深センに滞在して、見聞きしたこと、経験したこと、考えたこと
深センに半年間行くことにした
私は半導体集積回路(特にイメージセンサ)の研究をする一方で、広い意味での「ものづくり」である"Make"も、研究として、そして個人的にやっています(両者のつながりについてはこちらの記事で)。そんなわけで、おのずと「ハードウエアのシリコンバレー」とも呼ばれる中国・深センに関心が向くわけですが、大学のサバティカル研修制度(半年から1年程度の期間、研究以外の業務(授業や運営など)を免除されて研究だけできる制度。海外の大学や研究機関に滞在するケースが多い)を使って、深センにある南方科技大学のSchool of Microelectronics (SME)に、2022年4月から9月までの約半年間滞在しました(サバティカルに至るまでの経緯はこちらの記事で)。ちなみに当初は2020年4月からの予定でしたがコロナ禍で2年間延期になり、また当時は渡航後に3週間の検疫隔離があったので、実質的には5月初旬から9月中旬までに4ヶ月半の滞在でした。
現地での滞在を通して、見聞きしたこと、経験したこと、考えたことについては日記を書いていましたし、#SZdiary というハッシュタグでTwitterやFacebookに投稿していたのですが、分量が多いですし、一言でまとめるなら「いろいろあった」ということになってしまう(※清水義範「国語入試問題必勝法」のネタ)ので、改めて整理して、ここにまとめておこうと思います。内容は多岐にわたりますので、関心のある部分だけでも、読んでいただければと思います。また現地でのことについてインタビューをしていただいた記事もありますので、あわせてご覧いただければと思います。
・「金沢大学の秋田教授が体感した深セン「設計・製造・商品化」の街」
・「大学教授がスタートアップのインターン生に——深圳で気づいたMaker文化の重要性」
深センの歴史と街
深センという街の歴史や成り立ちについては、いろいろな資料があります(例えば:藤岡「「ハードウェアのシリコンバレー深セン」に学ぶ」)が、概略をまとめておきます。香港の対岸にある深センは、古くは小さな漁村でしたが、1980年初頭からの鄧小平の「改革開放」政策で海外企業の誘致が進み、特に電子機器の製造やプリント基板、プラスティック成形の工場の大規模な集積が進みました。当初は電子機器の設計は海外企業が行い、深センはその製造地でしたが、徐々に設計専門の会社である方案公司(ファンアンゴンスー、Independent Design House)が現れます。1990年代になって、日本の秋葉原の電子部品マーケットなどを参考に電気街の「华强北(ファーチャンベイ)」が開発され、方案公司どうしの部品や設計データ、知識経験の交換も行われ始めました。当初は簡単なものの設計から始まりましたが、安価な携帯電話の共通設計プラットフォームが現れたことによって「山寨(シャンザイ)携帯」と呼ばれる安価な携帯電話の設計製造企業が爆発的に増加し、そして淘汰されました。その過酷な競争の結果「公开(ゴンカイ)」と呼ばれる独自の知財共有システムと相まって設計力を高め、それがそれまで培われてきた部品のサプライチェーン、製造工場と有機的に機能して電子機器産業の世界的な集積地へと進化していきました。そしてAI/IoTへの時代の流れとも符合し、世界から資金と頭脳が集まる「ハードウエアのシリコンバレー」と呼ばれる街への進化していきました。
「中国の製造業」というと、ひと昔まえには、コピー品天国、安かろう悪かろうの代名詞、というイメージが強い方も(特に年配の方には)多いかと思います。それは現在でも中国製造業の一つの面であるのは事実ですが、その一方で、最先端の科学技術が惜しげもなく投入され、急速に社会に実装されていく面があるのも事実です(例えば:高口「中国S級B級論」)。
深セン市の広さはほぼ東京都と同じで現在の人口は約1700万人、農村部からの出稼ぎ労働者などの地方出身者が非常に多く、平均年齢は34歳と非常に若い街です。そして周辺の広州市、東莞(ドンガン)市、珠海(ズーハイ)市、金融と物流拠点としての香港などとともに「珠江デルタ」と呼ばれる産業都市圏を形成しています。
このような深センの歴史は、前述のMakerムーブメントも大きく影響しています。2015年に「大众创业、万众创新(大衆創業・万衆創新、普通の人が起業し皆でイノベーションを起こす)」という方針が国として示されましたが、ハードウエアの開発と製造のエコシステムが形成されていた深センは、その一大拠点となりました。一時期は公的資金も多く投入されてバブルの様相を呈した時期もありました(例えば「中国メイカースペースバブルと崩壊後」)が、ハードウエア、特にAIとIoTに深く関連したハードウエアとサービスの産業は着実に根付き、名実ともに「ハードウエアのシリコンバレー」となって現在に至っています。深センにはハードウエア製造の強靭なエコシステムが存在します。部品の入手やプリント基板の製造などの試作開発を容易かつスピーディに行うことができ、また前述の「方案公司」が得意分野を生かして動的に手を組む柔軟性とあいまって高速な試作開発が可能となり、「シリコンバレーの1ヶ月は深センの1週間」とも言われます。
逆に、中国がIT技術の後発国であったことが逆にプラスに効いている面もあります。例えば「ガラケー」の時代がほぼなかったため、ほぼ全国民がスマートフォンを持っている前提で社会システム・サービスを設計することができました。新たなことに積極的にチャレンジし、進化させながら修正(あるいは撤退)するという社会的な風潮とも相まって、新たな技術の社会実装が世界的にも最先端で進む地域となっています。例えばQRコード決済、シェアリングエコノミー、監視カメラと治安向上、EVの普及(深セン中心部ではバス・タクシーはすべてEVであり、一般自動車でもEVがかなり多い)、自動運転などはその一例といえます。
ところでよく知られているように、中国のインターネット環境は「グレート・ファイアウオール(金盾)」と呼ばれる独自の規制があり、GoogleやTwitterなどが利用できません。実際には、特に若い人にはVPNを用いてそれらを利用しているようですが、独自のインターネットサービスが進化しています。例えば中国の衛星測位システム「北斗」を併用する高精度測位とIoT化されたバスと連動するリアルタイム位置情報提供などの実用的な地図アプリや、後述するチャットアプリから始まって送金・支払い、それを支えるミニアプリを包括するプラットフォームになったWeChat(微信)や少額電子決済サービスから始まって金融ビッグデータの実証になっているAlipayなど、海外の方法をうまく取り入れつつ独自に進化した非常に便利なインターネットサービスが多いのです。
