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(続)豊川稲荷

だいぶ間が開いてしまいましたが、豊川稲荷紹介の続きです
年末から今までの間、先生の入院手術があったりとバタバタでございました

さて豊川稲荷はお寺です!
とお話しましたが、その名も「圓福山 豊川閣妙嚴寺」といい、曹洞宗の
お寺さんになります

なぜ伏見稲荷のように神社じゃなくてお寺なのか?を投稿しようと思っていましたが簡単にネットで検索できるので、やめます(笑)
その代わり不思議な面白い話を一つ紹介したいと思います

平八郎稲荷の伝説

豊川吒枳尼真天は世に 「平八郎稲荷」とも称せられていま す。 以下にその理由を御紹介しましょう。

東海義易禅師が妙厳寺開創の時、一人の老翁があらわれ、

「お手伝いをいたします」 と禅師の左右に侍してよく働き、自ら平八郎と 称していました。

老翁は一つの小さな釜を持っているだけで、ある時は飯を炊き、 ある時は菜を煮、 又ある時は湯茶を沸かし、しかも幾十人幾百人 を展待するのにもこの不思議な釜一つで間に合いましたので、そ の神通に驚かないものはありませんでした。

そこである人が一体どのような術を使っているのかと尋ねると、

平八郎はにっこりと笑って

「私には三百一の眷属がありますので、 どんな事でも出来ないと いうことはありません。 又どんな願いも叶うのです。」 と申しまし た。

この不思議な老翁は、 開山禅師が遷化されてから忽然と姿を消し

てしまいましたが、 あとには翁が使っていた釜だけが残されてい ました。 この因縁により世に平八郎稲荷と称えられるようになり ました
                   ~豊川稲荷ホームページより~


平八郎と都田 

と、まあこのような伝説がある訳ですが実は、「平八郎稲荷」という小さな小さな神社が浜松市北区都田町にもあります

こちらの神社に伝わる伝説は要約すると

平八郎という老翁が、長雨による川の洪水から都田の人々を救い、その後平八郎の姿は消えたが、代わりに白い狐が濁流の川をピョンピョンと渡っていった

というものです


都田町の平八稲荷
白髭神社
祠前コンクリート部分に付いたの白っぽい石の出っ張りは人面石

きっと都田で人々を救った平八郎が遠州から三州に渡り豊川稲荷開創にも一役買って出たのでしょう

不思議な面白い事実

で、このお話しの何が不思議で面白いかというと、、、
実は浜松市にある「平八郎稲荷」と「豊川稲荷」
全くの同緯度に存在するのです!
つまり「平八郎稲荷」から真っ~直ぐ西に進むと「豊川稲荷」があるのですね

ただの偶然かな、、(笑)




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