最高裁裁判官国民審査―全員に✕をつけてきた話
私の職場は市役所のマイナンバー申請や交付を扱う部署。昨年までは戸籍住民課の一部としてその業務が行われていましたが,マイナンバー登録推進を期して別途特設会場が設けられました。その会場の裏の事務室で私は会計年度任用職員(臨時職員)として事務補助の仕事をしています。
そのスペースをホワイトボードとパーティションで隔てた隣の部分が期日前投票会場。昼休み、デスクから徒歩10秒かけて一票を投じてきました。「今回ばかりは堪忍袋の緒をブチ切った」そんな一票です。
衆院選に伴って最高裁裁判官国民審査があります。10名あまりの裁判官の名前が列挙され,その上に記入欄があり,空欄または✕を書き込むようになっています。
罷免させたい裁判官「のみ」に✕を記入し,罷免させたくない裁判官には空欄にするのが投票方法です。
罷免させたくない人にたとえば◯などを記入してしまうと,その投票用紙全体が無効票となり,✕をつけたことの意志は反映されないことになります。(下記は無効票の例)
この投票のしくみやルール自体,腑に落ちない部分はありますが,国民審査そのもののあり方や有効性にも疑問を感じます。
今回私は,すべての裁判官に✕をつけてきました。それが私なりの一つの意思表明の手段だからです。まず,国民審査のしくみとそれに対する私が不満に感じる点を記し,その後に今回全員に✕をつけた理由を述べることにします。
・国民審査のしくみ
最高裁裁判官国民審査は,投票用紙に氏名の記載された裁判官のうち,やめさせたい人とやめさせなくてよい人を選ぶ機会です。
審査の結果がどうなればやめさせられるか,また続投が認められるかは次のようにして決まります。
Aという裁判官に対して,やめさせるべきという票(✕)の数が,やめさせなくてよいという票(空欄)の数を上回った場合,Aは罷免されます。
たとえば,やめさせるべきという票が300万票,やめさせなくてよいという票が250万票の場合,Aの罷免が決まります。
Bという裁判官には,やめさせるべきという票が10万票,やめさせなくてよいという票が540万票だったとすると,Bは続投です。
詳しくは,総務省のHPに記載されています。
・国民審査への不満
国民審査を受ける裁判官がどのような人物かは,選挙公報や裁判所のHPで閲覧することができます。
不満1.
選挙公報には国民審査を受ける対象の裁判官に関する記載もあります。選挙公報は期日前投票がスタートする前に自宅に届けばよいのですが,我が家には期日前投票の始まった今日(2021年10月20日)の時点でまだ届いていません。そのような状態では罷免すべきか否かを判断することは,ネットで調べなければできず,そのことが,制度としての国民審査の不十分な点でもあります。ネットを利用して裁判所のHPを検索し,最高裁裁判官の人物像を調べるだけのスキルを有していないことの多い高齢者などにとっても,十分に情報が行き渡る条件が整っているとは言い難いところです。
不満2.
裁判所のHPには,裁判官の氏名,略歴(学歴,法曹界での経歴,裁判官としての心構え,好きな言葉,印象に残った本,趣味,最高裁において関与した主要な裁判など)が記載されています。関与した裁判の概略については,別途リンクから飛んで閲覧する必要があり,全員分の記述に目を通すのも一苦労です。それに,好きな言葉や本,趣味などは,当該裁判官の裁判への取り組み方を評価する基準としてはふさわしくかつ不可欠なものでしょうか。そこにも疑問を感じます。
・全員✕にした理由
裁判官の仕事ぶりを判断する基準が十分とは言えない状況で,明確に罷免すべき理由のない裁判官まで罷免に至らしめようとする(✕をつける)のはよろしくないのでは?という考え方もあります。しかし主権者である国民の意志を立法,行政,司法の三権の観点から反映させられる度合いが国民審査では極めて低いと感じます。
立法に関わる部分は衆議院・参議院選挙で国民が直接意思を示せますし,行政を担当する内閣にも,間に国会をはさむ間接的なプロセスではあってもギリギリ意志が反映されている実感があります。しかし司法については,そもそも国民は裁判官を選ぶ(指名する)プロセスそのものに事実上携われず,どのような理由でどのような人が選ばれているのか与り知ることはできません。
最高裁裁判官は内閣の指名に基づいて天皇が任命するという規定(日本国憲法第6条2項)はありますが,国民による直接選挙を経て衆参院議員が選ばれ(立法),そこから内閣が組織されて首班=内閣総理大臣が選ばれる(行政)のしくみからはさらに遠く,内閣が(行政にとって都合の良い人材として)裁判官を指名するのだとすると,指名された者の評価・判断を国民はますますしにくくなるわけです。国民が裁判官の良し悪しを判断するまでの中間プロセスが多すぎて,国民の意志が反映されている実感も得にくいのです。
国民の知らないところで決められてしまっているのが最高裁裁判官。しかもこれまで国民審査によって裁判官が罷免に至った事例はゼロ。つまり国民の意志が事実上一切影響を及ぼしたことがないのが司法という分野です。
今回の衆院選では,立法(+行政)の部分で日本の政治を根本からひっくり返すくらいのつもりで臨むのがその意義であると私は捉えています。それに伴って,司法の部分においてもいったんすべてリセットすることが必要と考えました。裁判官の良し悪しに関わらず,定期的に選挙で入れ替わる国会議員と同様,いっそ丸ごと入れ替えてしまえという一つの意志を明らかにするため,あえて全員✕にしたのです。
蛇足ながら,この判断と投票行動を私はどなたに対しても強要するつもりはありません。こういう考え方の人もいるのだということを表明しただけにすぎないことを申し添えます。