ちなみにWeChat内の決済サービスWeChatPayとAlipayの2つの電子決済がメジャーで、屋台も含めて使えないお店はほとんどありません。日本のように「あれ?この店は何ペイが使えるんだっけ」と悩むこともないので便利です。もちろん現金も使えるのですが、使う人が少なすぎて「えっ?」という顔をされることもしばしばです。実際、滞在期間中、財布を持ち歩ことは最初のころ以外はありませんでしたが、困った記憶はありません(むしろ後述のコロナ関連でもスマホは必須なので、スマホを落としたらorなくしたら、と思うとゾッとします)。
ゼロコロナ政策
2020年初旬に突如世界を襲った新型コロナウイルス感染症の蔓延と混乱は深センも例外なく襲いました。中国では現在(※この記事の執筆時点。2023/1に大きく緩和されました)、コロナウイルス蔓延を抑え込む「ゼロコロナ政策」が取られています。
まず入国時に、当時は事実上3週間の検疫隔離があり、中国について入国審査が終わったら、そのままバスに乗って検疫隔離のホテルに直行します(どのホテルかは選べない)。そしてそのままホテルの部屋へ入り、3週間部屋から出られません。ホテルから出られないのではなく、部屋から、です。ドアを開けるのは、食事の受け取り(1日3回)、ゴミ出し、PCR検査、だけです。さすがに狭い部屋の中で3週間ずっといるとメンタルがやられる、という話は聞きますし、実際、しきりに「元気か?」という電話やチャットでの問診がありました。この3週間の隔離は事前にわかっていましたので、いろいろな人のアドバイスに沿って、準備をしていきました。具体的には、体を動かす(リングフィットアドベンチャーを持っていきました)、生活リズムをつくる(学校の授業の開始時間にあわせてスマホアラームでチャイムを鳴らし、やることの区切りをつけていました)、いろいろなことをやる(読書やゲーム、ネットだけではさすがに飽きます)、ことを気をつけていました。例えば朝起きたら洗濯しながら持っていったインスタントコーヒーを飲む、というのを日課にしていました。これらが功を奏したのか、幸い、特に心身ともに元気なまま、3週間の隔離を終えられました。
街なかでは、普段はマスクの装着が厳しく求められます(地下鉄に乗っていて鼻が出ているだけで巡回している警備員から注意される)。PCR検査(中国語では核酸検査と呼び、「做核酸」でPCR検査を受ける、という意味)の検体採取場(のど奥で採取)が街中の至るところにあり、専用アプリを用いて高度にシステム化された採取・検査フローが確立されていて、行列が空いていればQRコード(核酸コード)で登録から検体採取まで30秒もかかりません。そして検査結果は数時間後にアプリ内に反映されます。ちなみに普段の検査では10人分を1本の試験管にいれます。この中に一人でも陽性がいれば全員が再検査になりますが、普段は市中に陽性者はほぼいないので、私は一度もありませんでした。
地下鉄駅や商業施設やオフィスビル、マンションの入り口には警備員がいて、アプリの24時間または48時間以内のPCR検査陰性証明がないと敷地に入ることができない場合が多いです。つまりほぼ毎日PCR検査を受けないと生活上非常に不便なわけですが、前述のように高度にシステム化されているため「夕食の前に受けておこうか」という感覚でもはや日常生活の一部になっていました。
ただ、「人治の国」ともいわれるように、警備員のチェックにも、人によって、また時期によってバラつきがあります。市中感染者がほぼゼロ人の日が続くと、チェックもあまくなって、健康コードを見せても「ほんとに見てるのか?」というときもありますし、マンションなどは登録していある住人しか入れないルールになることもあって(ホワイトリスト形式)、QR読み取り機(電子将兵という名前)で読み取ると登録されていない人はアラームがなるのですが、特に止められることなく入れることもあります(敷地内に飲食店がある場合もある)。逆に感染者が増え不穏な空気になってくると(人口1700万人の深セン市で陽性者が1日あたり20人ぐらいになると不穏な空気になる)街中がピリピリしているのを感じて、チェックもかなり厳格にするようになります。
ちなみに市中のいたるところに「場所コード(场所吗)」という円形QRコードが貼ってあって、特に建物や地下鉄駅の入り口などでは、これをスキャンする必要があります(これをスキャンすると、健康コード画面の上部に、その場所の名前が表示される)。これをスキャンしていないと、警備員がスキャンしろ、と言って通してくれません。これによって、いつ、どこに、だれが(正確にはそのスマホを持っている人が)いたかが記録されるので、市中感染の追跡が可能となって、ゼロコロナ政策の運用を支えています。
ちなみに「QRコードをスキャンする」は中国語で「扫码(sao3ma3)」といいますが、この場所コード以外にも飲食店でのメニュー表示、QR支払いなど「扫码」する場面は無数にあるので、この言葉を何億回聞いたかことか・・・
ところで実はこの場所コードは、私たち中国にいる外国人にとっては頭痛のタネです。というのも、システムの不備なのか制度なのか、最初の登録に中国人の身分証番号が必要で、外国人はこの場所コードを使うことができないのです(他のシステム・サービスでは、外国人はパスポート番号を登録すれば使えるものも多い)。そのため、場所コードをスキャンしろと求められて、「自分は外国人だからできない(我是外国人 or 我是日本人)」と説明することが何度もありました(そのおかげで(?)、この文はスラスラ言えるようになりました)。説明すれば「ああ、じゃあ通って」となるわけですが、ときどき、この「外国人は場所コードを使えない」ということを知らない警備員がいて、「いや、だから場所コードをスキャンしろ」と押し問答になることも何度かありました。大体の場合は、別の警備員が、外国人はできないことを教えてくれて済むことも多いのですが、らちがあかずに、あきらめて、別の入口へまわらざるをえないこともありました。ちなみに同じ東洋人だからか「ほんとに外国人か?パスポートを見せろ」と言われたことも何度かありました。まあたしかに見かけでは区別しにくいですしね。
