Akita-Bijinってなんだろう②

歴史で語る秋田美人

2021年2月9日の秋田魁新報で性を語るに書かれている記事をまとめると、秋田美人とは明治期から昭和初期にかけて川反で全盛を極めた川反芸者を形容する言葉だったと、秋田魁新報社編 秋田大百科事典ではされている様です。

明治~昭和初期それ(『秋田美人』という言葉が)鉄道の発達で広く知れ渡ったとされている。元秋田大学長の新野直吉氏(日本古代史)は著書:秋田美人の謎で「多くの人々が秋田を訪れ、川反をはじめ花柳界の秋田美人を見、帰ってからそれを宣伝する。『秋田美人の称は普遍化した』と説いている。奥羽線上野~秋田間の開通が1905年(明治38)、その4年後の1909年(明治42)秋田県を視察した中央の記者らは「秋田は越後(新潟県)と同系の北国美人に属すると称せられる。なる程美人が多い。」「秋田美人萬歳!」と、紀行集:知られたる秋田で印象を記している。当時は花街の女性たちが出迎えや接待を担った。「秋田美人」という評価は当時すでに定着していたようです。そして1937年(昭和7)4月の上野駅新築落成に合わせ、上野松坂屋で開かれた北日本北海道の名所展覧会では川反芸者が踊りを披露した。秋田魁新聞では秋田美人の名に恥じず美しい物であると都人士を驚かせたと伝えていたそうだ。秋田美人は観光資源だった。

≪2021年2月9日秋田魁新報 性を語る欄より≫

と魁新聞では伝えている。ここまでで、秋田美人とは川反舞妓・川反芸者の方々を差した言葉であった事がわかります。
そうか。現在は車や電車、新幹線、飛行機があって当たり前だったので思いもよらなかった。
そしてトヨタ自動車75年史のサイトに次の様な記述があった。

3種の神器(テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)の普及が一段落し、「3C」と呼ばれる大型耐久消費財が新たに庶民の願望の的となった。カー、クーラー、カラーテレビである。とりわけ自動車は、1960年代後半初頭の各社の1,000ccクラス大衆乗用車の充実により、マイカーブームを招来した。

トヨタ自動車75年史≫

つまり、魁新聞に書かれている1909年(明治42)当時は車も無く、気軽に来られる県ではなかったのだろう。
そして奥羽線上野~秋田間の開通より都会から記者の方が来た際にお出迎えや接待をした花街の女性たちを帰ってから褒めたのが始まりという事になる。言った事のない県、「北国美人」などと言われると深々と積る幻想的なものを想像してしまう。つまり秋田美人とは秋田の花街の女性の事??

また、魁新聞ではこうも書かれている。

建築史家で「美人論」の著書もある井上章一氏(国際日本文化研究センター所長)によると、明治大正期の名古屋は美人の産地として圧倒的な名声を誇っていた。「評判の高さでは、秋田や新潟などをはるかに凌駕していた」(著書:大阪的)
明治初期、東京の新興花街・新橋に人材を送り込んだのが名古屋で、新橋の隆盛に伴い名古屋美人の名が普及したという。
だが昭和に入って花街が衰退すると名古屋美人の名も消える。
花街の衰退は秋田も同じはず。ではなぜ秋田美人は現在まで命脈を保っているのか。
谷川潤一郎は1911年(明治44)発表の小説「飇風(ひょうふう)」で、秋田を旅した主人公に「素人の女までが、凡て美人国のなにそむかぬあでやかさ」と語らせている。1920年(大正9)2月29日付の本紙コラムには「芸妓よりも(中略)紺黒色長手拭いを冠り、田と畑を耕して居るものに非常の美人が居る」とある。
秋田の場合、明治大正期のうちに「美人は花街だけではないぞ」との言説が流布、定着したことが一つの要因として挙げらるのではないか。
一方の名古屋は美人にこだわらなくても名古屋城、みそカツ、手羽先・・・とウリになるものが豊富にあったとも言えそうだ。

≪2021年2月9日秋田魁新報 性を語るより≫

なるほど、小説の主人公にその様に言われたら、実際に来ていなくてもなんとなくそうか、と思ってしまうのは判らなくもない。
さらに芸妓よりも、田畑を耕している農家の女性にも非常の美人がいるとまであると本当に美人がそこら中にいる県だと思いますね。そう思うと先入観でそう思ってしまうのでしょうか。

例えば普通に人に紹介されるのと、「今から紹介する人、パリコレモデルだったンだよ。」と紹介されるのとでは見方が違う気がする。
個性的な顔も「さすがパリコレ。」と思ってしまう。

名古屋美人があったのは驚きでした。「○○美人」と言うのは花街の売り方だったのでしょうか。秋田美人を調べるにあたり、日本に「○○美人」というものがどの位あるのかネット上ではあるが調べてみた所、主には「秋田美人・京美人・博多美人」とされている。が、他にも「越後美人」「加賀美人」「出雲美人」というのも存在しているらしい。
越後も加賀も出雲も都会で確かにむかしは花街も賑わっていそう。
これはこの先調べてみたい。

※これはあなたラボに入る前にアウトプット用に書いたものです。
今考えると少し考え方やきっかけが違う部分もありますが、記録用に残します。