイスターが居なくなった老舗の製造を任されたのが、私の親方であるゲハルトだ。
ゲハルトは息子のミヒャエルも一人前に育て上げた。社長もゲハルトの技術だけでなく、その人間性にも信頼を置いている。
満面の笑顔で迎えてくれた社長が店舗内にあるカフェバーに招きコーヒーを淹れてくれた。
コーヒーを淹れるのはミヒャエルの仕事だ。
少し不思議に思うかもしれないが、社長となると店に関わる雑務、接客がメインとなり工房での作業は少し、または皆無となる。
カフェバーのカウンターの横には木製の階段がある。
ガヤガヤ
2階から降りてくる。
2階から降りてくる足には長靴。
2階にはシャンデリア付きの客席と従業員の休憩部屋がある。
時間的にゲハルト達職人は2階で朝食をとっていたようだ。
刹那、目が合う。
『あ、タケ!!なんだ来たのか~!』
何しに来たと言わんばかりであったが、その顔には笑顔が溢れていた。
文字通り親方と弟子は親と子の関係のようであり、また兄弟のような中であり。このように職人同志同じ釜の飯ならぬ同じ釜のプレッツェルを食べて団結し仕事を貫徹させるのである。
夢以外なにも持たない日本人がひとり、バイエルンの片田舎。
今こうして皆と仲良く談笑できるのも、ひたすらに夢を追いかけた姿を受け入れてくれたのだと思えば感慨深いものがある。
コーヒーを一気に飲み干し、ゲハルトと工房に向かう。
まるで今から一緒に作業するかのように。