このような取り組みの結果、コロナ感染者がほぼ存在しないという前提で社会生活を営むことが可能となり、飲食店もショッピングモールも普通に営業していますし、企業も工場も活動しています。ただし市中感染者が発見されるとマンションの封鎖(数週間に及ぶ場合もある)や、その人が訪れた場所を訪れた人(濃厚接触者となる)は短期間の行動制限が課されることもあります。実際、私も大学オフィスが入居しているビルで濃厚接触者が発見されて建物が一晩封鎖されて全員緊急のPCR検査を受けて、翌朝全員の陰性が確認されてから開放(建物は消毒のため3日間立入禁止)となったこともありましたし、住んでいた南山区の全域が週末2日間は外出禁止ということもありました。とはいえUberEatsのようなのご飯の宅配(外卖)はほぼ社会インフラとして機能しているので、長期間に渡るとストレスになるのでしょうが、短期間であれば、まあ我慢できる範囲かと思います。このような政策の良し悪しはともかく、現地に滞在する以上はそれに従うしかないわけですが、個人的な感想としては「普段はコロナの心配をせずに過ごせる」ことのメリットも感じました。
ごはん
私は基本的に食べ物にそんなにこだわりはなく、いわゆる「中華料理」は好きな方なので、ほぼ毎食、いわゆる「中華料理」を食べていました(ときどき吉野家、すき家などの日本料理屋さんにもネタ的に行きました)。住んでいたアパート(書類上はホテル)にはキッチンがないので、必然的に外食がメインになります。とはいえ日常的に食べる定食屋さん(快餐)さんはとても安くて、日本円で500円くらいで十分おなかがいっぱいになります。ちなみにマクドナルドやスターバックス、吉野家などの外資チェーン店は、日本円でいうと一食あたり1000円近くて、現地の物価からするとかなり高価な印象です。
並んでいるおかずから好きなのを選んで盛ってもらう快餐屋さんもありますし、チャーハンや青椒肉絲などをちゃちゃっと作って出すお店もたくさんあります。テーブルのQRコードをスキャンするとメニューが出てきてそのままWeChatPayで支払いまで済ませられる店も多くて、安心です。
現地に行く前はまとめて「中華料理」、せいぜい「激辛の四川料理」ぐらいの雑な理解しかなかったわけですが、地方ごとに、実にいろいろな料理があるのが、徐々にわかってきました。そもそも深センは移民の街なので「深セン料理」は(ほぼ)ありません。例えば・・・
・湖南(フーナン)料理(四川の人も「あの辛さはヤバい」というほどの激辛料理)
・四川料理(ラー油などの油たっぷりの激辛料理)
・広東料理(煮物がおいしい)
・潮汕(チャオシャン)料理
・山東料理
ちなみに研究室にいる中国からの留学生(南の方の出身)に「餃子パーティーとかやるんでしょ?」と聞いたら、「餃子は北の方の食文化で、南の方は鍋パーティ」と言っていました。国が広いので、方言もあるし(漢字は同じなのですが発音が違って、深センのある広東省の方言の広東語は、標準語に相当する普通語とはぜんぜん発音が違って、学生の頃に研究室にいた北京出身の方と香港出身(広東語)の方は、ふだんは英語で会話してました)、食文化もぜんぜん違うんですね。
いずれにしてもメニューに写真がなくても、漢字が読めるので、だいたいどんな料理かはわかるのは心強いです。ちなみに豚肉は「猪肉」、タマゴは「鸡蛋」(鸡=ニワトリ、 蛋=タマゴ。それ以外にもアヒル、ガチョウのタマゴなどがある)と書きます。
ふだんは「近所のランチ開拓シリーズ」などと称して、なるべくいろいろな種類のご飯を試していた(ほとんどInstagramに投稿していました)のですが、ほとんど「ハズレ」を引いた記憶がありません。ごはんがおいしいのは、とても生活の質があがっていいですね。
現地での研究活動
深センに4ヶ月間滞在した間に行った活動と、そこから得られた知見についてまとめておきます。
南方科技大学の研究環境・研究者
南方科技大学は深セン市政府が2011年に設立した公立大学で、まだ10年ほどの新しい大学です。しかしTHE(Times Higher Education)のWorld University Rankingで162位(2022年)など非常に世界的に評価の高い大学です。私が滞在したSME (School of Microelectronics)は半導体関連の研究者が大半ですが、最年長の教員でも50歳前後で、また45名の教員の中には女性教員も8名在籍しています。教員の経歴は、いわゆる「海亀」、つまり中国生まれで海外の大学で学位を取り、あるいは海外の企業での勤務経験を持って戻ってきた教員が大半です。そのため研究の国際的なバランス感覚もあり、日本で近年求められることが多い「すぐに実用化できそうな研究」だけでなく、中長期的な視点での基礎研究に近い研究プロジェクトが多いのもい印象的でした。新任教員への研究立ち上げ補助が5年間で総額約1億円と手厚い一方で、その後は使途を問わない基盤研究費はほぼ配分がなく、競争的資金の獲得が重要事項であるのは日本と同じです。それでも、特に深セン市の財政が豊かである影響か、基礎研究に近いように見える研究プロジェクトにも研究費の配分が多くあるようでした。また後述のように、企業との接点を多く持つ教員が大半であり、研究の社会実装、あるいはビジネス化を強く意識している教員が多いのも印象的で、実際に起業している教員や卒業生が起業している例も多数ありました。また研究プロジェクト雇用のResearch Assistantが多数在籍していますが、南方科技大学の在学生や卒業生ではなく、他大学を卒業した人の就職先の一つとして認知されているようです。それを含む人材の流動性の高さは、活発な研究活動や企業活動の源泉であると感じました。
他大学の研究環境・研究者
滞在期間中に縁があって、深セン大学と香港城市大学・深セン研究所を訪問する機会がありました。いずれも、南方科技大学と同様に、研究と社会(社会実装の手段としてのビジネス)のつながりを強く意識する教員が多いのが印象的でした。特に深セン大学では学生の起業も活発で、所有するビルのインキュベーション施設は常にほぼ埋まっているそうです。もちろん高い技術で勝負するビジネスばかりではありませんが、それでも社会へ出ていく手段として起業やビジネスを非常に身近にとらえる人が、ごく普通にいることは印象的でした。例えば最先端の量子コンピュータの研究開発も行う一方で、2qubit(量子ビット)と低機能であるものの100万円程度の非常に安価な教育用量子コンピュータというビジネスを狙うSpinQという企業も訪問しましたが、深セン全体の社会的な多様性が、このような企業を生む土壌になっているといえそうです。
