歴史で語る秋田美人
2021年2月9日の秋田魁新報で性を語るに書かれている記事をまとめると、秋田美人とは明治期から昭和初期にかけて川反で全盛を極めた川反芸者を形容する言葉だったと、秋田魁新報社編 秋田大百科事典ではされている様です。
と魁新聞では伝えている。ここまでで、秋田美人とは川反舞妓・川反芸者の方々を差した言葉であった事がわかります。
そうか。現在は車や電車、新幹線、飛行機があって当たり前だったので思いもよらなかった。
そしてトヨタ自動車75年史のサイトに次の様な記述があった。
つまり、魁新聞に書かれている1909年(明治42)当時は車も無く、気軽に来られる県ではなかったのだろう。
そして奥羽線上野~秋田間の開通より都会から記者の方が来た際にお出迎えや接待をした花街の女性たちを帰ってから褒めたのが始まりという事になる。言った事のない県、「北国美人」などと言われると深々と積る幻想的なものを想像してしまう。つまり秋田美人とは秋田の花街の女性の事??
また、魁新聞ではこうも書かれている。
なるほど、小説の主人公にその様に言われたら、実際に来ていなくてもなんとなくそうか、と思ってしまうのは判らなくもない。
さらに芸妓よりも、田畑を耕している農家の女性にも非常の美人がいるとまであると本当に美人がそこら中にいる県だと思いますね。そう思うと先入観でそう思ってしまうのでしょうか。
例えば普通に人に紹介されるのと、「今から紹介する人、パリコレモデルだったンだよ。」と紹介されるのとでは見方が違う気がする。
個性的な顔も「さすがパリコレ。」と思ってしまう。
名古屋美人があったのは驚きでした。「○○美人」と言うのは花街の売り方だったのでしょうか。秋田美人を調べるにあたり、日本に「○○美人」というものがどの位あるのかネット上ではあるが調べてみた所、主には「秋田美人・京美人・博多美人」とされている。が、他にも「越後美人」「加賀美人」「出雲美人」というのも存在しているらしい。
越後も加賀も出雲も都会で確かにむかしは花街も賑わっていそう。
これはこの先調べてみたい。
※これはあなたラボに入る前にアウトプット用に書いたものです。
今考えると少し考え方やきっかけが違う部分もありますが、記録用に残します。