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【学ぶ者は、やがて導く者になる】

妹の古くからの友人Aさんに、今年21歳の息子がいます。
彼が高校受験のときに、Aさんから「息子の勉強を見てやってほしい」と言われ、受験勉強を手伝いました。

正直なところ当時の彼の成績は下の下で、まともに合格できる高校を探すのは困難な状況。基礎の基礎のそのまた基礎から話をしないといけない状態で、とても受験レベルうんぬんのハナシではありませんでした。根はとても真面目で、こちらの説明にもきちんと耳を傾け、どうにか理解しようとするよい子でした。

最終的には、一般入試経由の進学は本人が断念。近隣の小さな町にある定員割れを起こしている高校に、出身中学校からの推薦の形にしてもらえるというので、どうにか進学しました。

入学後数ヶ月して、Aさんに会う機会がありました。いわく、
「高校に入って最初の定期テストで、学年上位に入ったんですよ!」
ここで進学先の高校のレベルを問うことに意味はないでしょう。何より、彼なりの努力が実を結んだそれまでに一度もない「成功体験」にこそ価値があるのです。

入試というルートを通しての進学は断念しても学ぶことはちっとも断念しておらず、おそらくは私と勉強したことも思い出しつつ、自分なりにコツコツ勉強を続けたそうです。また、彼にとって推薦入学は、正面から入試に挑む級友たちへの「ズル」のように思えたらしく、だからこそ怠けちゃいけないと思ったらしいとも聞きました。

ともあれ、無事高校も卒業して数年。今では立派な自動車のメカニックとして仕事をこなしています。実際、私のクルマに不調が生じたときには、彼が手際よくきちんと直してくれました。

先日妹がAさんに会いに行くと、Aさんから、コロナのワクチンは打つべきか否かとの相談を受けました。私も妹も接種拒否の方針。妹がAさんに、接種しない理由をいくつも挙げたところ、Aさんはこう言いました。
「それ、全部息子が言ってたワ」

学んで成功した経験を持つ彼は、学校を出た後も自ら調べ、学び、判断し、自分なりに出した結論を大事な家族にも話していました。息子の学びが、家族を一つの方向へ導きました。

学びを経て判断した結論の是非よりも、自分なりの根拠を持って判断できるように成長した彼の今を知って、私もあらためて背筋の伸びた一日でした。

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