ファブレス半導体メーカ
中国には現在、3000社以上の半導体メーカがあるそうです。その多くは、チップ製造を外注するファブレス企業ですが、スマートフォンの心臓部のSoC (System on a Chip、多様な機能をワンチップに集積したLSI)のような最先端LSIから、安価な互換IC、ディスクリート半導体まで、企業の幅は非常に広いです。中でも私が個人的に研究的に関心が強いのは、テクノロジノードが180nm〜65nm程度の、やや古めの技術で設計製造されるICで、それらは大きく2つに分類されます。
(1) 低価格の汎用品や互換品
(2) 無線通信SoCや電源管理SoCなど、市場のニーズをうまく捉える、あるいは新たな市場を開拓している製品
(1)は単機能のアナログICや電源IC、マイコンなどで、業界標準の製品(例えばオペアンプ4558やマイコンSTM32Fなど)とピン互換とすることで置き換えニーズを狙った製品が多いようです。基本的には価格重視のレッドオーシャンの市場ですが、用いるテクノロジノードの選定や機能の上位互換性などで差別化を図り、また自身が方案公司として自社製品を使ったシステム設計も担うことで、市場でしのぎを削っているようです。
(2)は、ムーアの法則によって、ある程度の機能であれば古いテクノロジでも実現可能となったことで可能となった、市場のニーズに応えたり、あるいは新たな市場の開拓に成功している製品です。例えば近年Bluetooth無線イヤホンには1000円程度の安価な製品も現れ、高級品と比べて性能は低いものの、実用上は十分な性能を持っていて新たな市場を開拓しています。これはBluetoothという標準規格機能をIP(設計資産)としてもち、それにノイズリダクションなどの信号処理回路、バッテリ充電制御、タッチ操作検出などの「Bluetoothイヤホンに必要な機能」を過不足なく集積したSoCが可能とした製品です。そのようなSoCは必然的に製品・目的にあわせたカスタム品になるので、少量多品種となります。一般に半導体産業は設計や製造の初期コストが高いために少量多品種が苦手な産業なのですが、それでも半導体の設計技術が集積し、かつそれがある程度古い(しかし安価で歩留まりも高い)製造テクノロジでも実現可能で、さらにそのような半導体設計企業が深センがもつハードウエア産業のエコシステムとも有機的に機能することで、新たなハードウエア市場を開拓しているのは、非常に興味深いです。いずれの半導体メーカも、方案公司としての顔があり、Webページに掲載されている製品以外にも、顧客の要求に合わせたカスタムIC製品が多く存在しています。
このような少量多品種の半導体製品では、必ずしも全ての機能をワンチップに集積するものばかりではなく、メモリや無線、アナログなどの別の機能を単体チップ(それらはある程度汎用品なので量産効果が出る)で設計製造し、それららを1つのパッケージにまとめるSiP (System in Package)が多く、かつそのカスタムも柔軟に対応している企業が多いのも、非常に興味深いです。
Maker企業
私は電子工作大好き人間でもあるので、「巨大な秋葉原」とも呼ばれる深センの電気街「华强北(ファーチャンベイ)」に(日常的に)行くのも楽しみにしていました。それ以上に、日本にいる頃から製品やサービスをよく利用する若い企業を訪問することを楽しみにしていました。電子工作といえば、以前は、おじさんや技術者のホビーというイメージが強く(実際そうだった)、とっつきにくい雰囲気を感じる方も多かったかと思うのですが、最近はだいぶ雰囲気が変わってきました。2010年頃に米国から始まった、DIY(自作)文化を源流とする趣味・仕事を問わず広い意味での多様な「ものづくり」は"Make"と呼ばれ、エンジニア以外にも、それを楽しんで行う人が増えてきました。そのような「ものづくり」を楽しんで行う人はMaker(メイカー)と呼ばれます。古くからある手芸や工芸もMakeの一種ですし、日曜大工もMakeですから、だいぶ広い概念ですが、Makerの人たちは、インターネットの時代らしく、製作過程や成果物をシェアするコミュニティ的な文化の傾向が強く、お互いの作品を尊重する(素人の作品とけなさない)文化が強いのが特徴です。また技術的なバックグラウンドが少ない人も多いのも特徴で、例えば「作品を光らせたいから電子回路を勉強する」という順序で電子工作を始める人も多くいます。実は多くの人は子供の頃には工作好きのMakerだったはずで、それが何かのきっかけで思い出されてMakerになる人も多いように思います(例えば漫画「ハルロック」の第1話(1Ω)はその文脈で、授業でも参考資料として紹介しています)。このあたりは「ものづくり」教育の新たな形態だと私は考えていて、これについては後述します。
さて、深センはハードウエア産業の集積地とはいうものの、日常的に電子工作やMakeを行うMakerはそれほど多くいないようです。それでもMakerスピリットを持つ企業もあります。その中で、WiFiつきマイコンを使った製品として見かける機会が増えてきた、みんな大好き"M5Stack"シリーズのM5Stack社に「インターン」する機会をもつことができました。社長のJimmy Lai氏とは、これまでにも何度か会ったこともあって、また普段からTwitter上でのやり取りも多い(Jimmy氏はTwitter廃人なんじゃないかと思えるほど、Twitterのタイムラインで、特にM5Stack製品関連の投稿をまめにを追いかけている)のですが、挨拶に訪問したときに、半ば冗談で「インターンしたいんですよね」と言ったら、「じゃあ、こんど展示会があるからそこに出す新製品の企画と設計をやろう」ということになって、その日のうちにWeChatグループがつくられました。
