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距離をとることには、慣れている
例のアレを、うつしたり、うつされたりを防ぐために、距離をとりましょうと言われている。
ソーシャルディスタンシングが、そのうち、フィジカルディスタンシングとなったり。
2メートル離れる、のほうがわかりやすいな、と個人的には思う。
体操隊形に、開け。を思いだす。
サーフィンは、7年目に突入した。今年はまだ行っていない。
スノボは、年々上達している実感があるけど、サーフィンは本当に、上達しない。
一度も乗れないまま、終わる日もある。
スポンジのファンボードで、ご安全にゆるゆる乗っている。
それでも、広い空と海と砂浜との一体感を感じられる時間は、何物にも替えがたい。
ヘッダーの写真は、私がいつもお邪魔する、三重県の国府の浜。サーフィンする人は、伊勢と呼ぶ。実際には志摩市である。
波を待つときに、周りの人とぶつからないように、邪魔しないように、一定の間隔をあける。
なので、サーフィンをする人たちは、間隔をあけることが、直感的にわかる。
危ないな、これは大丈夫だなと、常に考えながら、感じながら、海に入っている。
海は危険だから。コントロールできるのは自分の行動だけだから。
台風のときに海に入らないのも、感染症が流行していたら、地元に迷惑をかけないように、行くのを控えるのも、誰かが大きな声で言わなくても、できるのだ。多くの人は。
いつもやっていることだから。
うつしたくない相手の顔が浮かぶのもある。海の様子を教えてくれる地元の元漁師のおじいちゃんや、野菜をやや強引に売るおばあちゃん。波を譲ってくれるローカルサーファー。
いつも暖かく迎えてくれる人たちをおしのけてまで、やろうとは思わない。
波の前のりは、めっちゃ恥ずかしいことだから。