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彼女の視点が20年を越しにわかった気がする「京都・磔磔~酒蔵ライブハウスの50周年」

18の時に先生と学生という立場で出会ったLehan Ramsayとは、なんだかわからないけど深く関わることになった。言葉に当てはめるなら、恩師だったり、年の離れた友人だったり、時にはカップルに間違われることもあったかな。

彼女は京都に住んで仕事をしたあと、私の母校に勤めた。彼女のセンスはとても独特で、西洋と東洋と過去と未来がミックスされたようなものだった。そして、函館の西部地区を愛し、私に最初に”pub crawl=はしご酒”を教えてくれた人だ。

いまは亡き、相馬倉庫でアートイベントをやろうと動いたのも彼女だが、当時の周りの人々は私も含め、なぜあの廃墟のような相馬倉庫(2000年当時でも築だいぶ年で、かなり昔からあったはずだ)で、人を呼ぶイベントをやろうと思ったのかと疑問だった。

最終的には、もちろん素晴らしい空間となり良いアートイベントになったのだけど。

で、京都・磔磔である。

最初は、私が好きな番組制作・プロデューサーのヒロシ・ヤング(住田浩志)さんが関わっている番組ということで見始めたのだけど、そこに映し出される映像の空気感は、20年前のアートハーバー…相馬倉庫が持っていたものに通じていた。

古い建物で人が活動してきた思いの結晶というか、澱。そこから生まれるエネルギー感、思念体?場の持つ空気感。

Lehanが京都時代に磔磔に行っていたか、どうか、は全然わからない。

ついでにいえば、彼女はもう8年も前に死んでいるので聞く手段だってない。

だけど、もしかしたら京都には、京都時代には磔磔のような人のエネルギーがたくさん溜まっているような場所、思いがあるような場所に行き、影響を受けていたのかもしれない。

彼女に対してある意味では贖罪のような気持ちを持ち続けているから、日常のそこかしこで、折に触れて思い出すのだけど、「京都・磔磔」のドキュメンタリーを見て、20年ぶりにLehanの視界を追体験したような感覚になってしまった。不意打ちだった。

さまざまなミュージシャンが磔磔について思いを語り、ライブ映像を流す構成のドキュメンタリーはとても素晴らしい映像・番組だったが、私にとってはまた別の意味合いで心に染み入る番組だったのでnoteに記録しておこうと思う。

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