数日後に、私から、新製品のアイディアを3つほど出し、エンジニアの方々の協力も得て1週間ほどで設計し、実際にオフィスで試作やテストをしつつ、1つ目の製品は1ヶ月ほどで発売までもっていくことができました(初期ロットの100個はサインを入れよう、というJimmy氏の提案で、サインしました)。M5Stackの特徴の一つは、ほぼ毎週、数種類の新製品を継続して発売するという驚異的な開発スピードですが、またユーザとの有機的な連携をもつオープン性もあり、今回の「インターンでの製品開発」は、この過程を体験できた、とても貴重な機会でした。これは深センの企業というよりもM5Stack社に固有のこと(さらにいえばJimmy氏の個性)かとも思いますが、社外の人間と動的に連携するオープン性と柔軟性、意思決定の速さ、日本語・中国語という言語の壁を超えたエンジニアどうしの「わかる」会話(Jimmy氏自身が現役のMakerでもあります)、そしてハードウエア製造のエコシステムのスピード感といった要因から成し得たものであると思います。そしてこの経験は、技術と市場、企業の経営という、それまで大学教員としては、なかなかすべてを通して見ることができない面(それは前述の大学と産業の近さとも関連します)を経験するという、非常に貴重な経験でした。
行政と科学技術政策
滞在期間中、ドローン(無人機全般)に関するシンポジウムに参加する機会がありました。中国ではドローンや無線通信はなんでもありの無法地帯、というイメージを持たれている方もいるかと思いますが、ちゃんと法律も規制もあります。このシンポジウムでは、研究成果を発表する研究者やビジネスプランを語るスタートアップ企業だけでなく、深セン市の科学技術政策の責任者も登壇し、ドローンに関する産業政策(例えばドローン回廊の制度)の講演がありました。そこでは「ドローンを活用した産業の成長」という目的のために、どのような政策が必要で有用か、という観点で、産官学での実効的で深い協議が行われています。行政の人でも「技術のことはよくわからないけど(「文系だから」という言葉が免罪符のように使われることもしばしば)、流行っているから、海外だとやっているから、(よくわからないけど)やっておこう」という安易なことは言わずに、とてもよく技術詳細やその意義について非常によく研究しているようでした。そして実際、その数カ月後に、その制度を使ってドローンの飲食物宅配の実証実験が開始されるなど、まさに「深セン速度(深センの開発が始まった頃、中国初の高層ビルの建設が3日で1階のペースで進んだことから生まれた言葉。転じて、深センでの高速な製品開発や技術の実用化をあらわす言葉としても使われる)」で科学技術の社会実装が進んでいくのです。行政が「現行法で扱えない」や「前例がない」という「やらない言い訳」で科学技術の社会実装・実用化の足かせにならない点は、日本の科学技術政策において学ぶべき点が多いと強く感じました。例えばQRコード決済も、「スマホを持っていない人が困るから採用しない」のではなく「ほとんどみんなスマホを持っているし便利なので採用し、一部のスマホを持っていない人のためには現金や有人窓口を少数でも残す」という、ある意味の割り切りも、有効に機能しているのだと思います。
人のつながり
このような大学や企業との接点を通して「人のつながり」の重要さを強く感じました。初めて会った人と話をしている中で、会話に出てくる人を「その人は知り合いだ」と言われることが何度もありました。友達の友達はみんな友達、とは言いますが、大学と企業の距離が近いことも関係するのか、業界や業種にこだわらずに、人との出会いやつながりやを大切にし、そして活用するのが非常に一般的であるようです。中国ではWeChat(微信)というチャットツールが広く普及しており、そのアカウントを持っていない人に会ったことがありません(前述のコロナ関連アプリもWeChat内ミニアプリで、日常的な必要性が高いというのもあります)。初めて会った人とは名刺の代わりにWeChatアカウントを交換するのが日常風景ですし、チャットツールだからこそ、素早く、気軽に連絡をとることができることが、人とのコミュニケーションを円滑にしている要因の一つであると感じました。日本だと名刺を交換しても、用件が生まれるまで連絡をとらないことも多いですし、連絡しやすい方法が電話、メール、LINE、Facebook、Twitterなど人によってばらばらなことが多いですよね。
イノベーションの源泉
イノベーションを生み続ける街・深センを見ていると、イノベーションの源泉は「チャレンジすること」だと強く感じます。つまり、ものになるかどうかわからなくてもチャレンジすることが尊く、あるのかどうかすらわからない不安要素を議論するよりも手を動かし、それを社会が許容し、失敗したらめげずにまたやりなおす、という「活気」そのものです。実際、深センに住んでいると街は常に騒がしく、心が安らぐ時間がなかなかありません。歩道を歩いていると電動バイク(法律上は自転車だが、モータが強くて自走できるのに自転車なので歩道を走れる)にクラクションを鳴らされることもしょっちゅうです(動画)。しかしそれは、人が、そして社会が動くクロック速度そのものです。後述するように、深センの人は、本当によく勉強し、働きます。それは「働けば、社会や自分の暮らしがよくなる」と皆が信じていて、かつそれが実現できるからこそ、つまり成長しているからこそ、このような街が存在できているのだと強く感じます。
街に住むということ、中国語とのつきあい方
私が初めて深圳に行ったのは2016年でした。全く別の仕事で香港に行くことがあり、最終日に夕方のフライトまで時間があったので、以前から噂を聞いていた電気街に寄ろうと思い、地下鉄を乗り継いではじめて深センを訪れました。そのときは30分ほどしか滞在できませんでしたが、その迫力に圧倒され、こんどは札束を握りしめてじっくり来よう、と思ったのでした。その後、学生を連れて深圳のMaker Faireに参加したり、企業や企業を訪問したりしましたが、いずれもビザなし渡航で、2週間以内の短期滞在でした。今回、滞在が1ヶ月を過ぎたあたりから、いろいろなものの「解像度」が高くなっていくのを感じました。例えば食事も「中華料理」から地方ごとの料理の特色が徐々にわかるようになり、また街や産業の成り立ちも、より細かいところまで見えるようになってきました。
また「郷に入りては郷に従え」の言葉通り、少しでも中国語を勉強したのは、現地の人達をより深く知り、より深く交流したい、と思ったからでした。とはいえ事前にはNHKラジオ中国語やときどきネット中国語レッスンを受けた程度で、日常生活を送れるレベルにはなれませんでしたが、現地で滞在しているうちに、聞くのはある程度できるようになった気がします。たとえ片言でも、中国語で話したり聞いたりしようとすることは、現地のことをよく深く知るのに良かったのではないかと思います。片言でも日本語を喋ろうとする人と、全く日本語を喋る気がない人と、どちらとより深く仲良くなれそうかを考えるとわかると思います。
