王蟲とカオナシから教えてもらった「醜さを内包しているからこそ美しい」こと
人と人が出会って関わる時、
スタイルや顔立ち、年恰好などが「アイコン」としてあって、
その人がどんな人柄でどういう言動をして、
自分とどう関わっていくか、という「内容」がそのあとに着いて来て。
つい「体や顔が邪魔だなぁ、透明になりたいなぁ🫥」
と心の中でつぶやいてしまいます。
学生時代から醜形恐怖の症状に悩まされていたけれど、
いま感じている容姿に対するモヤモヤはまた、
ちょっと違ってきていますね。
(醜形恐怖の自体はすでに寛解している。)
スキンケアやメイクなども嫌いではないのですが、
どちらかというと、美容は、
「健康」が大前提としてベースにあって、
自分自身を大切にするという、セルフケア行為だと思う。
(人のためではなく、自分のためにするのが美容?)
老いていくことや、自分の醜さを受け入れることは、それこそ勇気だし、強さだと思います。
そう受け入れた人は、きっと「美しい」でしょう。
人間は生き物だから、そもそもそんなにきれいなもんじゃないけれど、
だからこそ脈々と生き物であって、
そういう姿勢が、美しいのだろうなぁって感じいります。
ジブリ作品を観ても思います。
ジブリ作品に強く惹かれる一番の理由は、
どの作品にも、
「グロテスクな不思議な生き物」が登場すること。
強く美しい少女とグロテスクな生き物のコントラストが際立ちますが、
相容れないようで、共存しているから、強く刻まれる。
アニメーションって、綺麗なものを選んで描くこともある意味可能な表現方法だけれど、
アニメーションだからこその表現で、グロテスクさや狂気が作品に表れていると、
「この作品好き!」ってなります。笑
「蟲愛でる姫君」ナウシカは、
いつでも心のミューズです。
先日訪れたジブリパークでは、
ほとんど待ち時間のあるアトラクションもなかったのだけど、
「カオナシと2ショットが取れるスポット」は、最も長蛇の列を作っていました。
…つまり、そういうことだなぁ!笑
(カオナシ大人気‼︎)