誰でも休んでよい場所があること
ベンチのある場所が好きです。
誰でも座ってよい場所が好きです。
並木道、
公園、
図書館、
川べり。
「どうぞおかけください」
「少し休みましょうか」
「ここでゆっくり過ごしてくださいね」
そんなメッセージ、
そんな安らぎのひとときが許されているような場所。
流れる時間もゆっくりで、
急かされることもなく、
誰が座ってもOKの、
広く開かれている場所。
子どもの頃から、
なんとなく、
「死んだ人は空の上に居る」イメージがいつもありました。
それと同じ感覚で、
「天国」というものがもしあるのだとしたら、
公園みたいな場所なんじゃないかなぁ、
というイメージがあります。
例えば、井の頭公園。
一度、井の頭公園で輪になって座ってギターの伴奏と共に歌い合ったことがあるのですが、
井の頭公園は声を出して歌ってる人がいても全然それが馴染んで誰も気に留めないんです。
絵を描いている人もいるし、その絵を売っている人もいます。
眠ったり、踊ったり、トランペットの練習をしている人もいます。
子どもたちはかくれんぼをし、大人たちはおしゃべりに夢中になります。
例えば、京都の鴨川。
京都には、老舗の名喫茶からニューウェイヴなカフェまで、コーヒー片手に話をするおしゃれな場所もたくさんあるのですが、
京都の街には鴨川が中心的に流れています。
鴨川の川ぺりに無造作に座っておしゃべりすると、カフェで話す以上に自然体で色々な話ができる気がするんですよね。
私も京都を訪れる際は、中日一日を「鴨川沿いでぼーっとする」時間にまるまる捧げます。
「鴨川等間隔」なカップルの間に紛れてぽつり、ひとりぼーっと過ごすのが本当に大好きなんです。
鴨川も色々なことをしている人がいます。
恋人たちにももちろん人気ですし、読書をしたり、ひとりで絵を描いている人も多い気がします。
おしゃべりのグループは心からリラックスしる感じで体もくつろいでいます。
鴨川が流れていることが、京都が好きな場所である最大の理由のひとつです。
井の頭公園でフォークソングを歌った時も、
鴨川でぼけーっと過ごした時も、
「天国ってこんな感じの場所かなぁ」という感想がありました。
たぶん、それはその時私が、
ほんのりと幸せな時間を体感できたからかもしれません。
そして、無料で、誰にでも開かれていて、
何をしても自由で許されている場所であるということが、すごく自分にとっても幸せでありました。
こういう場所があることは、
その街にとって、
その人にとって、
本当に豊かなことだと思います。
ベンチのある場所は、公園や川べりは、
誰が座ってもOKなんです。
街にゆったりあらわれる
小さな「天国」で、
少し休んでゆきましょう。