そして私たち日本人は数少ない漢字を使う民族で、中国語の読み書きのハードルは格段に低いです。実際、街中の掲示を見ても、だいたいの内容は容易に理解できます(多くの漢字が簡略化された簡字体なので慣れは必要ですが、パターンは多くないのですぐに慣れられます)。母語で漢字を使わない人にとっては、単語の区切りすら、わからないのです。例えば「この先生き残れるか」という文章を見て、私たちはすぐに「この先」のあとで区切って読むわけですが、これは「先生」という単語ではないという、実はけっこう複雑なことを、無意識に行っているわけです。そのようなアドバンテージを生かして、中国という国とうまくつきあっていくのがいいのではないかと思います。ぜひ興味がある街に1ヶ月以上滞在することをおすすめします。旅行者視点とはまったく異なる視点が得られるはずです。
私たちは中国や深センとのどう付き合うべきか
このような深センでの経験の話をすると、「日本はどうすればいいか」ということを聞かれることがあります。現在の日本がどう逆立ちしても、深センにはなれないでしょう。しかし、だからこそ、日本が持つ強みを活かすのに、深セン(やそれ以外の国や地域)とうまくつきあうのが大切だと強く思います。例えばプリント基板を、深センの工場並みの品質と速度と価格で日本で作ることは不可能でしょう。
「ものづくり」において、"How to Make"より"What to Make"と言われて久しいですが、前述のMakerムーブメントをみていると、日本のMakerの独創性は世界屈指であると強く感じます。言い換えれば、アイディアの強力な実現手段はすぐ近くにあるわけですから、それとうまく付き合い、活用することで、自分たちの「夢」を実現していくのが得策ですし、現実的であると思います(これについては後で詳しく書きます)。
2022年は日中国交正常化50周年ですが、世論調査では中国をよく思わない日本人が8割以上にのぼるといいます。確かに政治体制などつきあいにくさのある国かもしれませんが、現地にいると、少なくとも科学技術やビジネスに関しては国境は感じません。私たち日本人も、ぜひ冷静に事実を見極めて、先入観や感情に左右されずに、よい付き合い方をしていくとよいと思います。
「教育」という観点から
私は大学で教員をしているので、教育という観点にも関心があります。それは、いわゆる理系の学生に技術を教える、ということだけでなく、幅広い人が技術を道具として使える(そしてそれぞれの目的を達成する)ようになる、いわゆる「技術の民主化」という文脈に関心があります。以下では、深センでの滞在を通して、この観点で考えたことをまとめたいと思います。
南方科技大の教育カリキュラムと学生の趣向
深センを含む中国全体では、全体的に慢性的なエンジニア不足だそうで、求人倍率はかなり高く、また待遇もよいようです。例えば南方科技大で行われていた学生向けの業界セミナーで半導体関連企業の年収の例が示されてました。多少金額は盛ってあると思うのですが、初任給は集積回路設計者で1000万円、AI向けの高度なSoCやFPGAの設計者で5000万円というも、それほど珍しくないようです。
そのような「好景気」もあってか、工学部は全般的に学生の人気が高いようです。ただ、後述のように、エンジニアという職を志す理由の多くは「面白いから」というよりも「儲かるから」という場合が多いようです。つまりMakerにとって一般的なArduinoやRaspberry Piは、授業や研究では使うものの、趣味として、それらや学んだ技術を日常的に扱う学生は、ほとんどいない印象でした。
また前に書いたように、大学教員も企業との連携を通して、あるいは起業しての研究のビジネス化を普段から強く意識している人が多くいます。そしてその風潮は学生にも伝わり、活発な起業が日常風景として行われている文化が定着しています。そのため学生にとっても、勉強したことが、世の中(具体的に言うとビジネス)にどうつながるかをよく見通せることも、勉学のモチベーションの維持にもつながっているようです。
もっともこれは、日本が30年以上失っている「社会の成長」を皆が信じていて、また実感できるほどに実現されていることが大きな動機となっているのではないかと思います。書店はいつも多くの人であふれ、階段はむさぼるように本を読む人で埋まっています。このような旺盛な知識欲は、「社会の成長」が強い動機の一つとなっているといえそうです。
企業におけるエンジニアの生態
エンジニアの慢性的な不足もあり、全般的にエンジニアの経済的な待遇はよく、企業はエンジニアの確保に苦労しているようです。
そして方案公司が複雑にからみあい、古くは「公开」と呼ばれる独特の知財流通システム、近年ではオープンソースの知財共有システムを通しての協業と競争が、深センのハードウエア産業のエコシステムの実態であるわけですが、その過程で、エンジニアが特定分野の特定技術のみで長年仕事ができることはほとんどありません。つまり常に競争にさらされる環境で、それは常に自己開発をする機会にもなっているわけです。ほとんどの企業が方案公司としての顔をもちますが、そこには「系列企業」や「下請け」の概念がないために、案件ごとに多様な設計の経験を積むことができるのも、このようなエンジニアの成長、さらには企業の実力向上につながっているようです。
深センがハードウエア産業の街として成立してからまだ30年ほどしか経っていないので、エンジニアも総じて若い人ばかりです。彼らが歳を重ねるごとにどのような人生を歩んでいくかは、これからの観察が必要でしょう。今回のサバティカル期間中に会った、ある程度の年齢のエンジニアは、大きな会社であるほど、技術の現場から離れて管理職についている人も多くいました。これは日本でも同じでしょう。それでも新しい技術に対するアンテナの感度は高い人ばかりで、例えばスマホの最新機種の技術詳細に異様に詳しかったりして、「最近のことはわからない、ついていけない」と老け込む人がいなかったのは印象的でした。
STEAM教育とMaker文化
