土曜日は落ち着かない(日記
特にテーマなんかは無く、ただTODOがパンクしてて、アウトプットも渋滞しているので、ガス抜きのためだったり、最初の取っ掛かりだったりのために文章を書くことが多い。
noteにはテーマ性を持ってコンテンツを作る人も多いけれども、もともと文章を公に向けて書くことになったのも、とりとめのないエッセイが最初だったわけだから、3周くらい回ってはじめのスタイルに戻っているに過ぎない。
土曜日は中央競馬の日なので落ち着かない。今日は川端海翼騎手のある意味での晴れ舞台なので、なおさら落ち着かず、17時近くになるまで仕事机の周りを少し片付けたぐらいで生産的な活動は何一つできていない。
あの頃、2003年~2004年ごろだったか。つまるところ、18年程も前になる。げげげ。友達の子がいま17歳だったり、19歳だったりするので、ホントにげげげって感じで、彼女らが今まさに出産せん、子育てせんとしていた時に、私はモラトリアム真っ只中であべこべにこの街で青春を貪っていたのだ。
それでカバー写真の通り。学生の頃は本当にこの通りを車で走ったり、歩いたり走ったりしていた。誰にとっても青い春というのは、たぶんちょっと酸っぱい感傷に浸るような記憶があるはずで、例外なく自分もそう。だから、大人になってからはなんとなくこの辺を通ることをあえて避けたりしていたんだよねえ……。
翼餃子だって、かつては別の名前の居酒屋が入っていて、奇しくもその時そのあたりに集っていた学生たちに良くしてくれていたママとマスターがいて。(といっても、この辺の立ち回りはN君の功績というか人徳だよね)縁浅からぬ建物だったりする。この2階に住むことを勧められて、めちゃめちゃ断ったら行きづらくなってしまった記憶。
あの時、Pub Crawlって言葉を教わったあの店での記憶を上書きしてもいいような気持ちになったから、あの通りに足を踏み入れて、あの店の暖簾をもう一度くぐってみてもいいような気持ちになったのかもしれない。
過去はヒトツだって戻らないけれど、もう一度書く仕事を頂くことができて、どうにかこうにか自分の弱気を奮い立たせている段になったから、20年近くも経ってようやく少し若い時代にケジメを付けられるような勇気が備わったのかもしれない。
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