世界的な流れにもれず、STEAM教育は深センでもそれなりに盛り上がっているようで、プログラミングやロボットなどのSTEAM教育の塾を多く見かけました。その一方で、英語や芸術、バレエなどの文化芸術に関する教育産業も活発なようです。つまり若い世代の教育熱は総じて高そうですが、STEAMはその一つであって、深センが「ハードウエアのシリコンバレー」といっても、特にエンジニア教育が活発というわけでもないようです。
それは、子供世代だけでなく、そのあとの世代にも影響しているようです。深センの電気街「华强北」に行っても、秋月電子のようなホビイスト向けの電子部品ショップはほとんどありませんし、各種素材を入手できるホームセンターも見かけたことがなく、ネジを少し買うのも一苦労です(通販で業務用に100本単位では買えますが)。
Makerバブルの名残なのか、"DIY"という言葉自体はよく耳にしますし、またArduinoなどのマイコンボードを指す「开发板(開発ボード)」という言葉はよく知られているのですが、電子機器設計のDIYがそれほど活発というわけでもなさそうです。もちろん電子工作ホビイストが集うWeb掲示板(例えば数码之家(MyDigit.cn))もあって、そこではかなりディープでマニアックな議論や情報交換も行われているのですが、人口比で考えると、日本よりも活発とは必ずしも言えないようです。この傾向は、Makerが集うイベントにも現れています。深センではこれまでに何度か世界的なMakerイベントであるMakerFaireが開催されていますが、出展には「ビジネスに直結したハードウエア」が多い傾向が強いという指摘は多くあります。
中国の「ものづくり」は、ビジネスと関連して捉えられている、と理解するのがすっきりしそうです。
日本の「ものづくり」とMaker文化
今回のサバティカル研修は、日本を外から客観的に見る機会でもありました。その観点から、考えたことをまとめます。
日本のMaker文化は、世界的にも特異であるという指摘は多くあります。日本のMaker文化の特徴は、その多様性です。エンジニアの経歴を持つ人たちだけでなく、それを持たなくても「作りたいもの・世界」を明確に持つ人たちが多くいるのです。実際、日本で開催されているMakerFaire TokyoやNT金沢(私も運営に関わっています)のようなMakerが集うイベントでは、「実用的かどうか」よりも「面白いから、作りたいから作った」という作品が多いことはよく指摘されていて、これは他の国のMakerイベントではあまり見られない傾向です。それらは、文字通り「技術で遊ぶ(技術の無駄遣い)」という文化で、言い換えれば、「技術に親しむ」新しい形態であるともいえます。
つまり、昔のような「秋葉原の部品屋の親父に説教されながら電子回路を覚える」という文化ではなくて、「面白いもの、作りたいもの」を作るために技術を順に覚えていく、という文化です。それはインターネットの普及とオープンソース化が可能にしたものです。このような文化は、古くからの「ものづくり」のエンジニアにとっては、素人の工作に見えて受け入れがたいものかもしれません。実際「技術の冒涜」という表現も聞いたこともあります。それでもこのような「技術を使いこなしている」人たち、そのアウトプットの多様性が、明るい未来を担保しているように強く思えてなりません。かつてのウオークマンも「机の下」から生まれました。
日本のエンジニア教育
日本の学校や企業でのエンジニア教育は、古くは高度成長の時代に「与えられた仕様のものをしっかりつくる」ことに重きが置かれていました。そして機能の改良・改善がそのまま市場に受け入れられた時代には、それが非常によく機能しました。そして、古くは「安かろう悪かろう」の代名詞であった"Made in Japan"を、高品質の代名詞に昇華させました。それは先人たちのたゆまない努力の賜物であったのは事実です。
しかし技術が大半の市場ニーズを満たすようになりました。例えばパソコンのカタログの目立つところにCPUクロック周波数などの性能が掲載されなくなって久しいです。それは、ほとんどの人にとっては、どのパソコンを買っても性能上の不満はないから、といえるでしょう。性能向上・機能向上を市場が求めている「機能飢餓」の状態にあった時代には、性能向上が成長の最短かつ最高の方策でした。しかし先ほどのパソコンのカタログの例を出すまでもなく「機能飢餓」の状態が崩れている分野も増えてきて、そのような時代において、エンジニアが成長の目標を見失った、と言われて久しいのです。かつてiPhoneが登場したとき、「それくらい日本でも作れる」という声がよく聞かれました。しかしそれは「(仕様をくれれば)」という注釈がついていなかったでしょうか。それは今でも胸を張って言えるのでしょうか。そして”Made in Japan”は今でも本当に高品質の代名詞なのでしょうか。その意味を私たちは履き違えていないのでしょうか。Blu-ray vs. HD-DVDという技術の争いに目を奪われ、映像のネット配信という大きな流れを見落としていなかったでしょうか。地デジが普及したのは、アナログ停波という要因を見ずに、高画質が求められたからだと信じていないでしょうか。ヒットでも凡打でも打席に立ち続けなければホームランも生まれませんが、私たちは凡打を恐れずに打席に立ち続けているのでしょうか。日本は科学技術立国と慢心していないのでしょうか。今回の深センで出会った多くの研究者、実業家の姿勢を見ていて、私たちいま一度、私たちが置かれている状況を、冷静に、そして謙虚に、客観視し、その上で、深センを含む世界とどうつきあうかを考えるべきではないかと、と強く思います。
技術の高度化・ブラックボックス化とどうつきあうか
一方、エンジニアが向き合うべき技術の多様化と深化はとどまることを知らず、どんどん技術が魔法化していき、中身がよくわからなくなるブラックボックス化が進んでいます。そのため、若い人たちが何か目的を達成するために技術を学ぼうとすると、そこで求められる知識の量と高度さは増加の一途です。それは、学校や企業で技術をどう教えるか、ということの困難さにもつながるわけです。個人的には、この困難さには「ブラックボックス化」の影響も大きいのではないかと思います。技術のブラックボックス化が進むことで、特に若い人にとって「電子機器の中身を知る」機会とモチベーションが失われているわけです。
これに対して、ある程度の機能をモジュールとしてまとめ、それらの関係だけを示し(ソフトウエア開発におけるライブラリとAPIもこの流れです)、それらをつないでシステムを設計する方式が一般的となって、実際にそれで充分なケースも増えてきました。入出力関係さえ把握していればシステム設計は可能で、習得すべき知識の分量を大幅に減らすことができます。コンピュータ技術を「ソフトウエア」と「ハードウエア」に大きく分けることも、本質は同じです。しかしそれは「誰でも設計できるもの」と紙一重で、つまりレッドオーシャン化に直結します。例えば半導体設計では、日本企業の多くが、デジタル半導体設計においてレイアウト設計から高位合成に重点をシフトして久しいですが、それではまさに「誰でも設計できるチップ」しかつくれないのです。AppleのiPhoneのCPUや中国HiSiliconのハイエンドSoCのチップ写真は、実に美しく、機能美に満ちています。これは、高位設計と地道なレイアウト設計の高度な協業の賜物であり、高位設計に頼って配線領域が多くなりがちなチップとの違いは、見た目だけでなく性能も一目瞭然です。半導体設計に限らず、モジュールを「ブラックボックス・不可侵の部品」としてとらえるのではなく、「必要に応じて中に手を入れていく」という姿勢と文化こそ、尊重されるべきです。そしてそれは後述するように、まさに若い人が求めることでもあるのです。
話が少しそれますが、企業の「系列」のシステム・習慣から、特定の製品や回路の設計ばかり行うことは、「いろいろな新しいことを使えるようになりたい」という知的好奇心を潰し、成長の機会を失うことになります。多様な設計経験を積むことは、多くの人が自身が自身の成長として期待していることでもあるのです。
若い人は「楽しい技術」に飢えている
このような技術の高度化とブラックボックス化は悩ましい問題ですが、これに関連してもう1つ、個人的には重要な点があると感じています。それは「失敗をする機会」です。子供がプラモデルを作らなくなったと言われて久しいですが、今の子供向けのプラモデルの一部は、すでに切り離されている部品をはめこむだけで完成し、ランナーからのカットも接着も塗装も必要ありません。そのような「単純な組み立て作業」に面白さを見い出すのは無理というものです。これは科学実験にも言えます。近年の多くの科学実験の教材は「手順通りに行えば結果が出る」ように、よく設計されているのですがそれは単なる作業でしかありません。ダイコンからDNAを抽出する親子実験教室を開催した際、「なぜうちの子のはDNAが抽出できないのか」というクレームが出たという話を聞いたことがあるのですが、「必ず成功すると保証された経験」は、もはや科学実験ではありません。電子工作キットも同様です。ただ手順書通りに部品をとりつけて完成させることは、成功体験かもしれませんが、それは必ずしも達成感にはなりません。自分で部品を集めて不完全な情報に基づいて苦労して完成させる経験は今でも根強い人気があります。電子機器の分解も、危険だから、あるいは見てもわからないから、と大人は止めがちですが、子供も若者も危険を承知でブラックボックスの中を見たいという衝動は強く、分解を通した設計者との対話を欲しているのです。(その思いから「分解のススメ」というイベントに積極的に参加していて、共著で「感電上等!ガジェット分解のススメ HYPER」という本を書いています(近日オーム社から発刊予定))
つまり、大人が「失敗して興味を失わないように」と、よかれと思ってやっていることが、子供が失敗する可能性を摘んでいる場面は多いのです。それは確かに成功体験ではあるかもしれないが、達成体験とはほど遠いのです。「楽」という漢字は"fun"と"easy"という2つの意味がありますが、"easy"だけでは知的好奇心は満たされません。そして子供も若者も、大人が思っている以上に"fun"を求めていて、そのためには苦労も失敗もいとわないのです。そして「興味を持ってもらう」という視点は、子供や若者にとっては、大人の事情(例えば日本の科学技術の将来の危惧)から観点であり、逆効果でしかありません。子供だましは、すぐにバレるのです。大人自身が楽しんでいれば、自ずと本物の楽しさは伝わり、興味を持ち、そして成長していくのです。それは、MakerFaireやNT金沢のようなMakerイベントを見ていれば、一目瞭然です。
そして若い人たちは、初等教育の段階から「総合的な学習」「アクティブラーニング」を経験していて、柔軟な発想と問題解決能力をネイティブに持っています。そして彼らは「自身のアツい思い」というイノベーションの種を持っている。そのような熱意(それは高いモチベーションにもつながる)を持つ若者たちが主役となれる社会や企業になってほしいと切に願います。そして彼らが、その熱意を具現化するのに技術を学びたいと思ったときに、大人は彼らの思いを汲み取り、技術の歴史の深みを伝える立場になるなってほしいと思います。まさに「温故知新」です。
そして日本には、中国の子供たちやエンジニアと違って、もともと「技術で遊ぶ」文化があるわけですから、それを尊重して活かし、そして伸ばしていくことで、自然に幅広い技術に明るくなります。もちろんその先は必ずしも「エンジニアという職業」である必要はなく「技術の素養を持った〇〇」でよいわけです。理系文系という古くからの日本独特の弊害しかない無意味な区分けにとらわれずに「技術を持った人」が育っていく環境こそ、日本のMaker文化であり、それは国際的にも高い競争力を発揮できる可能性を持っていると確信します。このMaker文化こそ、大人のエンジニアが「素人の工作」と一笑に付すのではなく、守って育てていかなければならない、絶やしてはいけない核心なのだと強く思います。
雑多な内容でしたが、ぜひ感想やご意見をいただければ幸いです。akita@ifdl.jp / Twitter&Facebook: akita11, WeChat: akita111
謝辞
今回のサバティカル研修を業務の代行などで支えてくださった金沢大学の関係者の皆様、滞在を快く受け入れていただいた南方科技大学の関係者の皆様、また多くの企業や研究所を紹介していただいた、深セン在住の(株)スイッチサイエンスの高須正和氏に深く感謝します。
読んでいただいた皆さんにとって、なにか得られるものがあったのなら、うれしいです。そんな方は、ぜひカンパのつもりで、最後の有料部分を購入していただければ幸いです(内容はお礼の一文だけです)。
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